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楽しかったゴールデンウィークもあっという間に過ぎ去り、春という初々しい季節が過ぎ去った初夏。 やっと、新生活に新入生もぎこちなく馴染んできた大学の食堂で。 「しつけぇな、ブカツとかめんどくせぇからやんねぇっつってんだろ?!」 龍大の怒号が響き渡った。 龍大は、どちらかというと穏やかでいつもヘラヘラしているせいか、実は極道の跡取りという立場であることを、その長身でよく鍛えられたガタイの良さやふと見せる顔つきの鋭さを踏まえても、普段は全く感じさせない。 そして、大勢の舎弟に囲まれて育ったからか、それとも上に立つ者としてそういうふうに教育されているせいなのか、面倒見がよく人をまとめることが上手いため、大学では自然と周囲に人が集まってくる人気者だ。 しかし、こうして怒りを見せると、やはりあの宇賀神会のトップの血筋なのだろう、一瞬にして周りの空気が凍りついた。 シーン、と半径五メートル内ぐらいが静まった気がする。 その静寂の中、はあ、とため息を吐いて、聖は口を開いた。 「タツ、ウルセェ。つーか、唾飛んだし、汚ぇよ」 俺まだ食べてんだけど、コレ。 と、龍大を包んでいた怒りのオーラが、瞬時に(しぼ)んだ。 耳を伏せ、尻尾をだらんと垂らした、飼い主にこっぴどく叱られたときの大型犬みたいになる。 「あっ、ごめん、聖……てかさ、えっ、今更唾ぐらいで汚ぇとか……」 いっぱいチューとかしてるわけだし、関係なくね? そう言いかけた龍大の足を、聖はテーブルの下でダンッと力一杯踏みつけた。 もちろん、踵を食い込ませる一番痛いやつだ。 女子みたいにヒールを履いてなかっただけマシだと思え、ぐらいの。 「ッッッ!!!」 痛みに悶絶する龍大を尻目に、聖は唾の飛んだ生姜焼き定食をモクモクと食べるのを再開する。 その光景を凍りついたまま見ていた、龍大の怒りの矛先でもある先輩たちが、恐る恐ると言ったふうに聖のほうに声をかけてきた。 龍大を切り崩すには聖を堕とせばいい、と単純に考えたらしい。 「あ、あの…き、君はどうかな?剣道部とか……」 興味ない?と言いかけた言葉は、痛みに声を失っていた龍大の、少々八つ当たり気味な睨みで引っ込んでしまう。 「気安く聖に声かけてんじゃねぇって!」 このひとは俺のモンだから! そう言いかけたのだが、再び聖にダンッと同じ箇所を力一杯踏まれて黙った。 いや、正確には声にならない悲鳴をあげた、と言うべきか。 「俺はこいつと違って、武道とか全くやってないんで」 聖は淡々とそう言って、怯えまくっている先輩たちに肩を竦めて見せる。 「バイトもしたいし、部活やってる余裕ないですね」 言いながら、綺麗に食べ終えた食器のトレイを持って立ち上がった。 まだ立ち上がれそうにない龍大を置いて、さっさと食器返却口に向かって歩き出す。 テーブルからある程度離れたところで、そのトレイを、後ろからついてきていたらしい先輩の一人に取り上げられた。 「片付けてきてあげるから、話だけでも聞いてくれない?バイトしてても部活と両立全然できるしさあ」 上から覗き込むようにしてそう言われ、聖は少し苛立つ。 彼は背が低いことがコンプレックスなのだ。 だから、そうやって上から喋られることが嫌いだった。 「…返して下さい。自分で食べたものは自分で片付けますから」 「いいからいいから、ほら、座って」 聖は小柄で細っこい身体つきだから、数で囲めばなんとかなるとでも思ったのか。 近くのテーブルに強引に連れていかれ、肩を押さえつけるように座らされる。 「体育会系っつっても、そんな厳しくないから、イマドキは」 「飲み会とかも結構やって、楽しいよ?女子部とも交流あるし」 「初心者なら、基礎から教えるしさ…ほら、剣道ってストイックなイメージあって、結構モテるんだよ?」 頭上から次々と声が降ってくる。 ただでさえ上から喋られるのが嫌いな聖の地雷畑を散々踏み荒らしていることに気づかずに。 「うるせぇな…」 低く、聖は呟いた。 