接近者

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「及川誠三のご先祖は下野壬生(しもつけみぶ)藩の家臣、及川猛房(おいかわたけふさ)。あやかしの討伐や加持祈祷の専門家だったちゅう話だ。腕前も凄かったらしいぞ。まあ、その血筋を引いとるせいか、及川誠三の死体解体隠滅の技量もな。ブグイミ信仰とも深い関わりがあるのもうなずけるのう」  群馬県北部、栃木県北部の一部の集落では、特高警察の取り調べ係たちをあやかしのような存在として畏れていた。政治思想犯の逃亡潜伏先になぜそれらの地域が選ばれたのかは不明だが、彼らを極秘に救済したのがブグイミ信仰派だと云われている。 「その隠し方がえげつなくてよ」  おっちゃんは脂の浮いた肉を頬張った。ごくりと呑み込んでから、先を続けた。 「ブグイミにはルールがあってよ、禁を犯した者は肥溜に落としたあとドクダミの葉っぱで身心を清める儀式がある。ようは不浄を洗い流すって意味があるらしいんだが、ロクな教えじゃねえな。 んで、思想犯が逃げてくるとな、ブグイミは身代わりをたてる。その身代わりってのが、禁を犯した村人よ。肥溜に突き落としても助けねえで、竹竿でぐいと頭ごと押しつけて溺死させてしまうんだ」  そのあと、肥溜の糞便を抜きとると、肥溜の底に横穴を掘り、三畳間ほどの小部屋を作る。逃げてきた思想犯をその小部屋へ隠して、またもと通りに糞便を流し込んで終わりだ。普通、追っ手は汚い肥溜の中に隠れているとは思ない。 「人身御供になった犠牲者は、思想犯の持ち物や衣類を身につけてなりすましよ」 「あはは」  僕は思わず笑ってしまった。そんな単純な子供だましが警察に通用するはずがない。おっちゃんが真面目くさっているのが余計に可笑しかった。 「笑うな。まあ、聞け。及川誠三は<死体のからくり人形師>とも呼ばれてた。ほとぼりが冷めた頃を見計らって、思想犯が出てくる。すると、どうだ。思想犯の顔つきや体型が犠牲者とそっくりになってるんだよ」 「入れ替わり?」 「マンガじゃねえぞ。方法はとんとわからねえ、だから<死体のからくり人形師>って呼ばれる所以よ」  おっちゃんは眉間に皺を寄せた。それから腕時計に目をやった。 「おっと、いけねえ。これから仕事なのによ、飲みすぎちまった」 「え、仕事なんですか」  僕も自分のスマホ時計を眺めた。  午後七時半。    
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