シスター蒲原

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 僕はアールグレイを口に含んだ。さわやかな茶葉の香りが口から鼻へ抜けた。  顛末を話している間、時おり、おやとか、まあそれはそれはなどと、相槌を打つ程度である。及川毬夢のことに触れるとかすかに顔をしかめたが、平静を装ったままだった。  慌てることもなく、話の内容を反芻するかのように目を固く閉じている。  やがてそっと瞼をひらくと、じいちゃんの手紙を手に取って視線を落とした。あたかも静かな部屋で読書をしているみたいな雰囲気だった。 「それであなたはどうしたいのですか」  シスターの蒼白い顔に警戒の色が浮かんだ。  僕は送信されてきた及川毬夢の画像を見せた。 「警察の手を借りずに彼女を助けたいのです。お力添えできませんか」  シスターは犠牲者を凝視することなく顔をそむけた。 「わたくしに奪還しろをおっしゃるのですか。残念ながらそれはできかねます。しかし、このエニワサクジという男は知っていますよ。ブグイミの狂信者で殺人鬼。今から六十年くらい前に大間々桑ヶ瀬村で元特高警察官を何人もバラバラにした男。四十年くらい前には神社も境内で野球をしていた子供たちを襲いました。しかも今回はうちの生徒を誘拐監禁暴行したわけですね。でもそれは、いってみれば因果応報なのかもしれません」 「因果応報?」 「あなたは及川誠三をご存知ですね。及川毬夢の祖父です。及川誠三は殺された死体に細工をしていました。死んだ人体同士の皮膚や眼球、内臓に移植交換していたようです。エニワサクジと及川誠三は繋がっていました」  おっちゃんも似たような話をしていたことを、僕は思い出した。  シスターは低い声で先を続けていた。 「ブグイミ信仰は、死体をドクダミの葉で清めることによって魂が浄化されると信じられています。しかし、及川誠三の本来の目的は人体実験。ふたりは持ちつ持たれつの関係だったようですが、いつしか誠三はエニワサクジを恐れるようになったようです。誠三は画策しました。当時、ブグイミ信仰に対抗するのは二十三夜様信仰でした。誠三は二十三夜様の仕業に見せかけて、エニワサクジの毒殺を図ったのです」 「裏切りですか?」 「及川は用意周到でした。蘇生しないようにすぐに埋めてしまったのです。その場所が大間々桑ヶ瀬村の沼地の底。ところがエニワサクジは生き返り、復讐を始めました」 「つまり、及川毬夢が誠三の孫なので、復讐の対象者になったということでしょうか」 「おそらく」シスター蒲原は頷いた。「それとこれは憶測ですが・・・エニワサクジがドクダミ神社の境内で子供たちを殺したのは、誠三が子供たちと親しかったからだと思っています。子供たちの怨念があのあたりには地縛霊となって出没している噂をよく聞きますよ。あなたも目撃したのでしょ?」 「はい」  僕は冷たくなったアールグレイをひとくち飲んだ。神社だけではなく、じいちゃんの部屋にも現れたことを僕は話した。  シスター蒲原は寂しそうに微笑んだ。 「西島のおじいさまは、若い頃ね、神社へお参りすることが日課だったそうですよ。そこで野球の練習をする子供たちと懇意になった・・・キャッチボールしたりノックをしたりしてね」    
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