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独白
その翌日のことだった。
あっという間に、丹羽さんと高梨先輩が付き合っているという噂は広まっていった。断っておくが、私は何も言っていない。本人たちが勝手に見せつけたのだ。まあ、そうしなければ意味がないのだから、もっともなことだが。
なぜなら、その日から丹羽さんは裏庭にいる高梨先輩を見つけて走って行くのではなく、わざわざ三年生の教室まで彼を迎えに行ったからだ。そして、腕を組みながら中庭に現れる。そんなことをすれば、少なくとも双方のクラスの人間にはすぐに知れ渡るというわけだ。
そこから、インフルエンザウイルスが猛威を振るって次々に感染していくように、三日もすれば二人は学校中が知っているカップルとなっていた。
私はと言えば、丹羽さんからも先輩からも何も絡まれることはなく、平和なものだった。そう、二人からは何もなかった。もう一度言うが、二人からは。
ただ、その三日目に、もう一人妙な客がやって来たのだ。
ホームルームも終わって、クラスメイトは各々散り散りに帰るなり部活動へ行くなりし始めて、教室内が忙しなくざわついている時だった。
「すみません、安藤桃香さんっていますか」
教室の戸口で、聞きなれない声が私を呼んでいた。ふと振り向くと、すっきりと短く整えられた髪によく似合っている切れ長の目。人を威嚇するわけではないが、どこか緊張させられる雰囲気。高梨先輩がチワワなら、この人はシベリアンハスキーといったところだろうか。
上履きのラインの色が緑色ということは、三年生だ。
「あ、真尋。どうしたの?」
呼ばれたのは私だが、何故だか丹羽さんが立ち上がって彼のところへ駆け寄って行った。知り合いなのだろうか。先輩なのに、親しげな調子で話しているし。
「安藤さんって人に用があって来たんだけど」
「そうなんだ。……おーい、安藤さん、呼んでるよ」
手招きをして、丹羽さんは私を呼んだ。
「う、うん」
まったく見知らぬ人だし、どうして私のことを知っているのかもわからなかった。何だろうか、知らぬうちに知らぬ人に恨みでも買うようなことをしてしまったのだろうかと、私は内心びくびくしていたが、よくよく考えてみれば、丹羽さんの知り合いということは、丹羽さん絡みの話しに違いない。なんとなく、そんな予感はしていた。
廊下で話すのではなくて、わざわざ丹羽さんの目につかない校舎内の一番端にある美術室の前に連れて来られたところも、その予感が確信に変えていく。
私は遠慮がちに聞いた。
「何の御用でしょうか」
「あ……俺、満月の幼馴染の佐々木真尋といいます。あいつとは家が隣だから、生まれた時からずっと知ってて。君……満月の友達だよね。満月が、よく君の話をしているから」
「友達……」
いい加減それを否定するのも面倒になって来たが、丹羽さんの方がどう思っているのかはわからない。もし、親友だと思ってくれているのなら、否定するのも気が引けるくらいには、思っていた方がいいのだろうか。
私にだけ、秘密を打ち明けてくれたのだし。
でも、その甘さは、さらなる面倒ごとに巻き込まれることになる可能性も無きにしも非ず。
「まあ、そこそこに」
と、適当に答える。明言はしたくない。でも、全く否定をしないのならば、彼にとってはそれで納得できるのだろう。私たちの関係についてそれ以上追及することはなく、話を続けた。
「あのさ……ちょっと満月のことで聞きたいことがあるんだけど」
「はぁ……」
この人もまた、私に探りを入れてくるつもりなのか。よりにもよって、どうして私なのか。
そんな私の心中などお構いなしに、彼は話を続けた。
三日前のお昼休み、佐々木先輩と高梨先輩のクラスである三年七組の教室。
突然にパンが入った袋を抱えた丹羽さんが姿を現して、佐々木先輩は不思議に思ったそうだ。わざわざ自分に用があってこの教室までやってくることなどほとんどないのに。
ましてや、自分以外に三年生に知り合いがいるとも思えないのだが。
「満月……どうした?」
