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「いや、今スグってわけじゃねえけどよ。シャワー浴びて、酔いを醒まさなきゃあかん」
「たいへんですね。夜のお仕事ですか」
「まあな。ほれ、そこの聖グリーンヒル女学院で夜間警備をしてるんだよ。不法侵入の監視と摘発だな」
おっちゃんはそれほど酔っていないような口ぶりだった。
去年の夏の夜、僕とマリコは女学院の農園に忍びこみ、トマトを失敬してきた。その際、警備に発見され、慌てて逃げた僕は肥溜に落ちるという苦い経験
がある。
おっちゃんは急に鋭い目つきに変わった。
「なあ、橘内和真くんよ。見ず知らずの高校生にこんなオジサンがベラベラ喋るのは、おかしいとは思わねえか」
確かに不自然だ。しかも僕のフルネームを告げたのだ。
通りすがりのおせっかいおっちゃんだとばかり思っていたが、予期せぬ展開に僕は慄然とした。
「おれっちは、お前さんが女学院の農園からトマトをドロボーして、糞壺に落ちるところを見てたんだよ。捕まえようとしたが、糞まみれじゃ触るわけにもいかねえ」
おっちゃんはあの時の夜間管理人だったということか。
おっちゃんは僕のあとをつけて素性を調べ上げたという。
「住所は千葉県船橋市滝野台、県立薬園台高校の三年四組。ばあちゃんは昨年の秋に死んだし、じいちゃんも入院したばかりだ。ばあちゃんは、昔、及川家に嫁いでいた。まさか、ブグイミと縁があるとはなあ。ところで、鰻屋の飯は美味かったかい?」
おっちゃんはドヤ顔で僕をのぞき込んだ。
「じいちゃんから頼み事をされなかったか? んでな、網を張ってたら、案の定お前さんが動き始めたってわけだ。おれっちのヨミにぬかりはなかった」
「なぜそんなに詳しいんですか」
僕は自分の声が固くなっているのを感じた。
「さあな。じいちゃんから何を頼まれた?」
「別に何も」
「そうか。じゃあ、どこかへ行って来いとか言われなかった?」
「はあ? 旅行とかですか。なかったなあ。だいいち、遊びに行く余裕なんてありませんよ」
「ふーん。まあ、せいぜい気をつけるこった」
おっちゃんは、お勘定 と言いながら立ち上がった。
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