第2章 第6話 おさわり探偵

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第2章 第6話 おさわり探偵

 麻莉は突然のセクハラ探偵の出現に目を丸くした。  泉美がベロを出す。 「あたしが呼んじゃった。旅館に電話したら、空き部屋はいっぱいあったから。今夜、台風来るじゃん。それでキャンセルとかいっぱい出ているんだってぇ」  ちょっと前まで、彼氏いないふりをしていたのでは? どういう風のふきまわしで探偵を呼ぶことになったのか。  それにしても探偵が来ていたとは。 (台風より、この探偵の方が怖いんだけど……)  台風で思い出したけど、今日の服装は失敗した。白いスカートなんか履いてきてしまったが、汚れたらどうしよう。  泉美も高そうなスカートだからいいかな。泉美は、この旅行に合わせて、髪色を派手にしていた。ハーフっぽくて美しいシルクの髪だった。うらやましい。  江口探偵は仕事の時よりは若干ラフな格好だった。シャツは出していて、下は紺のスラックスだった。  視線が合うと、江口探偵がおじぎした。 「麻莉さん、ストーカーから守ります」 「こんなところにストーカーが来るわけないじゃないですか。むしろ、探偵さんがストーカーです!」 「いや、そうでもないよ」江口探偵が売店をあごで指した。「危険な予感がしていた」  売店にいる男の後ろ姿を見て、麻莉は恐怖を覚えた。背の高い、ガタイのいい体躯は覚えがある。よくコンビニ来るクレーマーの常連客だ。江口探偵の話では、彼も自分のストーカー候補の二番目だったが、本当にストーカーだったのか?   今日は二人のストーカーに会って、本当に運がない。もう一人の痩せているストーカーは幸いにも来てないようだが。  目が合う前に、早く部屋に入ろうと思った。  麻莉はバイト後に誰かに追いかけられたのを思い出した。追いかけてきたのは、あのクレーマーだったか。しかし、合点のいかないことはある。なぜ、自分より先に旅館に到着しているのだ。  話がややこしくなると思って、バイト後にストーキングされたことは黙っておいた。  江口探偵の提案により、麻莉の部屋で話すことになった。旅館では、麻莉の隣の部屋が泉美と信也の部屋である。探偵は急遽受付したため、部屋は近くないので、その点はよかった。  泉美の彼氏、信也が皆に訊く。「あの大きい男ってなんかやばい奴なんすか? さっき喫煙所で会ったけど……オレ、状況が分かってなくて」  信也は今まで探偵事務所にはついてきてなかったので、状況を把握していない。  江口探偵が信也に説明した。「麻莉さんのストーカーだと思われている男です」 「あー、それで探偵がここにいるんすね。あの大きな男、どんなやつなんですか」  江口探偵は写真をテーブルに並べた。 「名は、剛田勉。21歳。建築関係の仕事をしている。身長190センチ」  そこまで高かったとは。彼は、態度、声、背、と全てがでかい。背が高い方が好みだが、190センチはいきすぎだ。なんでもほどよいくらいがよい。そして21歳というのは意外だった。坊主で、顔がいかついので、老けて見えた。  江口探偵が麻莉に訊く。「麻莉さんは、今日ここに泊まることを公言していたのかい?」  なんでストーカーが来ているかってことだろう。 「誰にも言ってないです」 「家庭のゴミで、今日の旅行を指し示すようなものはあったかな?」 「うーん、あまり気にしてなかったですが……。パンフレット的なのがあったかもしれないです」 「ゴミを漁って、ここに泊まりに来るのを知ったかもしれないな。それか、盗聴器が仕掛けられていたか。どっちにしろ、事態はよくない。俺はもう一人の――山岸の方が怪しいと思っていたが、どうやら今いる剛田の方が危険なようだ。こんなところまで追いかけてきているからな」  クレーマーの方のストーカーには、江口探偵のことはばれたくない。探偵を雇っていると知ったら怒りを買うかもしれない。  麻莉は最大の疑問を探偵にぶつけた。「なんで、ストーカーはこんな旅行先にまで来るんですか。ここにきて、コンビニの時みたいにクレームを言うわけじゃないですよね」 「この旅館のメインは露天風呂だ。覗くためだろう」 「ひぃぃぃぃぃ」  今回の旅行の目的がなくなった。温泉のためにきたのに、温泉に浸かれないなんて。 「先手を打とう」江口探偵が歯を見せて言った。 「どんな作戦ですか?」  江口探偵は時に頼もしい。 「この旅館には、混浴風呂がある。そこにみんなで入ろう」  全く意味が分からない。先手でもなんでもない。悪手にもほどがある。江口探偵じゃなく、エロ探偵と呼んだ方が適切かもしれない。名は体を表すとはこのことか。苗字なので、全国の江口さんには申し訳ないが。  麻莉は呆れてモノが言えなかったが、泉美は嬉しそうであった。 「えー、混浴ですかぁ、恥ずかしいなぁ」 「皆で監視し合えばストーカーも手が出せない」  エロ探偵が精悍に言う。男らしさを見せているつもりかもしれないが、変態さしか示せていない。 「俺の背中で麻莉さんの裸は隠す!」 「混浴なんて入りませんっ!」 「あたしは賛成でーす」泉美は案の定、乗り気であった。  