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5 days ago - December 20
「じゃ、パトリック。館林によろしくな」
タンタン旅行社の本社長、北山はバシバシっと顔立ちのきれいな男の肩を叩く。男は長三山ミヒロの彼氏で中華系の外国人だった。
パトリックが支社にいた頃に担当していた王子様ツアーの問い合わせが、12月のクリスマス時期に合わせて殺到し、その数が半端ではなかったので王子様ツアーを限定的に復活させることになった。日時はパトリックが抵抗したかいがあったのか、なかったのか、当日を除くクリスマスイブまでの12月22日から24日の3日間に決まった。
(やっぱり嫌だな)
内心ミヒロはこのツアーを復活させることを反対していた。しかし、お世話になっている会社のためにとぐっと我慢した。
(クリスマスには帰ってくるし、たった3日間だもん。いいよね)
「長三山さん、パトリックと離れるとさびしい?」
ふとそう声をかけられて、ミヒロの顔が図星を指され真っ赤になる。声をかけたのは隣に座る木田タケルだった。
「別にそんなことはないです」
「本当?」
木田は完璧に動揺しているミヒロのくすっと笑いかける。
「本当です!」
「長三山さん、怒っちゃってかわいいな」
(かわいい?!)
そんなことを言われ、ミヒロの顔はますます赤みを帯びる。
「ミヒロ」
木田が他に何かを言おうとした瞬間、二人の間に割って入ったのはパトリックだった。
「あ、パトリック」
ミヒロは助け舟がきたとほっとして顔を見上げる。隣の木田はやれやれと首をすくめた後、くるりと回転椅子を回し、パソコンに目を向ける。パトリックは一瞬目を細めてその横顔を見たが、気を取り直すとミヒロに笑いかける。
「ミヒロ。I’m going to a meeting. I’ll go back home late today (ミーティングに行って来る。今日は帰りが遅いから)」
「うん。わかった」
「マタネ」
パトリックはそう言うと書類の入った鞄を抱え、事務所を後にする。寒いのが苦手な男はかなりの厚着をした上に、コートを羽織っていた。
(なんか黒い雪だるまみたい)
ミヒロはその背中を見送りしながらそんなことを思う。
「長三山さん、顔がにやけてるよ」
「え?!」
ふいにそう言われミヒロはばっと両手で顔を押さえる。すると木田がくすくすと笑った。
「うっそ。長三山さんってからかいがいがあるよね~」
「木田さん!」
(まったく、何でこの人はいつもそんなことばかり!)
木田は20代後半の男で、以前タイで別の旅行社に勤めていた。体育会系の体つきだが、物腰は柔らかく、そのギャップでもてそうな男だった。男は数ヶ月前にタンタン旅行社に入社し、どういうわけかミヒロによくちょっかいを出してきた。同じ事務所内ということでパトリックが面と向かって木田ともめたことはないが内心苛立ちを募らせていた。しかし、彼女はそんな彼氏の苦労もわからず、日々隣に座る木田のからかいの言葉に素直に反応して過ごしていた。
「Christmas ?(クリスマス?)」
「是。Christmas。我们在一起……(そう。クリスマス。私達一緒に……)」
アキオがそう言いかけると、パソコンの画面上のアイリーンの姿が揺れ、消えた。
「不好意思。我要工作。那一天我很忙。(ごめんなさい。仕事があるから。その日が忙しいの」
しかし声だけはヘッドフォンから聞こえてくる。どうやらパソコンを置いている机から離れたらしい。ガサガサと音も聞こえる。
「但是你完了工作的时候,可能……(しかし仕事が終わった後とか……)」
アキオは主がいない薄暗い画面に向かってそう言う。
「对不起。我要出去做工。(ごめんなさい。仕事に行くから)」
歌姫の衣装に着替えたアイリーンが一瞬映り、そう声がすると無残にも画面が急に真っ暗になった。
(切られたか)
アキオはため息をついて天井を仰ぐ。
付き合っているというか、友達に昇格してから2週間が経とうとしていた。クリスマスが近づき始め、今年はアイリーンと一緒に過ごそうと思って予定を聞いてみた。しかしアキオの歌姫はいつもながらつれない態度だった。
(我ながらこうも冷たくあしらわれて、諦めないのがすごいな)
1週間前に3度目の渡航を果たした。しかし週末は特に忙しいアイリーンとゆっくりすごくこともなく、キス以上進展していない。友達という間柄、それは普通なのだが、アキオは彼女に触れたい、抱きたいと考えていた。
しかし、触れると変態と言われ射殺すような視線を浴びせられ、手をつなぐこともままならない状態だった。
(でも、絶対に私のことが好きなはずだ。いっそ無理やり押し倒すとか)
そんなことを考えアキオは苦笑する。実行に移したら関係が終わるのはわかっていた。強情な歌姫は今度こそ彼を許さないはずだった。
アキオは椅子から立ち上がると背伸びをする。今日は早めに仕事から戻ってきたので、時間はまだ7時を過ぎたところだった。窓の外から夕食の準備をする隣の家族の様子が見える。
(そういえば腹減ったな)
ふいに腹がすいたことに気づき、窓のカーテンを閉めると部屋を出る。
(確か、冷凍庫にピザが入っていたような……)
そう思い台所に向かおうとしたら、ピンポーンとインターフォンが鳴る。
(なんだ?来客はいないはずだが?)
顔をしかめながらもアキオは玄関に向かう。インターフォンの画面を見ると、そこに映っていたのは端正な顔立ちの華僑、パトリック・コーだった。
「鈴木?まだ事務所なのか?」
午後8時、事務所の電話が鳴った。通常ならば取ることはないのだが、その日に限って取った。するとそれは彼氏であり、社長である館林からの電話だった。
「やることがたまってるんです。社長の業務は終わりですか?」
「終わった。これからうちに帰るけど、今日はどうする?」
「……今日は家にまっすぐ戻ります。明日はパトリックが来る日ですよね?いろいろ準備もしたいですし」
「パトリックか。奴のことなら心配しなくても、どうせツアーは明後日からだろう?」
「そうですけど……」
館林の少し苛立った声が電話口から聞こえる。一緒に過ごしたいと思っているのがわかった。
(でも家に行くと、半端なく疲れるから無理)
「社長。今日は無理です。明日なら」
「明日か。明日だな。その言葉忘れるなよ」
館林はそう言うと電話を切った。
ユウコは受話器を元に戻すと息を吐く。
館林と付き合い始め半年になろうとしていた。経費も浮くし、一緒に暮らさないかという誘いを受けたが、自分の時間を大切にしたいと言って断ってきた。
館林と一緒にいる時間が大好きだった。あの瞳に見つめられ、他愛のない会話をしながらテレビをみる。安心できる時間だった。しかし、それに浸ると抜けられなくなりそうで怖かった。館林はもてる。いつの日か彼が別れを切り出すのではないかと思い、ユウコは怖くて一緒に暮らしたくなかった。
(どうして彼は私と付き合ってるんだろう)
付き合って半年目を迎える今、ユウコはそんな疑問を持つようになっていた。
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