声をかけても、まだきょろきょろと教室の中を探しているようで、どうやら自分に用があるわけではないらしいとわかると、佐々木先輩は少しがっかりしたとかしなかったとか。
「あ、ちょうどよかった。真尋、高梨先輩はいる?」
「高梨って……高梨昴か?」
「うん」
「わかった。ちょっと待ってろ」
そうは言ったものの、なぜ急に丹羽さんが高梨先輩に会いに来たのか、佐々木先輩にはさっぱりわからなかった。毎日の裏庭の様子は、この教室からも見えるのだが、そんなことは気にしたことがなかった佐々木先輩は、毎日二人がそこで昼食を取っていることを知らなかったのだ。
もう小さな子供ではないのだし、丹羽さんがどこの誰とどういう繋がりがあろうとも、彼女には彼女の世界があるというだけの話なのに。それが、まるで遥か彼方のたどり着くことが不可能な場所のようにも感じてしまったそうだ。
丹羽さんを背にして、ちらりと一度振り返りながら、高梨先輩を呼びに行った。
「高梨」
「何だ?」
「呼んでるぞ」
そう言って、佐々木先輩が教室の後方の戸口を指した。すると、丹羽さんが笑顔で手を振ってくる。一瞬、困ったように苦笑した高梨先輩は、それでもちゃんと丹羽さんのところへ行った。
すると、丹羽さんは人目を憚ることもなく、するりと自分の腕を先輩の腕に絡ませたのだ。
「一緒にお昼食べましょう」
「……うん」
思い思いに談笑しながら昼食を食べていたクラスメイトたちは、ちらちらと二人に注目し始めた。そうなってくれれば、丹羽さんがこのクラスにわざわざやって来た意味もあるというものだ。
でも、佐々木先輩からしたら、それはどことなくわざとらしくも感じたそうだ。そう感じたのは、自分が認めたくないからだったからなのか、二人の演技が過剰だったからなのか。
とにもかくにも、彼は納得できなかったのだ。何が、と言われればわからないが。だから、気が付いた時には、教室を去ろうとしていた丹羽さんの腕を掴んで止めていた。
「何?」
そう聞かれて佐々木先輩は慌てて掴んだ腕を離した。ここで引き留めてどうしようというのだろう。何を言おうというのだろう。自分でもわかっていないのに。
「いや、何でもない。ごめん」
「変なの」
「変なのはお前だろう」
つっかかってくる佐々木先輩に、丹羽さんはむっと顔をしかめて、このまま口論へ突入するかと思われた。けれど、意外にもそれを阻止したのは、高梨先輩だったのだ。
「変じゃない。別に、何も変じゃない」
どこか、無理矢理ねじ伏せようとするような、有無を言わせぬ強い調子で、そう言った。そして、真っ直ぐ自分を見てくるその目に、佐々木先輩は何も言い返せず、ただ二人がどこかへ行ってしまうのを見ているしかできなかった。
この三日間というもの、同じことが繰り返されている。何も、彼女に言えぬまま。
遠くで、男子生徒がはしゃいで騒いでいる声が聞こえてくる。それに対して、文句を言っている女子生徒の声。
彼は、ぽつりとずっと聞きたかったことを漏らした。そんなこと、私に言ってもしょうがないのに。
「高梨と満月は、一体どういう関係なんだ?」
どうしたものかと思案して窓の外を見ると、太陽が燦々と輝いていて、なんだか清々しい。
だから、私は清々しくすっぱりと切ろう。
「……ああ。そうですね、あなたには残念なお知らせになってしまいますが……世界はほんの一瞬でひっくり返ってしまったんですよ。あなたの理解が追い付かないくらいに」
「そうだろうな」
少し言い過ぎたか。佐々木先輩は、明らかにさらに表情を曇らせた。
仕方なしに、私は出来るだけ詳しいことがわからないぎりぎりの範囲の言葉を探して、こう言った。芋づる式に、高梨先輩の秘密まで引きずり出されてしまうことになるのだから、尚更喋るわけにはいかない。二人の人間から恨まれるようなことをして、何かの得になるどころか、損失しかない。
「丹羽さんは、ちゃんと高梨先輩に自分の気持ちを伝えたんです。それだけのことですよ。それに、丹羽さんが誰を好きになっても、あなたには口出しをする権利なんてないですよね」
「うん、それもごもっとも。でも、そういう正しい理屈抜きでさ……ただ、心配だから」
