百物語 その話はするな

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1本の電話が掛かって来た。 学生時代の友人であるオチケンからだった。 ベランダの戸を開けて、外に出ると、じっとりとした湿気が、肌を押しつけるようにまとわりついてきた。 さっきシャワーを浴びたばかりの首筋に、汗が流れ落ちる。 あれは、ちょうど今日みたいな湿気の多い夜だったなと、30年以上前のことを思い出していた。 その当時、大学の同級生3人と、京都の伏見にある僕の下宿に集まっていた。 当時の下宿は、今のようにエアコンもなくて、窓を開けっぱなしにしても、部屋でじっとしていても、汗が止まらないほど暑かった。 僕と友人は、少しでも、ひんやりとした気分を味わおうと、百物語をしようということになったのである。 若者のノリというか、他にすることも無かったし、兎に角、暑かったからだ。 折角やるからにはと、ローソクと線香を買ってきた。 こういうのは、雰囲気が大切だ。 軽くビールを飲んでから、さあ始めるかと、部屋の電気を消した。 一瞬、友人の顔も判別できないぐらいの暗闇となる。 ローソクを点して、線香に火をつけると、昔の恋人の墓を掘り返して遺骨を取り出そうとする狂人のような気になった。 これから、イケナイことをするぞという興奮。 線香の香りが、その時は、妙に甘美なかおりに思えた記憶がある。 まずは、望が、最初の一話を語り出した。 望は、高校時代に音楽部をやっていたせいか、声にハリがあって、それをあえて押し殺して話すものだから、余計に怖さが引き立つ。 今昔物語に書かれていた話だったそうだが、心底、怖しく感じた。 2番手は、文一だ。 彼は、友達から聞いた話を、アレンジして話して聞かせてくれた。 文章を細切れに、ボソボソと話すものだから、これもまた現実味があって、怖かったな。 僕は、自分でオリジナルを考えて、みんなに話した。 ただ、これが結構に大変で、4人でやったら、自分は25話話さなきゃいけないわけで、つまりは、25話を創作しなければならなかったからだ。 まあ、駄作だったけれど、みんな喜んで怖がってくれた。 最後は、オチケンだ。 もちろん、オチケンにも名前はあるが、落語研究会に入ってたものだから、みんな1度も名前で呼んだことはない。 どこにでもあるような話だけれど、それを、京都を舞台にして、自分の身に起きたことのように話すので、それはそれで、怖かった。 そんな感じで、百物語は、始まった。 締め切った暗い部屋で、汗をダラダラ流しながら、ローソクを囲んで、ひそひそと話す怖い話は、暑くて堪らないのだけれど、一種の異空間に誘い込まれるような錯覚に陥って、ひんやりどころが、心がブルブルと震えてきた。 それは、その場の4人全員が、感じていたようだ。 そんな百物語も、後半に差し掛かってくると、オチケンの話に変化が出てきた。 少しネタに行き詰まってきたのだろう。 都市伝説や、あるある話も挟むようになる。 後半には、面白い話もし出したではないか。 それは、みんなも気がついていて、でも、途中で百物語を止めるわけにもいかず、続けていた。 とはいうものの、その場の雰囲気は、怖い話の興奮と、脱線しかけている話の現実とが、行ったり来たりの、でも、一種独特であって、ひょっとしたら、もう既に、異界の魔物が、この部屋に来ているのではないかと思えるほど、重くねっとりとした空気が漂っていた。 でも、誰も窓を開けようとはしなかった。 ただ、汗の流れる首筋に団扇をバタバタとあおいでいた。 そして、いよいよ最後の100話目だ。 話すのはオチケンである。 そこで、僕は、オチケンに敢えて指摘をした。 最後の最後の1話だから、あるある話じゃなくて、本当に怖い話で終わりたかったんだ。 