告白

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告白

 翌日も、お昼休みに高梨先輩が丹羽さんに絡まれているのを窓から見ながら、思ったものだ。丹羽さんが裏庭に走って行く前に、せめて一言言っておけばよかった。  まだまだ人生は長いのだし、きっと他にもっと、ちゃんと出会うべくして出会うような、ぴったりとくる人はいるはずだと。  そこでブレーキをかけておいた方が、丹羽さんにとっても高梨先輩にとっても、そして私にとっても平和なのだろう。  だが、それを言う前に、高梨先輩の姿を見つけるとすっとんで行ってしまったので、どうしようもなかったし、そんなことでブレーキがかかったかどうかも怪しい。  昼休みが終わって教室に戻ってきた丹羽さんは、ブリリアントカットのダイヤモンドも顔負けというほど目を輝かせて言ったのだ。 「ねえねえ、私、安藤さんに話したいこといっぱいあるの。放課後時間ある?」  その日は部活動もなかった。私はその勢いに圧されて頷くしかなかった。いくら面倒くさくても、ここで断って余計に話がこじれても困る。さらなる落とし穴に一緒に落とされるだけだろうから。  今日はちょうどパフェが食べたいと思っていたから、駅前の喫茶店に行こうと、ミュージカルのように台詞を歌で歌い出さんばかりに、弾んだ声で言っていた。この上ない上機嫌だ。一体何があったというのだろう。  しかし、彼女にとっては良いことばかりあるような日に思えても、そんな中にもついてないことだってあるのが普通なのかもしれない。  いざ喫茶店に着いてみると、店の中には誰もいなく、ドアに下がっている札は、CLOSED。今日は定休日だったようだ。 「えーっ、お休みって、何それ!」  もう胃袋がパフェ仕様になってたのに、と、ぶつぶつ言っている丹羽さんの落胆ぶりが半端ではない。浮かれている分の落差があるのだろう。  結果として、いつものファーストフード店に行くことになった。しかし、ある程度乱雑な騒がしさがある方が、自分たちの話し声も雑音の一つにしかならないし、周りの無関心さを感じることが出来て、安心して話が出来るかもしれないと、私はちょっと思ったのだ。  私はアップルパイとコーヒー、丹羽さんは例によって、どちらにするか決めかねたハンバーガーを二つとも注文して、窓際の席に着いた。  私はコーヒーを一口飲んでから、話を切り出した。 「それで、一体何があったの?」 「あのね……」  この後、彼女から話された事実に、私は開いた口が塞がらなくなった、ということだけとりあえずはお伝えしておこう。  どうしてそういう展開になるのか、まったくわかりかねる。  なるべくもう丹羽さんと関わり合わないように、高梨先輩はあの裏庭にはもう行かないという選択だってあったはずだ。それなのに、あえてあそこにいたことを、私も疑問を全く持たなかったかと言えば、そんなことはない。確かに不自然だ。何もするな、と言ったのは私なのだし。  それに、今日はあまり天気が良くなかった。空は今にもぐずって泣き出しそうな色をしていたくらいだし、日光浴の気持ちよさに抗えなかったということもないだろう。日の光をもらえていないあの裏庭にある木の緑も、どこかくすんで見えたし。  そう、条件としては、行かないことの方が大いに納得できる条件ばかりだったのに、敢えて彼があそこに行ったのは、丹羽さんに会うために他ならない。  彼はどうしても彼女に話しておきたかったのだそうだ。  いつも通り、美味しそうに丹羽さんは自分の両親が作ったパンを頬張っていた。今日はクリームパンだ。それを横目で見ながら、おずおずと彼は言った。 「あのさ……今日はどうしても一つ言っておきたいことがあって」 「何ですか?」  少しの間、先輩は視線をあちこちに彷徨わせていた。やがて、決心したように、その目は丹羽さんにしっかりと据えられた。目が合うと、丹羽さんはぐにゃりと全身から力が抜けて、上がった体温の熱で溶けてしまいそうになるのに、心臓だけはガンガンと強く鳴っている、そんな状態になってしまったそうだ(このくだりは、私にはどうでもいいことだけれど)。  