自白

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自白

 私は写真部の部員だ。別に、将来的に写真家になろうだなんて思ってはいないが、カメラそのものが好きだ。撮影するカメラによっても、撮る人によっても、全く違うものがそこに切り取られて残るというのが、面白いのだ。  とりあえず、部室に置いてある備品を取りに行こうと、私は理科準備室へと向かった。部室としては、理科室を科学部と曜日をずらして共同で使っているのだ。  さて、今日はどういう写真を撮りたいか。それによって使うカメラも変わってくる。そこまで頑なにフィルム撮りに拘っているわけでもないから、鮮やかなものを撮りたい場合はデジタルでもいい場合もあるし、逆にレトロなのがいい時は、トイカメラでもなかなか面白いものが撮れる場合もある。  どうしようかと思案しながら部室にたどり着くと、すでに先客がいた。 「よお、安藤」  私に声をかけて来たのは、一つ上の三年生で、部長の高梨昴たかなしすばる。  そう、件の『高梨先輩』である。私が丹羽さんに時折勝手に相談を持ち掛けられるようになったのは、高梨先輩と同じ部活の部員だから。  小柄な体と、女の子の格好をしても似合いそうな、くりくりとした目の可愛らしい顔立ち。しかし、幼少の頃からそれをずっとからかわれ続けてきたために、本人はそんな自分の容姿を恨んでいるらしい。  ちなみに、彼の父は日本で業界トップと言ってもいい某家電メーカーの重役で、母は大人の女性たちに支持されているファッションブランドの会社の社長であり、ビジネス書やエッセイを出版したり、テレビに出たりすることもあるような人たちなので、高梨家といえば日本中でそこそこに名を知られているという、筋金入りのおぼっちゃまである。  忘れていた。部活に出るということは、この人に会うのを避けられないことを。  私はなるべく、動揺を表に出さないように努めた。 「高梨先輩」 「丁度良かった。あのさ……ちょっと聞きたいことがあるんだけど」  私はすぐには返事をしなかった。だいたい、彼の聞きたいことというのは見当がつくから。こういういざこざに板挟みになるのだけは勘弁願いたいのに。  その結果。 「嫌です」  きっぱりと私は答えていた。むっと、その可愛らしい顔を、先輩は歪めて見せる。 「聞く前から断ることないだろう。聞くだけ聞けよ。嫌って言われても訊くけどな」 「それじゃあ、訊く前に断りを入れる意味がないでしょう」 「うるせぇ、こっちだって死活問題なんだよ!それでも一応断りを入れる俺の気配りにむしろ感心してもいいくらいだぞ!」  もう何を言っているのか自分でもきっとよくわかっていないだろう。その辺りにとてつもない切迫感を感じて、流石に私も折れてしまった。 「……で、何ですか」  仕方がないから、私は何も知らぬふりで、並んでいるカメラを選びながら耳を傾ける意思くらいは見せた。 「お前さ、確か、丹羽満月さんと同じクラスだったよな」  やっぱり、予想通り、その話か。 「ええ、そうですけど」 「彼女は口が堅い方か?」 「さあ、よく知りません。そんなに彼女と親しくないんで。っていうか、彼女の口が堅いかどうかは、先輩の方が良くわかってるんじゃないですか」  私は横目で先輩の様子を窺った。きまり悪そうに、彼は目を逸らす。 「悪かった。そうだよな。気になったんだ。お前ら、よく一緒に帰ってるだろう。だから、仲良いのかなって」 「そんなに言われるほど頻繁にでもないですけど。……どうしてそんなこと知っているんですか。ストーカーなんですか」  少しばかりむきになってしまった。なんとなく、親友扱いされたのが癪に障ったのだ。こちらは、面倒ごとに首を突っ込みたくないのに。隠しきれぬ棘は、相手をチクチクと突き刺して、さらに神経を逆なでしてしまう。 「なっ、ふざけんなよ。ただ偶然見かけただけだよ」 「でも、どうして丹羽さんのことがそんなに気になるんですか」 「あのな……実は俺さ、ちょくちょくあの子と会うんだよな」 「へぇ……」  もしかしたら、丹羽さんにも希望の光があるのではないかと、あまり期待をしてはいけないのはわかってはいるけれど。彼女自身が言っていたではないか。高梨先輩には恋人がいるのだと。それでも、彼は丹羽さんのことを気にしているのは違いない。 「俺、休み時間は裏庭でぼーっとしてることが多くてさ。あんまり人も来なくて、風通しも良くて気持ちいいからな。春先なんか、桜が綺麗だし。……あの子もよく来るんだよ。お前らのクラス、窓から裏庭見えるだろう。だから、俺の姿を見かけると来るみたいなんだ。なんとなく邪険にするわけにもいかないから、ちょこっと話をしたりしているんだけど」  それは、私も知っていた。