WSADA 水野ミサキ

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「はじめまして、ね。ジュイチ君」  喫茶店の窓際席に座り、彼女が再び微笑む。何処か、ゾッとする警戒心を呼び起こされる『笑み』だ。 「……あの、それで『どなた』ですか?」  憮然として香坂が尋ねる。相手は自分の事を良く知っている風だが、自分はこの女性の事を何も知らないのだ。 「ああ、ゴメンね。自己紹介が遅れて。……ところで、とりあえず注文は『アイスコーヒー』でOK? 今日は暑いしね。それと、何か軽食がお望みなら注文して貰って結構よ。奢るから。何、どうせ経費なんだから気にしなくても構わないわ」  女性は香坂の様子なぞ全く気にかけない様子で、ウェイトレスに『とりあえずアイスコーヒー二つね、ガムシロップとクリームも二人前お願い』と注文をいれる。  ……ボク、ブラック派なんだけどな。  香坂は、女性のマイペースぶりに少し呆れていた。 「ああそう、自己紹介の途中だったわね。私は『水野ミサキ』って言うの。『ミサキ』って呼んでくれればいいわ。日本では『下の名前で呼ぶのは失礼』って習慣があるけど、チームの仲間からもそう呼ばれてるから。その方がしっくり来るのよ」  『ミサキ』はそう言って、ふふ……と微笑んだ。 「ミサキ……さんですか? それで、僕に何の用事なんです? 僕が知っている事は、全て警察に話がしてあります。それ以上は何も知りませんし、何も隠してません」 「そう……?」  運ばれてきたアイスコーヒーのストローに、ミサキが口を付ける。 「うーん、甘くて冷たいし。夏はこれよね。……で、『何も知らない』し『何も隠して無い』と……でも、『何も考えてない』とは言わなかったわね?」 「……っ!」  再び、香坂がドキリとする。  まるで、心の中を見透かされたような気がして、顔が強張った。 「あるんじゃないの?……何か『思うところ』が」  顔をうつむけ、下から見上げるようにしてミサキが香坂の眼を見つめる。 「な……何で、そう思うんです?」  思わず、香坂が顔を背けた。 「実はね、あっちこっちでアタシのチームの人間が『マスコミのフリ』をして取材していたのよ。……流石にやり過ぎて出禁食らっちゃったけど。でも、その時に『ジュイチ君が、何かを疑っているようだ』って情報を仕入れてね……」  さらっと言うが。  そこだけを聞いていると、まんま『秘密情報局員』のようである。 「……あの、ミサキさんは何の仕事をしてみえるんです?」  すると、ミサキはスーツの胸ポケットから『名刺』を出して見せた。 「ああ、そうそう。すっかり忘れてたわ!……ゴメンね、これ『見せる』事は出来ても『あげる』事が出来ない名刺なの。だから、必要事項があれば後でメモしておいて?」 「え?こ、これ……っ!」 思わず息を飲む。  シルバーのチェーンがついた、銀色に鈍く光る金属の薄い板。  そこには黒い文字で名前の他に、香坂が思ってもみなかった所属先が記されていたのだ。 「国際スポーツアンチドーピング連盟(WSADA) 主任調査員・水野ミサキ」  ……と。 「ド、ドーピング……!」  意外過ぎる文字に思わず絶句する香坂を押し留め、ミサキがニッコリと笑う。 「あとで、ジュイチ君のスマホを貸してくれる? アタシの連絡先、入力しておくから」
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