初めてのお使い

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こうやってでございます。トキの足元には、さほど広くない淵が水を湛えていた。 底は全く見えなかった。どれ程深いのか見当もつかなかった。 「ここは機織神社でございます。この機織淵は冥界とこちらを繋ぐ井戸にて。既に死して復活した娘もおられます。こちらに飛び込みませ莉里様。貴女様の霊力があれば、きっと御身を冥界に運びましょう」 「まだお前が生まれる前だ。ある日パパとママは子作りしようと言ってウキウキで出かけていった。2日ほどで帰ってきたがパパは死ぬ一歩手前まで衰弱していた。まあありゃあ流紫降の所為なんだが、わざわざ赤城山までヘリでひとっ飛びしてきたんだ。さっさと行ってこい。お前は屍鬼にはならない。このトキが、世界最高の過保護ババアが見ている」 確かに物凄い存在感があった。 「本当に一人で行くのか?大丈夫か?初めてのお使いが冥界とかどこまで非常識なんだうちは。トキは行けんのだろう?稲荷山グループは大変だ。鵺春はぶっ倒れて寝込んでるし、水仙はママが死んだって情報聞いてあと追いしそうだし、流通が分断されて死傷者もわんさか出ちゃって、稲荷山グループの存亡の危機でトキも本来動けない。この状況でわざわざうちにきてくれただけでも凄いことだ。国家霊的防衛の殿(しんがり)だからな」 碧が素直に心配してくれている。トキまでも。 莉里はトキにしがみついた。トキの帯はとてもいい匂いがした。 「ありがとうなのよさトキ。自分が大変な時に、パパとママの為に。大好きなのよさトキ」 「とんでもありません。可愛い莉里様と碧様が、こんなにお小さいのに、坊っちゃまのご帰還の為に奮闘なさって。坊っちゃまの為ならトキはこの命すら捨てます。どうか、どうか坊っちゃまをお願い申し上げます」 顔を上げた莉里は、迷いのない顔で言った。 「じゃあ行ってくるのよさ。姉ちゃん」 碧は駆け寄り莉里を強く、強く抱きしめた。表面上の諍いはもう存在しなくなって、残ったのはたった一人の肉親に対する強い愛情だった。 「お前は本当に、急に大きくなった気がするな。お前ならきっと大丈夫だ。みんながお前を守っている。トキも涼白も、勿論私もだ。お前に何かがあったら、私はもう生きてさえいられない。大切な大切な妹だお前は。信じてるぞ莉里。きっと帰ってこい。私はお前達全員が戻るのを家で待っている。家は必ず私が守る」 「うん。頼んだのよさ。涼白さんをよろしく頼むのよさ。涼白さんは蛇巫女として頑張るのよさ。莉里には見えるのよさ。みんなの笑顔が。辛い結末なんか認めないのよさ。莉里は三つ子ちゃんの優しいお姉ちゃんになるのよさ。歌いながら庭を散歩するとみんなが莉里や三つ子ちゃんに頭を下げるのよさ。姉ちゃんも流紫降兄ちゃんも緑君も大きくなっててやれやれって顔してるのよさ」 「ああマジか。ママが?もう終わったと思ってたが」 「ママの妊娠出産は終わらないのよさ。だってママは」 莉里の口を指で塞いで、碧は言った。 「ネタバレはそこまでにしとけ。お前がいれば本当に大丈夫だと解った。行ってこい!莉里!私の分も出鱈目かましてこい!」 碧に尻を叩かれ、莉里は機織淵に飛び込んでいった。 冷たい。びっくりするほど。 息が出来ないのよさ。このまま沈んだら、死んじゃうのよさ。 ああ。ママ。ママ。 ああああああああ!!パパんとこ行くのよさああああああ!! もっと沈め!底はまだまだ先なのよさ! 莉里は、パパが大好きな莉里は、生きて冥界に行くのよさああああああああああああああああああああああああああああ!!!! そう。行きたいのね。 あん? 一度行ってしまえばもう帰れないのに。それでも、貴女はそこに行きたいのね。 あんたは?誰なのよさ? 私はかつてそこに行きかけて戻ってきた。死ぬことも出来なくなった屍鬼となった私を、包んでくれたのが真琴さんだった。貴女は真琴さんの娘ね? 現れたのは巫女服を着た高校生くらいの女の子だった。 ママの知り合いなのよさ? 私は棚機津女と呼ばれた女。男達に翻弄された私の人生を、貴女に託します。どうか、貴女の行く末に幸多かれと祈らせてください。 解ったのよさ。こちらこそお願いするのよさ。名前は? 私は桜崎琴子。愛する男性柊忠長と、今も存思の念となって神社を守っています。では参りましょう。入り口までならご案内出来ます。 莉里は目を閉じた。 体がどんどん沈んでいったのを感じていた。
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