大蛇の吐息

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マリアンヌの思いを代弁したアンヌに対し、ジョレード殿は、ぐっと両手を強く握り締めた。 「……トバイデン殿は、皇家の影ですか?」 「いいえ、違います。彼は、ノワール大公家の端系・スチュアート=ファルコンを正しく嗣ぐ者にございます。」 確信を持って尋ねるジョレード殿に、アンヌは緩く首を振り、若干呆れた雰囲気で告げる。 ジョレード殿は、その言葉に苦笑いを浮かべてから納得を得たのか深く頷いた。 「成る程。ノワール大公家の影か。ならば、納得出来るとも言えますな。」 「えぇ。どうにも彼らは、行動が破天荒。ならば、此方から縄を付けようと思うのです。大公家の影としての働きで見ると、些か、行き過ぎているのは確かでございます。」 「……破天荒で片付けれる程ではございませんがね。」 「……そうですわね……。ですが、我々はトバイデン殿と有益な取り引きを致す用意をしております。ですから、御領地の方々を煩わせる事は、極力避けるよう……一応、願うつもりです。」 「一応ですか。」 「えぇ。わたくしは、毒は毒を持って制す。そう考えておりますゆえ。」 にこやかに微笑み返すアンヌに、ジョレード殿は片眉を上げるだけで特に反対も肯定もしない様子だった。 ガイノス皇弟殿下との遠見謁見までまだ時間がある。その為、歓談を続ける方々をリックス達に預け、スタンは静かに会議室を後にした。 慣れた様子で、長い廊下をスタスタと歩き、すれ違う隊員達にも、都度確認や指示を与え、スタンが向かったのは、地下にある牢獄である。 ダルメシアン伯爵領にあるこの古城は、元々獣人族の王族が利用していた為なのか、地下施設が非常に充実していた。特に、地下牢獄は、低中高と分けられてるのか地下牢の種類が豊富に揃えられている。 ジメジメとし冷んやりとした地下路を、奥へ奥へと進み、一際豪奢な扉をあける。開けた先には、地下路を挟みズラリと並ぶ鉄格子。……しかし、おかしな事に、この扉の先にある地下牢は、一つ一つが非常に広く、クイーンサイズのベッド、浴室、お手洗いが個別にあり、一つの部屋となっているのだ。隣同士を見ることは出来ないし、こちらからは誰が何処に入っているか解るが、向こうからは完全に見えない聞こえないような魔術結界が張られている。その為、この扉側は、獣人達にとっても、高貴な方々専用の地下牢として利用されたのだろうと予想しているが、セルマは鼻で笑っていた。コレは、半々だと、高貴な奴らの為であり、高貴な奴らに与える罰の代わりにせめて籠を豪華にしただけだと思うよ。と。 豪奢な牢の最奥にいらっしゃるイゼルニア夫人の元に足を運んだスタンは、牢の前に立ち、その入り口に引かれた魔術結界の一部、丁度、目元辺りの部分に触れ、解除する。クリアになった室内では、備えつけられたソファーに、静かに唄を口遊む美貌の婦人が気怠げに腰掛けていた。彼女の首、手首、足首には、魔封印の魔具と、この牢から出られない見えない鎖がしっかり付けられている。 ピタリと唄うのを辞めたイゼルニア夫人は、スタンが見つめてる事に気付いたのか、緩やかに此方に視線を向けると、ふわりと笑みを貼り付けた。 「わたくしの尋問にいらしたの?」 女性の漿液が溢れるような艶めきさを前面に出した彼女をスタンは無表情のまま見据えた。一拍後、小さく息をついた彼女は、つまらないと言いたげに足を組み格好を崩した。 「わたくしが、話せる事、知る事は、全て話したわ。」 ツンとした表情で切り捨てる貴婦人を見つめ、スタンは、その鎖骨に浮かぶ普段は不可視で見えないであろう契約紋に目を細める。 この牢に入れ数時間してやっと浮かび上がった隷属の紋。数十年前にユーラシア大陸で流通した奴隷踊り子達に刻むその契約紋は、主人との契り中に刻まれ、主人以外との契りを成した場合その者を焼き殺すと云うなんとも趣味悪い契約隷属紋なのだ。であるならば、何故、彼女は複数の人間と身体を結べたのか。 「わたくしを、この牢に閉じ込めたのだから、罰を与えるつもりなのでしょう?」 クスクスと笑う彼女は、目を猫の様に細め、頬に朱を刺し潤んだ瞳で此方を流し見る。まるで、その罰を早く寄越せと言いだけな態度に、スタンは、あからさまにため息を吐き出した。 「何故、我々が、貴女が望む罰を与えねばならない。貴女は肝心な話をされていない。……あぁ、そうだ。貴女が欲してやまないあの媚薬は、中毒が酷いそうですね……我々も鬼ではない。