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「莉緒ちゃん、醤油と塩どっちがいい?」
ベッドから降りてしばらく時間が経過した後。カップ麺を両手に一種類ずつ持つ私に向けられるのは冷ややかな目だった。
「どっちがいいって。えっと……」
「朝ご飯。いや、時間的にお昼ご飯でもあるけど」
「そういう事じゃなくて。いつ買ったんですかそれ」
「昨日コンビニ行ったときだよ。ストック無くなっちゃったから買っとこうかなって」
私は彼女の質問に答えただけなのに、なぜかまた深い溜息をつかれる。
「買い物、今日行っておけばよかったですね……」
「なんで? カップ麺駄目だった?」
「……麻里さん休みの日いつもこんな食生活なんですか?」
「うん」
「仕事の日は?」
「朝は食べないし。お昼はコンビニ」
また莉緒ちゃんは溜息をつき、頭を抱える。一人暮らしの社会人なんて大抵こんなものだと思うし、これで十分だと思う。
「まぁ、コンビニはまだしも、朝昼兼用でカップラーメンは流石に……」
「そうかな」
どうしようかと首を傾げると、彼女はそれに申し訳なさそうに謝り、でも今は頂きますと言うので私は電気ケトルに二人分の水を入れてスイッチを入れる。
静かに駆動し始めるケトルを眺めていると、そっと莉緒ちゃんが私に近づき、人差し指を立ててこちらに向けた。
「麻里さん。一つ提案があるんですけどいいですか?」
「……え?」
「そんなに身構えないでください。麻里さんにも悪い話じゃありません」
また何か大きなことを頼まれるのかと思い身構える私に、彼女は言葉を選びながらゆっくり条件を提示し始める。
「私が麻里さんの家にお邪魔している間、家事……例えば料理とか洗濯とかを私に任せてもらえませんか?」
何が出るかと思えば、目の前に出されたのは夢のように楽な生活。
「お邪魔している間、私が麻里さんに出来ることって何だろうってずっと考えてたんです。そしたら、見る限り麻里さんは家事が苦手というか、家事をないがしろにしてるというか。なので任せてもらえないかなと。ただで居候する訳にもいきませんから」
「いや……でも」
「こう見えて結構、家事には自信あるんですよ」
「えっと」
「低く見積もっても麻里さんよりは出来ると思いますけど?」
「いや、そういう問題じゃなくてね。なんていうか、私は別に莉緒ちゃんに何かをして欲しくて泊めてるわけじゃないしさ、そもそも莉緒ちゃんは生徒だし、教師が生徒に家事やらせるのはちょっと」
「ここでは生徒と教師の関係は止めてくれって言ったの麻里さんですよ?」
「……そうなんだけど、そもそも莉緒ちゃんはまだ――」
「子供、ですか? 別にいいじゃないですか。そもそも麻里さんと私、十個も離れてませんし。やれる人がやる。それでいいじゃないですか。それに麻里さん、私がやらなかったらろくに料理しないですよね」
ここ一週間を振り返って一度も包丁を握った記憶がない私には、莉緒ちゃんに言い返す言葉がない。何も言われなければ今晩もコンビニでいいかと考えていたくらいだ。
「だいたい、それが駄目なんて誰が決めたんですか」
「誰って……。普通駄目でしょ」
「一般的にそれが非難されるってことなら、関係ないじゃないですか。……だって私がここにいることは麻里さんが秘密を守る限り誰にもバレないんですよ。だったら周囲からの評価なんてないようなものです」
良く口が回るな、なんて感心しながら私は彼女の提案を天秤にかける。
「問題なのは、麻里さんが嫌かどうかですよ」
彼女に家事をやらせるのは社会人として罪悪感がある。でもそれを拒んだ時、今の私の生活に彼女を巻き込むと考えるとそれはそれでまた罪悪感が付き纏う。
二つの罪悪感のどっちが大きいか比べるのはそこまで難しいことではない。でも今は一度それを保留して話を進める。だって今の私達にはこれ以外にも決めなければならないことが山ほどある。
「じゃあさ、一から決めてこっか」
「なにをです?」
「二人の生活のルール。決めなきゃなとは思ってたんだ。丁度雨で外には出れないから時間もあるし」
莉緒ちゃんが私の言葉に頷くと、タイミングよくカチっとケトルが沸騰を知らせる。
「ところで莉緒ちゃん、醤油と塩どっちがいい?」
莉緒ちゃんは引き攣らせた笑いを顔に浮かべながら、小さく悩んだ後に「塩で」と呟いた。
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