今年の春、まだひと月ちょっとの話だが、窓から中庭の見える今のクラスになってから、昼休みになると丹羽さんは必ず窓まで走って行って、そこからしばらく中庭の様子を眺めている。高梨先輩がやってくると、大声で呼んで、とびきりの笑顔で手など振って見せ、そのまま中庭に飛んで行くのだ。  窓際の席の生徒たちは、最初こそ多少迷惑そうにしていたけれど、今ではむしろ丹羽さんのために場所を譲ってくれさえするくらい、名物になっている。だから、丹羽さんが高梨先輩のことを好きなのは、クラスの人間誰もが知っていそうなものなのだ。  知らぬは本人ばかりで。どうして今まで自覚がなかったのか不思議なくらいだ。  それはともかく。  高梨先輩が説明してくれたことによると、こういうことらしい。  今日の昼休みも、中庭に現れた途端に丹羽さんに見つかり、高梨先輩は一人ゆったりと過ごそうと思っていたのに、それは叶わなかった。  そう、静かに過ごせたのは丹羽さんが来るまでの五分間だけ。まるで元気のいい仔犬のように、彼女は息を切らしながら、走ってやってくる。袋いっぱいのパンを抱えて。そんなに食べきれるものかと、最初は何か妙なものでも見た気分であったが、実際ぺろりと平らげる彼女を何度も見るうちに、もう何も不思議ではなくなってしまったらしい。 「ここにいるのが見えたんで、また来ちゃいました」  見えた、というより見張っていたのだが。それを、高梨先輩だって気付いていないわけではない。何でこんなに懐かれているのか、甚だ疑問ではあるが。 「何でわざわざここに来るんだよ。面倒くさくないの?」  さほど広くはない、木に囲まれたこの裏庭で、一つだけあるベンチの高梨先輩の隣に、丹羽さんはすとんと腰を下ろした。今日はちょっとだけ日差しがきつい。そろそろ、初夏と呼べる季節になってきたのだろうか。 「教室で食べるより気を遣わなくていいんです。ほら、こんなにいっぱい食べると、やっぱりちょっと皆に引かれるじゃないですか。でも、別に先輩は何も言わないし」 「慣れただけだよ。そりゃ、誰だってびっくりはするだろう」 「びっくりする……か。……そうですよね。誰にだって、人がびっくりするようなところ、一つや二つは、そりゃあありますよね」  それっきり、丹羽さんは黙り込んでしまって、もそもそとひたすらパンを食べ続けていた。ふわりと吹き付ける風が運んでくる、緑の匂い。さわさわと揺れる葉の音。隣の丹羽さんは、ずっと強張っているのがわかったが、高梨先輩はどう声をかけていいのかわからなかった。  ちょっとでもボタンを掛け違えて下手なことを言うと、女がどれほど怖いか、彼はよく知っていたからだ。その理由については、追々説明しよう。  そのままお互いに黙り続けて、高梨先輩のお弁当は半分ほどに減った時だった。穏やかな風が吹いているはずなのに、ぎしぎしと時間が軋んでいるようにぎこちなかったこの空間で、不意に丹羽さんが口を開いた。しかも、突拍子もないことを言う。  それはまるで、ずっと詰まっていた蛇口から突然水が暴発したような調子だ。 「せ……先輩は、好きな人はいますか?」 「え?」  今日は少し日差しが暑いくらいなのに。それなのに、凍り付いてしまう。丹羽さんの目は、きわめて真剣そのものだ。 「な、何だよいきなり」 「ちょっと、気になったんです」 「別に、どうでもいいだろう」  ふいとそっぽを向いて、そのまましらを切ろうとした。だが、丹羽さんは追及の手を緩めない。 「い……言えないようなことなんですか?」 「な……何で……」  ずいっと、丹羽さんは高梨先輩に詰め寄った。 「ただれた関係なんですか?」 「ちょ、ちょっと待て、なんで相手がいること前提になってるんだよ。っていうか、なんだよ。ただれた関係って……」 「だ……だってそんなに動揺しているし」 「そそそ……そんなことない。ないぞ」  全力で手を振って否定した。それこそが、動揺の証であるのに。これ以上踏み入って来られる前に、高梨先輩は無理矢理に話を終わらせた。 「今日は用事があったの思い出したから、俺はもう行く」 「あっ、ちょっと……」  まだ何も納得していない丹羽さんに止められそうになったが、無理矢理振り切って高梨先輩はその場を逃れたという。  私は呆れてため息を落とした。 「疚しいことがあるって言ってるようなもんじゃないですか。隠し事が下手ですね。やっぱりあの話……」  そう言ってしまって、しまった、と、私は慌てて自分の口を塞いだが、もう遅い。先輩は勘付いてしまった。 「もしかしてお前……あの子から何か聞いているのか?」  本当に聞きたかったことは、やっぱりそれか。 「いいえ、特に何も。今の話を聞けばそう思っただけですよ」  半分は嘘だが、半分は本当だ。彼女が何を見たのか、一番他人には言えない部分は聞いていない。  だが、そうやってはぐらかすことを、彼は許さなかった。