怨霊の魔窟/5

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怨霊の魔窟/5

 だが、絶対不動の男にはまったく効かなかった。 「今から、肩甲骨まわりをほぐすからだ」  指導していただいているということで、颯茄はすぐに納得しようとしたが、 「あぁ、ありがとうござい――」  トントンと肩を叩かれた。 「はい?」 「何だ?」  同じく肩を叩かれた夕霧が聞き返すと、闘争心を削ぎ取られた敵が戸惑い顔を向けていた。 「戦闘中ですが……」  しかし、そんなことはどうでもいいのである。弓矢をきちんと使いたいのだ。教えを乞いたいのだ。 「ちょっと待ってください。今大切なところなんで……」 「待て」  さっき初めて会って、意気投合してしまい、密着している男女みたいになっているふたりからの阻止で、悪霊たちは冷や汗をかき気味に、仕方なしにうなずくしかなった。 「はぁ……」  画面から、颯茄と夕霧がはずれると、ふたりの声だけになり、こんなおかしな内容になるのだった。 「痛っ!」 「動くな」 「そこに入れるんですか?」 「他にどこがある?」 「何でこんなに痛いんだろう?」 「初めてだからだ」 「いた〜〜っ!」  バージン喪失みたいな場面展開。颯茄が大袈裟なのではなく、本当に痛いのだ。 颯茄は自分の体の内でバリバリという音を聞く。 「修業バカ……」  悪霊全員があきれたため息をついた。夕霧は気にした様子もなく、颯茄からさっと身を引き、まっすぐ立った。 「肩甲骨は普通、羽のように体から離れているものだ。お前のはくっついていた。それでは使えん」 「ありがとうございます」  こんな素晴らしいことは、そうそうないのである。誰かが自分に何かをしてくれるなど、その人の慈愛でしかない。  使いたいところは、手で直接触ればいいのである。知らないばかりに、颯茄はみっちり教えられたのだった。 「あのぅ……?」 「はい?」  真実の愛という至福の時に浸っていた颯茄が我に返ると、敵がひどく困った顔をしていた。 「もういいですか? 私たちも朝日が昇るまでという決まりがあるんですよ」  悪霊も大変なのである、色々と。縦社会であり、上から命令を下されているのだから、手ぶらで帰ったら叱られるのである。 「すみません。お待たせしました」  映画の本編が始まる前の、宣伝みたいな長い時間はやっと終わりを告げた。 「脇は空けろ」 「はい」  コーヒーカップを持ち上げる動きは、ここにつながっていた。  颯茄は言われた通り、弦に作り出したボールを引っ掛け、 「っ!」  狙いを定め、力んだ。即行、師匠から指導が入る。 「構えは取るな。隙ができる」  斬りかかろうとしていた敵たちも一斉にびっくりして、ピタリと動きを止めた。自分たちが注意されたのかと思って。 「あぁ、勉強になります」  いつも通りの呼吸で、弓を最大限に引っ張ってゆく。 「…………」  颯茄が放とうとしている軌跡が、夕霧にははっきりと見えた。 「殺気は消せ。それでは相手に逃げられる」  自分を殺そうとする何者かから逃げない人は誰もいない。颯茄は弓矢をいったん脇へ落とし、笑いを取りにいった。 「の殺気を消す!」 「面白い」  夕霧は珍しく微笑む――無感情、無動のはしばみ色の瞳を細めた。 「親父ギャグ!」  颯茄はガッツポーズを取った。しかし、そう言われても、方法はわからないのである。 「どうやって、殺気を消すんですか?」 「相手に感謝をする」  ――霊体、九十七。邪気、百三十三。  敵の数はゆうに二百を超している。単純計算で自分たちの百倍だ。だが、焦ることなく落ち着き払っている、夕霧は。    戦うのに、お礼をする。真逆というか、水と油というか、ベクトルがまったく交わらない気が、颯茄はした。 「それで消えるんですか?」  当然の質問が弟子からやってきた。 「相手に感謝をすると、自分の気の流れが相手に向かい、それと入れ違いに相手の気の流れが自分へ入ってくる」 「あぁ〜、なるほど。相手と心が通じるから、殺気がなくなるんですね?」 「そうだ」  嘘で言っては、気の流れはできないのである。だからこそ、真心を込めないといけない。颯茄は足をそろえて、悪霊の方々に丁寧に頭を下げた。 「敵のみなさんに、ありがとうございます」
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