そのまま…薬物が抜けるまで、此方でごゆっくりお過ごしを。」 スタンの言葉に、イゼルニア夫人は、身体を震わせ此方をギロリと睨み付けた。 「……わたくしから何が知りたい。」 放置される事が余程堪えるのか、イゼルニア夫人は、息を荒くさせ言い募る。感情の起伏で、媚薬の効果を高め、女性器の機能を高めるその媚薬は、この地の裏市場で人気であるタンライト製の物。何故か、売り出し業者はユーラシア大陸の裏商会である事は、既に、把握していた。 女性の為の女性を極上の夢へと誘う媚薬。そんな売り出し文句で、流通し、濃度を薄くして利用する年若い貴族達が居る事も把握している。 しかし、この媚薬は、単純に、奴隷市場で流通する性奴隷達を従順にさせ、男達の性を満足させる為だけに作られた、人を人とも思わない外道で不愉快極まりない品物だ。 イゼルニア夫人は、恐らく、物心ついた頃にはその媚薬を投下され、本来なら、精神を破綻をきたし性狂いになって居るはずの所を、彼女は、ご自身の精神で、それをコントロールし成長を遂げた方である。 彼女は本来なら被害者であるのだろう。しかし、彼女は、様々な犯罪に手を染め、自身を管理していた商会を壊滅させ大量殺人を犯し、キャラバンに潜り我が国に忍びこんだ。殺されたのは商会の人間だけではなく性奴隷も含まれている。……非常に、知恵の回るイゼルニア夫人。その頭の良さで、毒を飲み込み、その身を染め、そして……それを喜んで享受した。でなければ、我が子を腹を痛めて産んだ子供達を簡単に手放し、簡単に、殺すなど出来ないはずである。 トバイデン殿が彼女を妻として娶ったのは、彼女の素質を見抜いての事だろう。共に過ごす内に、同じ視線を持てれば、これ程頭の回る女性であれば、素晴らしい伴侶となり得たはず。現実は、トバイデン殿の目論みは砕け、毒婦を縛り付ける事は難しかった。そうスタンは結論付けている。 トバイデン殿は、西部に於いて流通し始めたその媚薬を全て押収し、裏市場・ルートを完全に打ち砕いた。されど、彼が潰した事により、イゼルニア夫人は、ご自身の愛用品の入手困難に陥り、トバイデン殿と敵対する様になったとスタンは思っている。 トバイデン殿の裏をかき、ポニータ嬢の計画を利用し、聖女を利用し、ご自身の伝達を駆使し、彼女は、媚薬の卸を秘密裏に自分が掌握し、燕達を利用して売り捌いていたのだ。それを可能とした彼女の後ろ盾を探っているが、痕跡がまるで見当たらない後ろ盾。イゼルニア夫人も決して口は割らないし、記憶を抜き出した所で、全く判らなかった。 だから、こんな事をするのは、非常に外道だとは解っているが……。火照る身体に身を震わせるイゼルニア夫人を見つめ、スタンは、そっと後を振り返る。 スタンの後ろには、諜報班でも性技に特化した男が1人静かに立っていた。マリアンヌにはその存在自体流石にまだお伝え出来ない、オータムやイリスとはまた別の潜入班、裏社会に忍び込む事を中心とした、インクバスと人族のハーフでありカンビオン種族の色が濃い者達である淫魔班。 「お願い出来ますか?」 スタンの問いかけに、淡く笑みを浮かべた男は、イゼルニア夫人の牢に遠慮なく入っていく。彼らは、夢魔とも呼ばれ、その性技で、異性に極上の世界を魅せるが、そのかわり、全ての生気も魔力も吸いとってしまう。生きた廃人を創り出してしまうのだ。無論、ハーフがいるのだから、コントロールも出来る。しかし、今回は、彼女の背後を探る為の行為……。甘やかな鳴き声を震わせるイゼルニア夫人からそっと目を逸らし、スタンは魔術結界を元に戻した。 彼女の欲する罰は与えない。その代わり、彼女が今まで体験した事の無い世界を魅せ、彼女の全てを此方は吸いとる。それは、、罰というよりも拷問と云える事だ。尋問班でもないスタンが行う事、要するに、マリアンヌには何が行われたか報告が上がらないやり方でもあった。アンヌが言うように、毒には毒を持って制する。それは本来の影の真っ当な職務とも云える。彼女の独房から背を向け、もう一つの目的地へと足を進めた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 日の光が届かない暗闇には、足元に生息する野生の光苔が淡い光りを放っていた。 荒い息を吐き出し、剥き出しの岩場にドカリと腰掛け、亜空間から水筒を取り出し喉を潤せば、クスリと笑う声が響く。 「何やってんのさトバイデン。」 クスクスと嗤う声色は、呆れ果てた色を隠しもしずに此方を見つめている事が解る。 