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和は、退院した日に、聡の部屋へと寄った時に出されたココアのことなど、その後一度も、話題に出したことはなかった。
今の今まで、すっかりと忘れてしまっていたくらいだった。
しかし、聡がわざわざ美味しい淹れ方を調べて作ってくれたことは、素直にうれしかったが。
聡が平らかに続ける。
「今まで、インスタントのをただお湯で薄めただけだった。そのお湯の量すらも、適当だった」
「・・・・・・」
ココアのことは、もういいから!
子供の頃から飲んでて好きだけど、ソレしか飲めないわけじゃないから!
前にこの部屋に来た時、飲めるのがソレしかなくて、仕方なくだから!と、和がキレかけて、今にも叫び出しそうになったその時――。
聡がカップから顔を上げた。
そして、黒ぐろとした瞳に真っすぐに、和を映して言う。
「でもそれは、何もココアに限ったことだけじゃなかったんだ。何にでも、当てはまることだったんだ」
「・・・・・・」
聡の話がどこへどう向かっているのかが、まるで分からないままに、和は黙って耳を傾けていた。
その合間に美味しいココアをただただ、すする。
どのみち、それしか出来なかった。
「全然、考えたことがなかった。――何が一番大事で、大切かを。その大事な大切な何かを手に入れたい、手に入れたら守りたいと思った時に、一体どうすればいいのかを」
そこで聡は言葉を切り、ココアのカップをローテーブルの上へと置いた。
そして、和の顔へと手を伸ばす。
今までココアのカップを抱えていたためか、聡の手のひらはとても温かく、和の左頬には感じられた。
和が贈ったハンドクリームを、聡はちゃんと使っていたらしい。
その手の平はしっかりと硬かったが――、滑らかだった。
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