一体何を言いたいのかしら。この真剣な眼差しは、まさかの愛の告白?  ドキドキと心臓はますます早鐘を打ち、期待に膨らんでいく。しかし、それはあまりにも都合のいい妄想であろう。まさか、高梨先輩には恋人がいるということを忘れていたわけでもあるまいに。  そう、彼女はその現実を突き付けられることになる。 「この間さ、見てたんだろう。俺が……恋人といたところ」 「はい」丹羽さんは頷いた。期待に膨らんでいた心臓は、みるみるしぼんでいってしまう。「心配しなくても、そんな大声で言いふらしたりしませんよ。でも、一人では抱えきれなくて、ちょっとだけ友達には話しちゃいましたけど。それ以上は誰にも言いません」 「そ、そうか……ならいいんだ。言いたかったのはそれだけ」  そのためだけに自分を待っていたのか。そう思うと、丹羽さんとしては気に入らなかった。そう、彼には恋人がいることはわかっている。だから、そんな不満を抱くのもまったくの筋違いであるし、自分は横恋慕している、いわば邪魔者でしかない。それもわかっている。これがラブストーリーの少女漫画であれば、恋模様を盛り上げるために出された、当て馬だろう。  わかっているけれど、だからといってそこで引っ込めるほど良い子ではない。  この時、彼女の中に潜む悪魔が、とつぜん閃いたように囁きかけたそうだ。  良い人ぶって、このまま終わってしまっていいのか。本当に欲しいのなら、あがいてみるしかないはずだろう。邪魔者の自覚があるなら、良い子の顔でいようとしないことだ。  そうして、気が付いた時には、もうこんなことを口走っていた。 「誰にも言わないでくれ、って……何か疚しいことがあるんじゃないですか」  もしも、時間というものに色や音があったのなら、錆色になって、ギシリと音を立てていただろう。そして、壊れた映写機で映し出される映像のように、いろんなものがぶれてしまっていたかもしれない。天気のせいで、周りの景色は色を失っていたのだし。  それが、悪魔の仕業、というものなのだろう。  そして、ぎこちなく高梨先輩は口を開いた。 「なんだよ。脅そうっていうのか」 「いいえ、そんなんじゃなくて……二人の関係を看過は出来ないってことです。私は、先輩のことが好きだから」 「え?」 「好きです」 「え?」 「好きだって言ってるんです」 「え?」  このままだと、永遠にこの会話のループが続きそうであった。言葉が通じていないわけではないだろうが、どこかで高梨先輩がそれを拒否しているかのように感じられて、丹羽さんはますます悲しさとも虚しさともつかない感情で、じわじわと苦しくなっていった。  だから、不機嫌で投げやりな調子で言ってしまう。 「ここボケるところじゃないですから」 「ボケてるわけじゃないけど……何、その超展開」  そう、ふざけているわけじゃないのはわかる。ただ、丹羽さんにしてみれば、そんなに難しいことかとも、思ってしまうのだ。  その好意が嬉しいわけでも、照れているわけでも、困っているわけでもなくて。理解できなくて戸惑っている。  だったら、本当に困らせてやろう。  もう悪魔のささやきに何も躊躇うことはなく、丹羽さんは口にしてしまっていた。 「本当の超展開はここからです。……そこで提案なんですけど、私と付き合ってみませんか?」 「本当に超展開だな。……いや、だから、俺は……」 「本当に、っていうことじゃないですよ。表向き、付き合っているふりをするだけです。本当のことを誰にも知られたくないなら、私を隠れ蓑にして、利用すればいいんですよ。自分がゲイだって言えない人が、そうやって偽装結婚する話だって、どこかで聞いたことがありますし」 「まあ、なくはないのかもしれないけど……」 「私のことを好きじゃなくてもいいんです」 「だって……」 「罪悪感なんて感じることはないですよ。恋人に対しても、私に対しても。先輩があの人と一緒にいるためにすることだし、それに、これは私が言いだしたこと。私はそれでも、先輩の傍にいられればいいんです」  先輩はますます困惑していたのが、丹羽さんにもわかった。湿気を含んだ空気は何やら不穏で、どこかでカラスが鳴く声も聞こえてくる。 