先生の帰国

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実験の準備をしていると、入口から音がした。続いて硬い、規則的な足音が近づいてくる。 先生だ。 100%に近い確信を持って顔を上げると、扉を開けた相手は僕を見て驚いた。 「…………」 僕は笑顔のまま、動けなかった。口の端だけが一度、ピクリと引き攣った。 「もう来てたのか、テラくん。遅刻ギリギリじゃないんだな」 2年前と同じ。相変わらず僕を「くん」付けして呼ぶ。 長い手足。青のカッターシャツに渋い赤色のネクタイ。あれは歓迎会で頭に巻いたやつだ。 アリム先生。 大きな声は掠れていた。髪は一気に白髪が増えて、目の下には真っ黒なクマ。年齢が随分上に見える。 「なんだ? 白髪が増えてジジイになったなって思ってんだろ」 「えっ! いえいえ、あ、そ、そうですね!」 「否定しろよ!」 ガハガハと豪快に笑う彼は、僕の知っている彼だった。ギリギリまで張っていた線が一気に緩んで、僕はホッと息を吐いた。 ーー気のせいか。きっと疲れてらっしゃるんだろうな。 続けてやってきた研究員たちも、アリム先生の白髪の量に驚いていた。どのメーカーの白髪染めがいいだとか、いっそのこと金髪に染めたらどうかなど、いつもの軽口で僕らは笑った。 「これから暫くは研修のレポート書かないといけないから、顔出せなくなると思う」 「そうなんですか」 アリム先生のコーヒーはブラック。それにアーモンド入りチョコレートが二粒。昨日帰りに買っておいた。 「どうでした? クドゥ撲滅にいい薬が開発できそうですか?」 僕が身を乗り出して尋ねると、アリム先生の目元に再び暗い影が落ちた。しかしそれは(まばた)きの間に明るさを取り戻した。 「テラくん」 口の中でコリッとアーモンドが割れる音。チョコレートの甘さをコーヒーで流し込むと、アリム先生はまともに僕を見つめた。 研究者としての本気の目。僕は硬い唾を飲み込んだ。 「クドゥで死ぬ人は、近い将来いなくなる」 それだけ断言して、空のコーヒーカップを手に立ち上がろうとする先生に、慌てて手を差し出した。彼は苦笑いして「ありがとう」とカップを僕に渡した。 「さすがテラくん。コーヒー美味かった……とにかくここに来て、良かった」 そして、アリム先生は白衣を着ることなく研究室を後にした。
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