主治医の海里先生

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主治医の海里先生

 僕の心臓は生まれつき悪かった。成長するにつれ、脆い心臓が身体を支えきれなくなり、発作を起こすことが多くなっていた。 ◇◇◇ 「お母さま、どうして僕の心臓はこんなに痛くなるのですか。呼吸が苦しいです」 「大きくなる前に大手術をしないといけないの。ごめんなさい、雪也……あなたを柊一と同じように丈夫に産んであげられなくて」 「……お母さまのせいではありませんよ」 「さぁ早く病院に行きましょう」 「はい! 海里先生に会うのが楽しみです。先生は僕の話を沢山聞いて下さるので大好きです」 「そうね。お母さまもお父さまも、海里先生を信頼しているの」  母に連れられて虎ノ門という駅にある大きな病院に、月に何度も通った。そこには僕が小さい時からお世話になっている、心臓外科医の海里先生がいらっしゃった。  背が高くて俳優のようにカッコイイ、もう一人のお兄さま的な存在で、憧れの人だった。僕も大きくなったら海里先生のようになりたい。いつも会うたびにそんな気持ちを抱く人だった。 「やぁ雪也くん、その後調子はどうかな」 「先生、最近、息子の心臓が痛くなる時間が増えていて、心配です」 「それはよくありませんね。やはりもう少し体力がついたら手術の方向になると思います」 「最先端の治療を、息子には受けさせて下さい」  病院へ行くのは、いつも運転手付きの自家用車だったし、執事も同行してくれて、診察も特別枠だった。具合が悪くて入院する時は、特別室というプレートがついた広い個室で、居心地が良かった。 ◇◇◇  当時の僕は、恵まれた環境にいた。だが幼い僕にはその価値が分からず、当たり前だと思っていた。お父さまとお母さまが亡くなるまでは、何ひとつ理解していなかった。    あれから数年、僕は変わらずに虎ノ門の海里先生のもとへ通院している。 交通事故で亡くなったお母さまの代わりに、今度は十歳年上の柊一兄さまに連れられて。自家用車は地下鉄と徒歩になり、特別室に入院なんて夢のまた夢だ。今は発作が起きてもある程度は無理矢理に薬で凌ぎ、入院を回避していた。一度発作が止まらなくて入院した時は、六人部屋だった。同室のいびきに驚いて眠れなかった。 「兄さま、待って下さい。そんなに急ぎ足では……僕……はぁはぁ」 「あっごめんよ。これから仕事の打ち合わせがあって」  兄さまの焦燥した顔に、何も言えなくなってしまった。だって兄さまは僕のために、げっそりしてしまうほど、働いてくれているから。  特別枠の診察は一般枠へ移り、朝一から並んでも、二時間、三時間待ちは当たり前だった。 「雪也……ごめん。どうしても会社に戻らないと。今日は会議なんだ。終わったら迎えに来るから待っていて」 「雪也……ごめんね。少しだけ仮眠させてくれないか。終わったら起こして」  近頃の兄さまは、僕に謝ってばかりだ。疲れ果てた顔色は、病人のように悪かった。  僕の方こそ、ごめんなさい。僕の心臓が悪くなければ、こんなにも兄さまに負担をかけることはなかったのに。    そんな病院通いが続いたある日……待合室のソファで壁にもたれ、眠ってしまった兄さまに、海里先生が毛布を貸して下さった。 「君のお兄さんは今日も眠ってしまったのかい? 一度くらい、起きている所を見たいものだよ」 「すみません」 「いや、それより雪也くんを特別枠で診てあげられなくて、ごめんな。他人の目が厳しくてね。さぁこの毛布。お兄さんにかけてあげなさい」 「え……よろしいのですか」 「顔色も悪いし、寒そうだ」  海里先生が、兄さまを慈愛に満ちた目で見てくれたのが嬉しくて、ほっとした。ひとりで奮闘している兄さまに、心強い味方が出来た。 「海里先生……ありがとうございます、僕……」 「雪也くん、どうかひとりで悩まないでくれ。もし困ったことがあったら、俺を頼って」 「え……ですが」 「君はまだ幼い。亡くなられたお母さまからも頼まれていたし、それに……」  海里先生の視線は、眠っている柊一兄さまへと向けられた。それは……とても愛情の籠もった優しい眼差しだった。
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