怨霊の魔窟/4

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怨霊の魔窟/4

 そっとうかがうように、片目だけうっすらと開けてみた。するとそこには、金のボールみたいなものが手のひらに乗っていた。 「おっ、丸いものができました!」  矢ではないが、飛ばせるものを生み出した。颯茄はにこやかな笑みになり、さっきからずっと待ちぼうけを食らっていた敵に、大きく両手を振って合図をした。 「敵のみなさ〜ん! お待たせしました。準備オッケーです!」  やったことはないが、見よう見まねで、弦に金の透明なボールを引っ掛けようとすると、 「よし、これで弓を引っ張って――」  武術の達人から、待ったの声がかかった。 「手だけでやるな」 「え……?」  颯茄はぽかんとした顔をして、武器を思わず落としそうになった。持っているのは弓矢なのである。そう言われても困るのである。 「それでは、狙ったところには飛ばん」  筋肉という外面にとらわれてはいけないのだ。気の流れという中身が大切なのだ。  夕霧からすれば、颯茄の今の動きは空っぽなのだ。まぐれで当たったとしても、はずすことが許されない戦場向きでは決してない。 「弓矢は手でやるものですよね?」  戦い慣れしていない颯茄とっては、不可解以外の何物でもなかった。  手、腕の動きの基本はどんなことでも同じ。一点集中、敵を置き去りにして、夕霧の指導が始まる。 「手は矢を押さえるだけだ。引くのは肩甲骨を使ってだ」 「け? けんこうこつ? どこの骨?」  自分の体のことなのに知らない。よくあることだ。胸椎の何番目から何番目の間にあのかもすぐには答えが出ない。  二番目から八番目だと、反射的に脳裏に浮かんでいる夕霧。だが、そんなことは一般の人は望んでいないし、わかりなどしない。だから、こう言った。 「肩より下の背中の骨だ」 「背中……」  前へ飛ばすのに後ろ――  颯茄は戸惑い気味に振り返った。だが、夕霧の理論は正しいのだ。 「手の筋肉は小さい。それで大きな力を使おうとすると、手首などを痛める原因になる」  人体模型がパッと浮かび、手の比較ではないほど、大きな筋肉が肩甲骨まわりにあるのだった。  颯茄は大きく前進する学びを得た。彼女は夕霧に向かって礼儀正しく頭を下げる。 「教えてくださって、ありがとうございます」  そうして、前のめりがちな性格が災いする。言葉だけを受け取り、肩甲骨を使う具体的な行動は起こさず、弓矢を持ち直そうとした。 「よし! 背中で矢を引く――」  胸の意識は当然ながら、胸にしかない。それは体の前面だ。背後に意識を向けるのは一苦労なのである。  気の流れ、  は、  気にする、  だ。すなわち、そこを感じることができなければ、使えないのだ。颯茄は気の流れを作るスイッチが何なのかわかないまま、悪戦苦闘する。  一方、夕霧の無感情、無動のはしばみ色の瞳は、別世界を見ているような目をしていた。 「違う。それはまだ体の前面だ。もっと後ろだ」 「もっと後ろ?」  永遠、肩のラインを超えられない颯茄。最初から親切丁寧に指導していては学びになどならない。夕霧の師匠はいつもそうだ。腰の重い弟子がやっと動いた。 「教える」 「あぁ、ありがとうございます」  颯茄が笑顔になったのもつかの間――  夕霧のしなやかでありながら男らしい左腕が肩を素通りして、彼女の胸の上を横切り、右肩を前から押さえた。深緑の短髪はかがみ込み、颯茄の耳を妖艶に刺激する。 「んんっっ!?!?」  教えてもらっている。だが、それよりも何よりも、乙女事件発生である。驚いた顔をしている――感情が強くなった颯茄の耳元で、 「胸の意識がさっきより強くなった。もっと後ろだ」  そんな官能的な低い声で注意されても困るのである。颯茄は顔を赤くしそうだったが、 「あぁ、はい……」  恥ずかしがっている場合ではない。はっきりと突っ込まないといけない。 「っていうか! 何で後ろから抱きしめてるんですか?!」  完全にバックハグである―― 
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