685人が本棚に入れています
本棚に追加
僕の兄さま
湿った咳がコンコンと朝から止まらなくて、苦しくて仕方がない。
「うっ……ゴホッゲホッ……」
枕に顔を伏せてギュッと目を閉じると、目じりに涙が浮かんで来た。ベッドで背を丸め、どんなに咳き込んでも、誰も僕の背をさすってくれる人は現れない。
優しかったお母さまも、頼もしかったお父さまも、僕が十二歳の時、交通事故で亡くなってしまったから。
そんな僕の頼りは十歳年上の、柊一兄さまだけ。僕が育った洋館を守るため、僕を育てるために、兄さまがどんなに苦労しているか知っている。
聡明で清楚な兄さまはいつだって僕の憧れだった。だから兄さまの足手纏いになりたくなくて、必死に具合が悪いのを隠し、最近は学校にも行かず、一日家に籠もって過ごすことが多くなっていた。
「今日も遅いのかな。兄さまは本当に毎日お忙しそう。もう外は真っ暗なのに……」
二階の僕の部屋からは、一階の玄関付近が浮かび上がるようによく見える。
電気代もままならないので、一階は真っ暗で降りるのも怖いけれども、玄関のポーチには橙色の灯りが、以前と変わらず灯っている。
僕はその電灯に影が映るのを、今か今かと待っていた。
「あっ兄さまが、帰っていらした」
ところが、その日の兄さまは、いつもよりも更に思い詰めた表情だった。
心配で慌てて部屋に駆けつけると、手に何か持っていた。目を凝らして確認すると 立派な封蝋が施された封筒だった。
兄さまがそんな暗い顔をしているのは、もしかしてその封筒のせいなの?
兄さまは、そんな僕を見るなり眉間に皺を寄せた。
「雪也、今日は一段と顔色が悪いね。今日も具合が良くないようだ。早く寝なさい」
「はい……でも……それは何ですか」
兄さまの顔が、ギクリと強ばった。
「……これ? あぁパーティーの招待状だよ」
「僕もいつかそんな場所に行ってみたいです。どんなパーティーですか 」
「大人になったら連れて行ってあげるから、雪也は今はしっかり治療しないと」
話を逸らされてしまったが、絶対に何か隠している。兄さまがこういう態度を取る時は、深い悩みを抱えているのだ。
僕では駄目ですか。まだ何の役にも立たないですか。もどかしいです。十歳も年下なことも……病弱なことも。早く大人になり、兄さまの手助けが出来るようになりたい。兄さまの思い詰めた表情に、心配が募ってしまう。
「ほら、もう寝なさい」
「はい……」
背中を優しく押され、促されてしまった。
その夜……兄さまの部屋の灯りはいつまでもついたままだった。
僕も眠れずに、いつまでも息を潜めて見守った。
「僕の自慢の兄さまに、どうか……とびっきりの幸せが舞い降りますように」
僕に出来るのは、天の神様へ……祈ることしかなかった。
最初のコメントを投稿しよう!