みんなも同じ気持ちだっただろう。 それをオチケンに言うと、「じゃ、本当にあった話でも良いかな。」と言う。 「本当にあった話って、それ怖い話だろ。それを待っていたんだよ。」と、みんなのテンションが一気に上がった。 オチケンの話は、2年ほど前に、田舎の青森に帰った時の話だと言う。 オチケンの住んでいた青森の山の村には、俄かには信じられない風習が、今も残っていて、実は、その風習にオチケンも加わったことがあるという。 どんな風習かと言うと、それは簡単に説明すると、「姥捨山」だという。 80歳の誕生日を迎えると、男女に関わりなく、歩いて往復半日ほどの山に、いわゆるおじいさん、おばあさんを捨てに行くと言う。 それを聞いた時は、今の時代に、そんなことが繰り返されている訳がないと、みんな思ったが、オチケンの真剣な話に、あるいは、本当なのかと、そんな気になり始めていた。 想像だけれど、姥捨山の風習は、この地域だけでなく、日本全国で行われてきた可能性もあるのではないか。 昔の時代には、山の中の、狭い田畑で、小作人として、自分たちが食べる食料もままならなったということは、誰にでも想像はできる。 そんな状況では、人数を減らすことも選択肢に入るのかもしれない。 或いは、捨てられる年寄りも、もう動くこともできなくなって、家族に迷惑をかけるよりも、自ら捨てられる運命を選んできたのかもしれない。 そんな風習が、どこかの場所で、今も行われていることも、誰も気が付かないだけで、あるいは、真実なのかもしれない。 或いは、見えてはいても、見ないふりをしてきたのかもしれない。 想像だけれど、そんな風に、その時は考えていた。 そんなことを考えている僕たちに、オチケンは、「これは、本当の話だ。」と念を押して 話を続ける。 そして、話は、2年ほど前に、田舎に帰った時のことだという。 ちょうど、その時に、おばあちゃんが、80歳の誕生日を迎えたそうだ。 つまりは、捨てられる日だ。 山に捨てに行くのは、長男の仕事だ。 詰まりは、オチケンの父親である。 そして、オチケンは、その父親の長男だ。 将来の事もあるから、父親が捨てられる日の為に、どうやって、人を捨てるのかを見ておいても良いだろうと、同行することになったという。 誕生日の2日後、父親は、後ろ向きに座れるように木で手作りした背負子に、おばあさんを乗せて家を出た。 家を出る時、おばあさんは、残ったものに、目をつぶって合掌をしたという。 「さようなら。」という意味だろう。 或いは、「今まで、ありがとう。」か。 おばあさんが、合掌したときに、金木犀の香の風が、ふんわりと吹き抜けた。 痩せているから軽いとはいうものの、おばあちゃんを背負っての山道は、過酷だ。 途中で、休憩を取ることになる。 山道の途中で、おばあちゃんの作ったご飯を食べたそうだ おにぎりと、玉子焼きだったか、そんな簡単なものだが、それが、おばあちゃんの最後の手料理だった。 その時は、昔話に、おばあちゃんも、ケラケラと笑っていた。 もう、諦めてたんだろうな。 そして、また背負子に乗っかると、急にみんな無口になる。 そうやって、やっと目的地に着いたら、洞穴になったところに、おばあちゃんを下ろした。 そこからが残酷な話だ。 おばあちゃんが、その場所から、どこかへ行かないように、そして、帰ってこないようように、おばあちゃんの膝の皿を、金槌で割ると言う。 もちろん、痛いから、両手両足を縛るそうだ。 そして、オチケンが、そのおばあちゃんの膝の皿を割る役をやったという。 「膝の皿はね、思ったより簡単に割れるんだ。こうやって、金槌で叩くとね、クシャって、クッキーみたいにさ、割れるんだよね。あばあちゃん、痛い痛いって、叫んでたよ。可哀想だったよ。」 そう話すオチケンの顔を見て、ゾッとした。 