ぐいっと私の顔を両手で掴んで、自分の方に向けた。嘘を付かせないために。  観念するしかない。ため息とともに、私は白状した。 「先輩が恋人といるところを見たっていう話を聞いただけです。本当にそれ以上は何も知りません」 「……ああ、やっぱりか。お前もな、絶対誰にも言うなよ」 「言いませんけど……一体どんなただれた恋愛してるんですか」 「ただれてねぇよ!……っていうか、それ、差別発言だから!」 「は?」 「男同士の恋愛がただれてるだなんて言うのは、差別発言だって言ってんだよ!」  大音量で怒鳴りつけるように言うものだから、その声は廊下にまで響いていただろう。誰かがそこを通りかかっていたらどうするのだ。なんて不用意なのだろうか。  でも、これで私の中にあった一つの仮説が真実に変わった。 「そういうことなんだ。……相手は男だったんですね」 「え?」 「私は、ただ、恋人といるところを見た、ということしか聞いてない、と言いましたよね。相手のことなんてまったく知らなかったのに。墓穴掘りましたね」  はっ、と、彼は目を見張った。ようやく気付いて、理解したらしい。そして、頭を抱えて呻き始めた。 「………ああああああっ!俺の馬鹿ぁっ!」 「そもそも、丹羽さんに見られている時点で迂闊なんですよ」 「そうか、そうだよな。……なあ、俺、どうしたらいいと思う?」  くりくりとした目を潤ませながら、こちらへ向けてくる。いけない。これでは、捨て犬をそのまま放っておけない気持ちになってしまうではないか。  可愛いは正義。そんな言葉をよく聞くが、正義、ではなくて、無敵、かもしれない。何故だかどんな武器や屈強な腕力の持ち主よりも、逆らえない力がそこにはある。しかも、この人の場合は、それを自覚して武器にしているわけではなくて、無意識にやっているから余計に性質が悪いのだ。  いけない、これ以上巻き込まれないために、ここでちゃんと突き放しておかなくては。  懐いてきそうな子犬を振り払うがごとく、私はこう言った。 「別に、どうもしなくていいと思いますけど。大体、丹羽さん本人に直接言えばいいのに、どうして私に探りを入れようとしたんですか」 「いや、それとなく、お前にも話してないかどうか知りたかったし。なんとかそこまでで食い止めようと思って。さりげなく周りから攻めていこうと思ったんだよ」 「ほら、それ、それそれ!」 「え?」 「焦って何かしようとすればするほど、墓穴掘りますから。口封じをしようとして動くと、大体余計に傷口広げたりするもんですよ。今がまさにそう」 「言われてみれば、そうだな……」  目から鱗。感心したように、先輩は唸った。ただの丸め込むための屁理屈でしかないのに。この人は、やっぱり意外と馬鹿正直で素直だ。  しかし、私はこの勢いに乗って、もうひと押しした。 「そうでしょう。だから、出来るだけ何もしない方がいいんですよ」 「そ……そうか?」 「そうですよ。私や丹羽さんが誰かに喋ったりするようなことがなくても、そんなんじゃ、いつか自爆するんじゃないですか」 「ああっ、誰か俺の口を縫い付けてくれ!」  また、彼は頭を抱えて唸り出した。煩い。私は鞄の中からソーイングセットを取り出した。普段使うことはほとんどないけれど、何が役に立つかわからないから、持っておくものだ。これで黙ってくれれば儲けもの。 「針と糸、ありますけど」 「やめてくれ、お前は本当にやりそうだ」 「でも、お望みなんでしょう」  針に糸を通して、ずいっと先輩の前に突き付けたところで、人がやって来た。同じ写真部の部員の、一年生の女の子だ。彼女は少し驚いたように、私たちを見ていた。  私は慌てて針と糸を引っ込め、高梨先輩から離れて距離を取る。それでも、不信感は拭えないだろう。  どこからどう見ても、奇妙でしかないのだから。 「何してるんですか?」 「……先輩のシャツのボタンが取れそうになってたから、付け直そうとしていただけ。ねぇ、高梨先輩」  私は先輩に視線を送り、密かに合図をした。先輩はそれを的確に受け取ってくれたようで、少し不自然ながらも、頷いた。 「あ……うん」 「そう……ですか」  やっぱり、彼女は納得していないようであったけれど、それ以上深くは追及して来なかった。先輩も、その日はそれ以上何も言ってこない。あの後部員全員で校舎内を回り写真の撮影をしたのだが、いつもと変わらなかった。私の妙な屁理屈を、どうやら素直に受け取ってくれたようで、下手なことをこれ以上何もしないでおとなしくしているべきと思ったのだろう。  一安心だ。  あとは、これから丹羽さんがどう出るか次第であるが。でも、もう私にはそんなことは関係ない。  ……関係ないといいなと、心から願った。
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