先輩たちはそんな聖の様子に全く気づかない。 「だから、どうかな?君、入部してみない?ほら、お友達の宇賀神君も誘ってさあ…」 「もう今日にでも歓迎会開いちゃうよ?お持ち帰りオッケーな可愛い女子もいっぱい呼ぶし」 女子女子うっせぇっつの! そー言っとけば、猿みてぇにヤりたい盛りの男子大学生は食いつくってか? そんなのこっちは間に合ってる…っつか、ヤりてぇ盛りの男一人をめちゃくちゃもて余してるっつの! 聖はチラリと視線を流す。 龍大がようやく足の痛みから復活して、立ち上がったところだった。 聖が先輩たちに囲まれていることに、物凄く怒っているようだ。 ズンズンと地響きでも起こしそうな勢いで、こちらのテーブルに向かってくる。 「てめぇら、何、聖に触ってんだ…!」 ここまで怒っている龍大を見るのは、聖も初めてだった。 彼とは中学の頃からの付き合いだけれども、聖といるときは基本、よく躾られた穏やかな大型犬のような姿しか見せない。 大学に上がるまでは距離もあったから、会うときは、他の友達もいることもあったけれども、大抵は二人きりで。 つい最近までは親友というポジションを保っていた二人だったわけだが、それでもほとんどデートのようなものだったと言っていいような逢瀬だったのだ。 第三者からの干渉のほとんどない状態での二人の時間は、だから、ほとんど龍大が怒りを露にすることなんてあるわけなくて。 でも、もしかしたら、聖と遊ぶことが楽しくて楽しくて仕方ないと全身で喜びを表現してデレデレとしていた姿だけが、龍大の本質というわけでもないのかもしれない。 そんなわけで、その怒れる龍大の姿に、こんな顔もすんだな、と一瞬驚いてポカンとしてしまい、反応が遅れてしまった聖だった。 「タツ!」 ハッと我に返ってその名前を鋭く呼んだときには、既に龍大の腕が、聖の一番近くで肩を押さえていた相手の胸ぐらを掴み上げて、乱暴に突き放した後で。 ガシャガシャーン、と派手な音が鳴って、放り出された先輩の身体がテーブルやら椅子やらをなぎ倒す。 女子学生の悲鳴に似た声が幾つか上がったと同時に、辺りが騒然となった。 「馬鹿、タツ!ストップ!」 聖は、一瞬にして青くなった先輩たちが身体を引いた隙をついて彼らの輪の中から飛び出して、龍大の前に立つ。 「こんなんで面倒起こすなっての」 ひょいと背伸びして、龍大の額にペシン、とデコピンする。 まだ怒りが収まらなそうなその大型犬の胸を、トントンと宥めるように叩いて、彼は。 くるりと振り返って、放り投げられた先輩に手を差し出した。 「大丈夫ですか?スンマセン、こいつ、このとおりキレやすくて」 だから、ブカツとか向いてないんです。 諦めて貰えませんかね? しかし、物事はそう簡単に思う通りには進まないものだ。 その先輩は差し出された聖の手を取って、立ち上がろうとしたのだが。 「ッツ……!」 彼はすぐにその手を離してしまった。 腕を押さえている。 「立花?」 「おい、どうした?」 周りの先輩たちがざわついた。 立花、と呼ばれたその先輩は、困ったような顔をして、仲間のほうを見る。 「ヤッベェ、なんか腕、やっちゃったかも…」 その後はもう、ある意味、物語でのお約束のような展開だった。 まるで、仕組まれたことなんでは?と疑いたくなるような。 しかし、立花先輩は本当に怪我をしてしまったようで、腕がうっすらと腫れてきていたし、触れるだけで痛そうに顔を顰めている。 とりあえず冷やそう!と食堂のおばちゃんに言って氷を貰ってきたりなんだりかんだりバタバタしつつ、先輩たちはつつきあいながら囁き合っている。 もうじき練習試合があるのに。 立花は団体戦の要、中堅なのに! どうする?どうしよう? 聖は、ため息を吐いて、俺は悪くねぇし!みたいな顔をしてそっぽを向いている龍大を見上げる。 こういうところが、なんていうのか、タツっていつまでも子どもみたいっつーか。 「タツ、お前の責任だろ…あの先輩が治るまで、剣道部の助っ人やれよな?」
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