どくだみ神社の夏風

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どくだみ神社の夏風

 じいちゃんの容態が悪い。  お袋からそう告げられたとき、真っ先に頭に浮かんだのはクヌギやコナラに囲まれた古い家の畳の匂いだった。もう何年も祖父に会っていなかったから、どこか遠いできごとのように聞こえた。 「じゃあ、見舞いに行かないといけないね」  僕は他人事のように流しただけだった。たぶん、心配そうな感情はこもっていなかったのだろう。お袋がすぐに咎めた。 「幼い頃、あんなに可愛がってもらったのに」 「わかったよ。ちょうど夏休みだから行ってくるよ。お見舞いは何がいいかな」  どうせヒマだし。  僕は心の中でつぶやいた。  夏休みだからといって、友達と遊びまくる時間はない。  バイトに夏期講習に部活。みんなそれなりにスケジュールがつまっているのだ。しかも僕には寄り添ってくれる彼女もいなかったから、暑苦しい夏を悶々と過ごすよりはお見舞いに行った方が気が紛れると思ったのだ。祖父の病状を案じながら、気分転換してみよう。 「トマトが食べたいみたい」  お袋が困ったような表情で言った。 「トマト? トマトなんかどこでも売ってるじゃん」  僕も拍子抜けして思わず笑ってしまった。 「じいちゃんはうまいトマトが食いたいって。和真(かずま)、新宿の千華(せんはな)パーラーでトマトを買っていきなさい」  千華パーラーは超高級な果物専門店だ。桐箱入りのメロンが一個何万円もする。 「果物屋にトマトなんか売ってないよ。きっと産直のトマトが食べたいのさ。おれ、ネットで調べてよさそうなのを買っていくよ」 「そうしておくれ」母は意味深ににんまりと笑ってつけくわえた。「うまいトマトを食わせてくれたら、お小遣いをはずむと言ってたわよ。あなた、ギブソンのアコースティックが欲しいんでしょ」 「おお」  パンフレットの写真と本物のイメージが、僕の頭の中で交錯した。自分の小遣いではなかなか手が届かないビンテージギターが、ニンジンみたいにぶらさがったのだ。  僕はネット検索にとりかかった。
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