ローソクで、照らし出されたオチケンの顔は、嬉しそうに笑っていたんだ。 まるで、何かに憑りつかれているかのようだった。 オチケンは続ける。 「それでね、皿を割ったぐらいじゃ、まだ歩けるんじゃないかって思ったから、僕は気を利かせてね、右の膝の関節のところの骨もね、こうやって、金槌で砕いたんだ。おばあちゃん、体をくねらせて、痛がってたよ。可哀想だったよ。でも、風習だから、仕方がないんだよね。で、左の膝の関節も砕こうかと思ったら、父親が止めたんだ。やり過ぎだってね。可哀想だもんね。」 オチケンは、目を輝かせて話す。 ふと、オチケンの背中を見ると、おばあちゃんぐらいの年齢の女性や、男性が、後ろにいて、オチケンの首を閉めようとしている。 すぐに、オチケンの先祖だと思った。 ハッキリと見えたよ。 しかし、怖いと思ったが、僕には、オチケンの表情の方が、気になって仕方がなかった。 ただ、それでもやっぱり怖い。 何しろ幽霊なのだから。 でも、本当に怖かったのは、その幽霊の存在というよりも、オチケンの後ろにいる、その老人が、みんな笑っていたのだ。 いや、これは錯覚かもしれない。 その場の集団催眠のような感覚で、幻想を見ていたのかもしれない。 そう思いこむようにした。 怖くて、僕は、老人とは目を合わすことが出来ずに座っていた。 ただ、後で、確認すると、望も、文一も、その老人たちを見たと言う。 オチケンは、話を続ける。 「それでさ。あまりに、おばあちゃんが痛がるものだから、父親がね、もう楽にさせてやろうと、クビに手を回してね、、、、。」 そこまで聞いて、僕は、オチケンの話を止めた。 「ちょっと、待って、その話は、もうやめよう。」 これ以上、残酷な話は、聞きたくなかった。 想像しただけで、地獄のような光景じゃないか。 みんなもオチケンの話を、制止した。 それに、百物語の100話目だ。 この話は、普通の話じゃない。 迷信だとは思うけれども、もし、このまま話を続けて、最後まで話してしまうと、後ろの老人が、魔物に変化して、僕たち全員を、どこかの異界に連れて行くのではないかと思ったのだ。 最後の実話が、これほどまでに、異常な物語だとは、誰も想像できなかった。 そして、話を止めたのは、何よりも、オチケンの話をする表情が、怖かったからである。 今まで見て来たオチケンじゃない。 それはまるで、何かに憑りつかれたようでもあり、ある意味、後ろの老人の幻影よりも、怖かったのである。 そうやって、百物語は、99まで語り終えたら、最後の1話は、途中で中止となったのだ。 ふと、外を見ると、夜が明けかけている。 みんな、妙にぐったりと疲れてしまって、そのまま、自然に解散をした。 今でも、あのオチケンの表情を思い出したら、背筋に、ひんやりとした汗が流れる。 一体、あの話は、本当のことだったのだろうか。 出来ることなら、オチケンの創作であって欲しいと、ずっと思い続けていた。 ベランダで、タバコを1服やったら、エアコンの効いた居間にもどる。 テレビで、お笑い芸人の不倫ネタが、報道されている。 嫁が、「それは、アカンは。」とテレビにツッコミを入れながら、笑って見ていた。 さっき掛かってきた電話は、オチケンからだった。 母親が、失踪した上に、山の中で亡くなっていたという。 僕は、聞かなくても良いことを聞いてしまう。 「そうなんだ、それは大変だったね。あまり落ち込まないようにね。」 「ああ、ありがとう。」 「ところで、お母さんって、何歳だったの?」 「ちょうど、80歳の誕生日を迎えたところだったんだ。まだ、死ぬには早いよね。可哀想だよね。」 僕には、オチケンの声が、何か、明るく弾んでいるように聞こえた。
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