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プロローグ
表通りの石畳を馬車が轟音を立てて走って行く。そんな喧噪も画廊の扉を閉めてしまえば聞こえなくなってしまう。少年マレクがその不思議な感覚を何度も味わおうと扉を開け閉めしていると飛んできた父親から拳骨をお見舞いされてしまった。
マレクは絵画の鑑賞と収集を趣味にしている両親に連れられ、物心がつく前からしばしば美術館を訪れていた。しかしまだ十二歳になったばかりのマレクには絵画の善し悪しなど分かるはずもなく、この日も両親が画廊のオーナーと商談している間、暇つぶしに展示されている絵見て回っていた。それでもすぐに絵に飽きてしまい、今度は絵を鑑賞する人々の方を観察するようになった。どちらかというとマレクは絵よりも人間観察の方に興味があった。画廊や美術館には老若男女さまざまな人間がいた。面白いのはその誰もが絵画に興味を持っているわけではないということだった。中には絵を商品としか見ていない者や、連れ添った異性の動向にしか目を向けていない者がいて、そういう人間を見抜くのが今マレクが夢中になっている暇つぶしだった。
マレクがその男に気付いたのはさほど広くもない画廊の中を二周した後だった。周囲の大人が皆正装かそれに近しい格好の中、男はマレクから見るとボロ切れのような衣服を纏っていた。その男がずっと一枚の風景画の前に立ち尽くしている。近づいて細部を舐めるように見たかと思うと、数メートル後ろに下がり全体を眺めたりする。絵に取り憑かれたようなその男はマレクが近寄っても全く見向きもしない。
マレクは男の横に並び立つとその絵を見た。森の中の湖を描いた作品だった。木々や画の端の館は霞んでいるように描かれていて、キャンバスの半分を占める湖が青々と際立っていた。まだしっかりとした審美眼を持たないマレクでさえその湖の深い青色に目を奪われた。貧しそうな男もこの絵のそんなところに惹かれたのかもしれない。そう思った。
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