case.1

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case.1

「っはよーーーっ!!!!」  ハツラツとして甲高い声が、夏休み間近の浮かれた通学路を歩く生徒と、住宅街の壁に一回。二回。三回。四回。そのあと何回か跳ね返ったあとようやく僕の耳の中に入ってきた。 「なっちゃん……朝から大声で話すのやめてっていつも言ってるじゃん……僕、目が覚めてまだ20分くらいなんだからさ…」   僕は頭の中でゴムボールの如く跳ね回る彼女の声を右耳から左耳へ受け流しながら言う。 「ウチと4時半に起きてジョギングしよって言いよるじゃろ!!!」   このよくわからない方言の使い手の彼女こそ僕の幼馴染かつ鬼教官の秋野 夏樹あきの なつきである。   ちなみに生まれも育ちも一緒だし、秋野家で唯一彼女だけこんな感じの話し方だ。彼女いわく昔、僕の家で爺ちゃんが見ていた怖い人が出ている映画を観てそのジャンルにハマったのが原因らしい。 「なっちゃんが夜遅くまで僕の部屋で映画見てるから、眠れないんだよ…おかげで変な夢見るようになっちゃったし…」   男たちの怒号が飛び交い、ビール瓶で頭をカチ割り、血飛沫が舞う。そんな映画を日常的に見せられたら、いや音や台詞を聞かされるだけでも、悪夢を見るに決まってる。   夏樹がハルくんの精神力が足りてないだとか、ジョギングだとか、寒風摩擦だとか、漢方だとか、少林寺拳法だとか。よくわからない健康法を勧めてくるのを「いい天気だね」の一言でさらりと受け流したところで彼女の強烈なスパイクが僕の背中で炸裂する。いや、爆裂とでもいった方が正しいように思える。必殺「秋のもみじ」   一年にしてバレー部のレギュラーを勝ち取った彼女の手形は3日は背中にアザとして残る。一部界隈ではその手形には御利益があるそうで  レギュラーが取れただとか、彼氏彼女ができただとか、ペットが生き返っただとか庭から石油が出ただとかそんな噂がある。幼少期から通算3万発はくらっている僕にそんな恩恵が舞い降りたことは一度もないのだけれど。  必殺スパイクで強制的に脳を覚醒させられて、わすか三分で既に彼女のマシンガントークの内容はコロコロと変わり   おきまりの健康法から昨日見た足が5本の野良猫(結局、尻尾を足と見間違えただけ)から、好きな芸人の話、ヤクザ映画の話、部活の話から、昨日見た足が3本のサラリーマンの話(傘を足と見間違えた)などその他、et cetera、etc.をたったの10分で話し終えてしまった。恐ろしい子。次々と発せられる言葉に方言がコーティングされる事により、僕の脳は言葉の意味を理解するのに二倍のスペックが必要だった。結果、処理が追いつかないと判断したのか、僕は「うん」「わかる」「そうだね」という当たり障りのない言葉を自動で発するロボットになっていた。   僕はこんな感じだけど、快活な性格と、運動神経、コンクリートだらけの都会で方言というギャップに惹かれる人も多いそうで、男女共に人気があるとか。さすがにファンクラブが存在するってのは耳を疑ったけどね。 「そういえば今週末の試合、観に来てくれるん?」   夏樹がふと思い出したように尋ねるので自動応答モードを解除する。そういえばそうだっけ。確か夏樹のレギュラーとして初の公式試合だ。 「あ、うん。ばあちゃんがお弁当作って行くって。」 「ほんまに!?やったー!おばあちゃんの卵焼きは日本一じゃ!!」   いや世界一!いや宇宙一?と目を輝かせながらガッツポーズを決める。さっきウチで僕の分の卵焼き奪ったくせに。弁当ウィンナー僕がもらってやる。   夏樹と祖父母はやけに仲がいい。というのも僕の両親が幼い頃に亡くなって、僕が祖父母の家に預けられる前からご近所同士の夏樹と祖父母は面識があって夏樹と僕が幼馴染という関係になってからはより一層仲が深まったそうな。  なんだか、実の孫より孫っぽくて正月のお年玉なんて僕より夏樹の方が500円も多かったくらいだ。 「で?ハルくんは?」   夏樹が目を伏せて少し照れくさそうに聞いてくる。 「え、僕は煮物の方…ガフゥ」   僕の脳天に夏樹の手刀が。これは必殺「 いや、うん。単純にチョップ。正確に頭部の中心に当てるのは彼女の持つ動体視力ゆえだろうか。一瞬記憶が飛んだ。 「試合よ!試合!観に来るの!来ないの!」   跪いてしまった僕はあ、そっちね、と言おうとしても、フェットチーネという言葉しか出なくなってしまった。