それに対して、泉美の彼ピが文句を言う。「おい、お前。探偵と混浴って……浮気じゃ……」 「はあ、何言ってるのよ、あんたも行くんだからいいでしょ」 「そっか、みんな裸になれば恥ずかしいことはないな」  みんなおかしい。これが若者のノリなのだろうか。ついていけない。異国の地に突然放り投げられたようだった。 「わたしは絶対に行きません! 勝手に三人で行って来てください!」 「じゃあ、江口さん行こぉー」  泉美は探偵の腕を取り、出て行った。  彼ピが、「待ってくれよ」、と追いかける。  麻莉は独り、部屋に取り残された。世界に自分一人しかいないのではかとの錯覚に陥る。  寂しい。  部屋が暑かったのでクーラーをつけた。  エロ探偵にも怒りが湧く。自分に好意を寄せているように見せかけておいて、結局は美人でスタイルよくて、明るい女の子が好きなのだ。自分は逆立ちしたって、泉美には叶わない。  さっきつけたクーラーがもう寒くなったので切った。  旅館に着いた時は天気だったが、雨が降ってきたのが音で分かった。雨が今の気分を表しているようだった。  クーラーはつけていないと、暑苦しい。でも、つけると寒い。一人空しく、つけたり消したりを繰り返した。  雨音に混じって、ノック音がした。  誰だろう。  開けると、江口探偵だった。 「忘れ物ですか?」 「いや、麻莉さんが気になってね」  遠慮会釈もあらばこそ、ずかずかと部屋に上がり込んできた。 「泉美の裸は見なくていいのですか?」 「俺は、麻莉さんの笑顔を守りたい」  麻莉は泣きそうになってしまった。 (わたしも守られたい)  寂しくなっている時に声をかけてくるなんてずるい。 「この部屋の浴室で、二人混浴をしよう! それなら、他の人に見られないし」  危なく惚れそうになったが、この台詞で全てが台無しになった。この人はエッチなことしか考えてない。 「絶対にいやです! 帰ってください」 「部屋で温泉気分が味わえるように、温泉の元も買ってきた」  江口探偵はこっちの返事も聞かずに、勝手に事を進め、風呂場に向かう。 (なんて強引なの!)  風呂場からお湯が張られる音がする。  先ほどの一瞬見せた優しさに流されそうでやばい。押しに弱い質なのだ。  どうしようと悶々としていたところ、泉美・信也カップルが戻ってきてくれて、助かった。麻莉は胸をなでおろした。  泉美・信也は混浴を満喫したようだった。泉美は髪を少し濡らして、首筋をほんのり赤らめさせていた。妖艶な雰囲気を醸し出していて、女性の麻莉もドキッとした。 「泉美と信也さんは本当に混浴に行って来たのですか?」  信じられない。 「残念なことにあたしたち以外、誰も来なかったの。この旅館、寂れすぎー」  泉美が残念がる。  泉美は見られたがっていたのだろうか。麻莉には全く分からない心境だった。  その彼氏も彼氏で、同じく落胆していた。 「俺も美女がいるかと期待していたのにな」 「ちょっと、信也。あたしがいながら何言っているのよ」 「冗談だって」  カップルは、じゃれ合っている。それが終わったら、泉美は何かを思い出したようだった。 「そうだ、江口さん温泉に浸からず帰っちゃうから、江口さんの裸見られなかったじゃないですかぁー。どこに行ったんですか」 「麻莉さんのことが心配になって戻った」 「あらあら、二人はもしかして」泉美は口に手を当てる。 「あれ、お風呂を入れている音がするような」信也がお風呂の方を見る。 「何もないから勘違いしないで!」  麻莉、泉美、信也、江口の四人で夕食。  ウェイターがお盆を持ってきた。刺身、小さい鍋、焼き魚、天ぷらだ。鍋は蓋がついていて中身は見えない。ウェイターが鍋の下にある固形燃料にチャッカマンで火をつけた。  旅館の食事のパターンだ。だが、それがいい。温泉を楽しめなかった分、食事を満喫しよう。  鍋の蓋を開けようと手を伸ばしたら、客が食事処に入ってきた。  緊張して蓋を戻してしまった。  見ると、おばあさんとおじいさんだった。よかった。ストーカーの剛田だったらどうしようかと思った。しかし、安堵はできない。いつ来るか分からない。  食が進まなくなった。あまり味がしなかった。旅館の食事は、温泉の次に楽しみなことであったが、不安なことが多すぎて食事どころではなかった。  江口探偵が箸を置く。 「夜は一人じゃ心配だろう。麻莉さんの部屋に泊まらせてもらうよ」 「やめて下さいっ! それ、ストーカーより危険です。鍵掛けるんで、大丈夫です」 「ションボリ」 「麻莉、身の危険が迫っているんだから、一緒のベッドで寝なよー」  泉美が余計な提案をする。 「死んでもいやっ!」  江口は性の権化だ。夜は共にできない。そんなことしたら、全てを奪われてしまう。せめて、初めては好きな人と経験したい。  麻莉は江口探偵が泊まることを断固拒否した。  江口探偵はなかなか譲らなかった。「じゃあ、俺の部屋に来る?」  部屋番号を教えられたが、もちろん行くつもりはない。  そして、夜は一人になった。
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