心配って、どういう心配なんですか。
私は、そんな疑問を口には出さなかった。それはそれで、この人が大切にしているものに土足で踏み入ることになりそうだから。それに、これ以上下手に首を突っ込みたくない。それが一番の本音かもしれない。
でも、こちらが何も言わずとも、相手は勝手に語ってくれた。そんなこと、これっぽっちも期待していないのに。
「いや、心配っていうのは綺麗事かな。寂しいっていうのとも、多分少し違うし。そこに独占欲みたいなものがあるのは、認めないといけないかもしれない。でも、満月は満月の自由に、好きなようにしていてほしいし。だから、俺は本人にあれこれ追及できないのかもしれない。なんだかそれは、満月のことを縛り付けようとしているみたいで」
そんな独白いりません。私はまた、勝手に要らぬ重荷を背負わされるのでしょうか。
心の中で冷や汗をかきながら、私は必死にそう唱えた。でも、もう遅い。この人の心の中にあるものが、垣間見えてしまったのだから。
出来るだけ、そこに踏み入らないように、私はどんな言葉を言ったらいいだろうか。考えるよりも、どこか本能的に、私はこう言っていた。
「大切にしてるんですね、丹羽さんのこと」
「まあな」
そこは否定しないようだ。むしろ、堂々と答える。
そうしたら、なんとなく気になってしまった。丹羽さんはこの人のことをどう思っているのだろうか。
聞くだけ無駄なのかもしれないけれど。丹羽さんの気持ちは、もう随分はっきりしているのだから。本人にその自覚がなかった時から、明らかに。それが、実らない恋であっても。
世の中、上手く回らない。みんなの思いは、ちぐはぐだ。
これも神様の悪戯なのだろうか。
「どうしても納得できないなら、はっきりそう言うしかないんじゃないですか」
「そりゃあそうかもしれないけれど……でも、なんかおかしいんだよな」
「何がですか?」
私はすっとぼけたふりをした。そんなことで逃れられないのはわかっているけれど。
「いや、なんていうか、妙に芝居くさいというか、どこか過剰というか、わざとらしいというか。だから、普通に二人が付き合ってるわけじゃないんじゃないかと思って、君に聞きたかったんだ」
「あなたにはあなたのやり方があったように、丹羽さんと高梨先輩にも彼らなりのやり方があるんです。じゃあ、もし、二人が普通に付き合っているんだったら、どうするんです?」
「それならそれで……いいんだ」
「本当に?」
「え?」
苛立ったのか、悲しくなったのか、憐れんだのか、呆れたのかわからなかったけれど、とにかく私は、この人に対して、このまま黙っていてほしくはないと思ってしまった。そんなに丹羽さんのことが大事なら、彼はこのまま黙っていてもいいのか。
私は一体誰の味方なのか、彼らのこんがらがった関係がどうなってほしいのか、自分でもよくわからなくなる。
それでも、このままじゃフェアじゃないと思うから、私の口は止まらなかった。
「それは本当に本音なのか、って思っただけです。結局こうして私にグダグダいろいろ言いに来たわけですから、嫌なら嫌って言えばいいんですよ」
「そんなことしても、満月は喜ばないだろう」
本気でそんなことを言っているのかと、私は少々疑わしく思った。どれほど、人を大事に思うということにもいろんな形があるのだと、この時の私は知りもしないから。
でも、その時、ちょっと冷静に頭を働かせて、こう考えたのだ。私にそんな嘘を付いても、何の意味もない。それに、この人は本音しか喋っていないのはなんとなく伝わってくる。
そういう結論に自分の頭の中で至った時に、私の中に浮かんできた言葉は一つだった。
「馬鹿ですか」
「そう、馬鹿なんだ」
でも、私はこの時思ってしまったのだ。この人が、そういう自分の馬鹿さ加減を突き破ってしまって、一歩踏み出せば、いろんなものがすっきりしたところに収まりそうな気もしなくもないのだが。
でも、人の気持ちはそこまで単純には出来ていない。
私があれこれ考えてもしょうがないのだが。
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