ゴクゴクと水分を飲み干し、荒く水筒を、招かざる客に向け投げつけ、顎を伝う汗をグイッと腕で拭き上げた。 「呼んじゃいねぇのに何しに来やがったジョーカー。」 「相変わらず荒々しいな君は。」 暗闇の中ぼんやり浮かぶのは、口元以外の顔を隠すふざけた狐のお面を着ける男だ。飄々とした態度の男は、裏社会で知らない者は居ない、凄腕情報屋だ。トバイデンの対面側の岩場に腰掛けた彼は、優雅な仕草で足を組んだ。 追っては全て撒き、後は、隠れ家にて、黒狼隊を待つつもりで、この洞窟を駆け抜けていたトバイデンは、慣れ親しんだ気配を感じ足を止めた。この洞窟を知る者はそう居ない、なのに当たり前の様に現れたこの男の目的が見えず、目的地まで行く前に相手をする事にしたのだ。 ギロリと睨みつければ、彼は軽く肩をすくめる。 「結果を聞きたいんじゃないかい?」 「なんのだ。」 「君の大切な椿の華だよ。」 嫌味な程ニタリと口角を吊り上げる相手に、トバイデンは、顔を壮大に顰めた。心配ではあるが、あの幼い割に頭の廻る皇女であれば、此方の狙いを組み、必ず助けて下さると信じてる。何故なら、彼女は、マリーアンナ唯一の御子だ。だから、今、聴くべき話とは到底思えなかった。 「一体なにが目的だ、ジョーカー。」 「おや?興味ないの?」 「お前、それを話して金請求すんだろうが。要らんわ。」 「ふ〜ん??じゃあしょうがない。一応、君に警告をね。この先の隠れ家には、罠があるよ。」 「ほ〜。なんで知ってる?」 「ん?そりゃぁ、僕が情報を売ったからだよ。」 まるでちょっと買い物したんだと言いだけに悪びれもなく言われたセリフにトバイデンは今度こそ闇炎の玉を思いっきり投げつけた。 「ちょっ、危ないじゃないかぁ。」 難なくヒョイっと避けたジョーカーに、壮大な舌打ちをかまし、脳裏で、近場の他の隠れ家を浮かべてく。 「ちょっと、ちょっと、考えてる所悪いけど、僕は、君に死なれると非常に困るんだ。だから、僕が勝手に君を連れて行くよ。」 言いながら近寄るジョーカーから距離を取り訝しげに其方を見つめれば、ジョーカーは肩を落とした。 「だから、困るんだって君さぁ。色々喧嘩売り過ぎなんだよ。せめて土台を造んなよ。なに、ゴールドビレッジだけで満足してんのさ。」 ブチブチと不貞腐れ文句を言うジョーカーが意外過ぎて、トバイデンはその場で腕を組み目を細めた。この男は、情報を高く売れる方に売る。誰に対しても平等に金を請求する。何処にも所属せずある意味中立であり正しく情報屋である。それが出来るだけの力がある事を、しっかり示している。 「お前……そんなに俺が好きだったか?」 単純な疑問を示せば、唯一見える口元を嫌そうに歪め、ブルリと身体を震わせ、手で二の腕を忙しなく摩っている。 「気持ち悪い事言わないでくれる?」 「気持ち悪いのはてめぇだ。なにが目的だ。」 「だから困るんだよ。今、あんたに死なれるのは。マリーアンナから一度だけあんたを助けてくれって依頼されているんだ。……今がその時だろ?あんたが仕掛けた事で、表側は大々的に粛正をしてる。あんたは、あの小さなレディーと会わなきゃなんないんだろ?だからさ……諦めて僕に拐われてよ。」 ウンザリとした様子で告げながら、ジョーカーはなんの動作もなく転移魔法を起動させ 「依頼はきっちり熟すのが性分なんだ。」 転移する瞬間ニヤリと上がる口角を視界に捉え、トバイデンは諦めた様にため息を吐き出し 「ふざけんなマリーアンナ。」 今は、既にこの世には居ない、よく知る世間のイメージとは掛け離れた高笑いを上げる身内を思い浮かべ、苦虫を噛み締めた。何処に連れて行かれるか判らない以上……黒狼隊との合流は出来ない。なれば、牙狼隊の奴らも此方を探すのは困難になるだろう。 一瞬目を瞬かせると、現れたのは深き樹海と小さな古家。どこかの山脈だろうが、周りに張り巡らせれた認識錯乱結界のお陰で座標が全くわからない。 慣れた様子で古家に向かうジョーカーは、扉を開けながら此方を振り返る。 「……ココは僕の隠れ家、そう簡単に見つからない場所だよ。ほら中に入って。あの小さなレディーのお仲間には必ず会わせてあげるから。まずは、その疲労を癒してよ。」 胡散臭い事この上ないが、ジョーカーはマリーアンナからの依頼を遂行してるに過ぎず、ならば、依頼料分は安全かと思い直し、トバイデンは、小さな古家に向かって行った。
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