ふぇ、ふぇーっと、考えがまとまらない。足に力が入らない。 「ハ、ハルくん?ごめん!強くやりすぎたかな」   夏樹から方言が消える。本気で心配してる時だ。あれ?でもどうして…こんなのいつもの事で…慣れてるはずなのに…   夏樹のチョップは通算10万発はくらってる。 「だい…だいじょぶ……観に行きます…」   僕がそんなことを言ったもんだから、え?観に来てくれ……いやいやほんとにだいじょっ、えぇ?と夏樹は軽いパニックを起こしている。 ははは、あ、やばい、気絶する。あとは任せた。なっちゃん。 ………………… …………… ……… …… … .. . 「〜〜〜♪」   母さんの声がする。   母さんの記憶はないけど、子守唄をよく歌ってくれたのだけは覚えてる。   歌詞の意味はわからなくて、天使とか神話とかはわかったけど、テーゼとかパトスとかなんだそれって思ってた。   それが子守唄じゃなくてアニメの主題歌だと知ったのはかなり最近のことだけど。子供にアニソン聴かすな。子供には深すぎて溺れる。   そんな、懐かしい母の声が、歌声が…… どんどん遠くなる。 どこかへ消えてしまう! 待って!待って! 「母さッ…………!ン?」 見知らぬ天井と見知らぬ白衣を着た女の人。  ……女の人?  細身で、少し背が高くて、髪の長い、澄んだ目をした女の人… 「・・・」 「・・・」  目があって数秒。双方言葉を発することもなく。  変化といえば不審な女性の顔がどんどんと赤くなることのみ。だが、ようやく相手が口を開い…. 「きッ…聴いたなァ…!」  ブッツリ  なんだか物凄い衝撃とともに僕はまた気を失った。 〜〜〜ん   ンぅ…… う……さ〜〜ん   うるさいなぁ… う…べ…は….さ〜…n   なっちゃん音量下げてよ…… うらべ はるあきさ〜ん   え、僕の名前…やば、授業中だっけ… 卜部 晴明うらべ はるあきさ〜ん 「ハッ、はい!」   僕が勢いよく身体を起こすと、僕の横に立っていた素っ頓狂な顔をした女性と目があった。こんな先生いたっけ。あれいつもの教室とは違う、制汗剤やらの匂いではなく清潔な、消毒液の匂い。というかなんでベットに…… 「う、卜部さんがお目覚めになりましたぁぁ」   と僕の目を見ながらその女性が叫ぶ。あ、はい。おはようございます。女性はハッとなってパタパタと音を立てながら走り去っていった。 薄い黄色の服と薄い緑のカーテン。純白のベッドと天井。あぁ、両親を看取ったあの場所と同じだ。 「そっか、僕…病院に運ばれたんだ。」   てことは看護師さんだったのか。あの人。 なんだか一度目が覚めた気がするんだけど、うーん思い出せない。   看護師が走り去ってから数分、ドタドタと何者かが廊下を走りすぎていった。それはバッファローのような足音と、チーターのようなスピードだった。まさに肉食と草食の両方を兼ね備えた感じ。 あとから 「秋野さん!通り過ぎました!」  という声とともにまた足音が近づいてくる。 あーあ、嫌な予感がする。  そういえばスカイダイビング中にパラシュートが開かなかった場合、全身の力を抜くと生存率が上がるって何かで見た気がする。理屈はよくわからないけれど。  僕は深呼吸した。息を吐くのと同時に全身の力を抜く。僕はイカだ。タコだ。   そう心で唱えてから、ゆっくりと目を閉じた。   ガガガ!!とスライド式のドアが勢いよく開く音が聞こえる。 「バ゛ル゛ゴ゛゛ン゛はるくん!!!」   鼻水と涙で水浸しの顔をした夏樹がものすごい嗚咽とともに病室へ駆け込んできた。   宙へ浮く夏樹の恵体。   僕と同じくらいの身長の彼女を僕が受け止めるのは不可能だということは火を見るよりも明らかだ。抱きついてきたというよりは、悪質タックルというべき彼女の抱擁。  彼女の肩が容赦なく僕の喉を抉った。 「ニェっク?!?!!!」   という声は出てしまったが、今の僕はイカであり、タコであり、クラゲだ。肩と平行に首をずらせばいいだけ。インド人が首を左右に揺らすやつと同じで、僕は前後に揺らした。秋野夏樹の幼馴染にはその程度、朝飯前の晩飯後よゆうのよっちゃんなのだ。   されど、しかしながら、but、夏樹の悪意のない猛攻はつづき、膝が僕のみぞおちにキマる。無慈悲。さすがに内臓へのニー・キックは耐えられない。 意識が遠のく…… 嗚呼、世界は今日も平和だ…
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