「丹羽さんさ……」  ふいに、高梨先輩は彼女に声をかけた。その視線は、どこか挑むようにぶつかってくる。 「何ですか?」  丹羽さんも、それを真っ直ぐに受け止めて、視線を逸らして逃げるようなことはしなかった。やっぱり、ドキドキと勝手に鼓動を速める胸に、静まれと言い聞かせながら。  それはまるで視線を逸らしたら負けてしまう勝負のように、お互いに瞬きすらもしなかった。やがて、そこにぽつりと高梨先輩の言葉が落とされた。 「悪い女だな」 「そうですね。先輩も、悪い男になってください」  ただ黙って、丹羽さんは先輩の返事を待っていた。期待はしていなかった。そんなことをあっさり了承する人などそういるものか。ましてや、高梨先輩は、あれで意外と頑固なところがあるのだし。  だから、さりげなく次にどんな一手を打つかも考えだしていたのだが、その前に先輩は答えた。 「いいよ、わかった。その悪魔の契約に乗った。俺は君を利用させてもらう」  どうして、そこで先輩がそんなに簡単に彼女の提案に乗ったのかわからないけれど、そこまでして真相を隠しておきたい事情が何かあったのかもしれない。  やっぱり、疚しいことがあるのか。相手が男であるということ以上の何かが。  まあ、そんな私の疑念はとりあえず置いておこう。  うっかり、手に持っていたコーヒーをこぼしそうになってしまった。丹羽さんは、にっこりと、バラの花のような、華やかで綺麗な笑顔で言うものだから。 「というわけで、私達、付き合うことになったの」 「うん?」 「だから、私は先輩の彼女、なの」そして、丹羽さんはわざわざこんな一言を、念を押すように付け足した。「みんなに言いまわっていいのよ」  私はこの一言で察してしまった。丹羽さんが出した答えと、先輩が出した答えを。それぞれに、そうしてでも守りたいものがあるのだ。  それが、ますます不毛なだけだとしても。正しいだけではどうにもならないことは世の中にいくらでもある。それが良いだの悪いだのと、勝手に決めつけてあれこれ言うのも余計なお節介でしかないのだろう。  それに、私には関係ないことだ。下手に口出しをして巻き込まれるのも御免だという気持ちが正直に言ってある。 「……ああ、そう。でもね、わざわざそんなことしなくても、みんなすぐになんとなく納得すると思うよ。丹羽さんが高梨先輩のことを好きなのは、クラスの誰でも知ってることだし。なんなら、もう付き合ってるって思ってる人もいるかもしれないよ」 「そうなの?」 「そうだよ。知らなかったのは丹羽さんくらいだよ」 「そうなの?」  どうしてそんなに意外そうな顔をするのか、私に言わせればわからないのだが。あれほどわかりやすいのに。  恋、というものを今まで知らなかったから、まだ幼い子供のようにそれが何かわかっていないだけなのか。  そういう私がわかっているということでもないから、あまり偉そうに言えることでもないので、あえて言及はしないことにした。 「まあ、そういうわけだから、その作戦、失敗はしないと思うよ」 「そうかぁ……みんなに、私は先輩の彼女だって思ってもらえているんだ」  たとえ、本当の恋人が他にいるのだとしても。  ただ傷つくだけなのかもしれない。私も、この時止めればよかったと後悔するかもしれない。でも、今の行動を後悔するかどうかなんて、未来の自分に聞いてみないとわからない。とりあえず、今目の前の丹羽さんは、ハンバーガーを頬張って、幸せそうにしている。それを見ていると、やっぱり自分の一方的な正論を押し付けるのもいかがなものかと思ってしまう。  私は甘いのか。 「ハンバーガー、美味しい?」 「うん。……今度は一緒にパフェ食べようね」 「先輩と行けば」 「あ、それいいね。放課後デートかぁ……」  丹羽さんの中で夢が膨らんでいっている。真実を覆い隠すための嘘は、毒になるのか薬になるのか。悪あがきなのか、解決策なのか。  コーヒーだってミルクも砂糖も入れてしまう、苦さは苦手で未熟な私たちは、どこへ向って行くのやら。  いや、これは私には関係ない話のはずだが。
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