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終
「馬鹿っ、一人で歩けるっつの!離せって」
アパートのドアが開いて、聖の声が響いた。
「え…でも、聖、ヨロヨロしてね?危ないからさ、せめて車まで抱っこしてくって」
オロオロとした龍大の声が続く。
「そんな恥ずかしがんなくても、迫田も中津川も気にしねえってば、ほら」
「俺が気にすんだよ!」
アパートの前に停めた車の中、運転席の迫田はチラリと隣を見る。
龍大にお姫様抱っこされた聖が階段を降りてくるのに、助手席の中津川が不用意な発言をしてしまわないか気になったのだが。
ちょっと抜けたところのある天然な中津川は、今日も坊っちゃんと聖サンは超仲良しッスね~ぐらいのノリで、全く気にも止めていないようだ。
というか、たぶん、何故今日は龍大がバイクで通学せずに車で行く、と言い出したのかすら気づいてはいないようだった。
まあ、気づかないか。
馬鹿だからな、中津川は。
迫田は僅かに唇の端を歪めて、そして、車を降りた。
後部座席のドアをサッと開けて、彼の愛すべき主人が車に乗り込むのをサポートする。
龍大は、いつもにも増してデレデレと腕の中の恋人ににやけた顔を見せながら、車に乗り込んだ。
でも。
どこか、男前度が上がった気がする。
昨夜の拉致事件の采配も、普段の穏やかでヘラヘラとした姿からは想像つかない見事なものだった。
宇賀神会の幹部として数々の修羅場を踏んできた迫田でさえも身が引き締まるような、上に立つ者としてのオーラと振る舞い。
実際、後藤組の下っ端たちを宇賀神会のほうに引き渡して、首謀者であるカタギの大学生「芳賀昌樹」についてはどうしますか、と若頭に訊ねたところ、彼はフン、と笑って「そっちのケリは龍大がつけるだろう?あいつに任せる」とだけ言った。
それはつまり、今回の事件の采配を評価されたということだ。
龍大にそれを伝えると、彼はニッと笑って「カタギ相手だしな…ま、相応の落とし前はつけさせるけど」と言って、具体的にどうするのかはそのときは言わなかったけれども。
後日、N大剣道部主将が男相手に強制猥褻未遂事件を起こして逮捕、という不祥事が世間を賑わせることになる。
彼の想い人に似た相手を探し出し、たらし込ませ、事件を起こさせる。
立花先輩にホンキで恋してんならゼッテェ引っかかんねぇハニートラップなのに、まんまと引っかかるようじゃもう情けのかけようがねえな、と、ちゃんと逃げ道まで用意しての制裁。
龍大は、今はまだ眠れる獅子なのだ。
極道のトップに立つには少し覇気が足りないのではないか、と言われ続けてきていたけれども。
宇賀神の家系に脈々と受け継がれる、絶対的なカリスマと上に立つ者に欠かせない的確な決断力をきちんと受け継いでいる。
ただそれが、表に出ていないだけ。
そして、愛する相手とようやく結ばれたことによって、揺るぎない自信と守るべきものを持った自覚を得たのだろう、いつもどおりのヘラヘラした横顔に見えて、確実に「大人の男」の顔を垣間見せている。
「うぜぇ、タツ、もういいから、触んなってば」
衿元のボタンを一番上までピッチリ留め直されて、聖が唸る。
手をパチン、と叩かれて、シュンとした龍大がボソボソと言い訳を呟いた。
「だって聖、ココ、痕見えてる…こーゆーの見えちゃうのヤなんじゃねぇの?」
俺は見せてて欲しいからこのまんまでもいいけどさぁ。
「はあ?お前がンなとこに痕つけるからだろ…っ!」
だいたいさぁ、バイクに乗れねぇ身体にしやがって、俺は初心者なんだから手加減しろっつっただろうが!
怒りが爆発したらしい聖は、最早、運転席と助手席の二人にはおかまいなしになっている。
言い返す龍大のほうはと言えば、聖の怒りすら可愛くて堪らないといった完全なるデレ顔だ。
「そんなの、聖が可愛すぎるのが悪いんじゃん?つうか、手加減めっちゃしたケド?そんな言うなら、加減しないとどーなるか、今度試してみる?」
後部座席でぎゃあぎゃあ喚いている微笑ましい二人に、運転しながら迫田は少しだけ唇の端を歪めて笑った。
今はまだ、微睡む獅子でいていいのだ。
数年後には、嫌でも目を醒まさないといけなくなるのだから。
fin.
2019.08.21
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