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高校からの付き合いである友人の高橋は、結婚3年目だというのに、まだまだ新婚気分が抜けないという。飲みの席でのあいつの話は、もっぱら奥さんの自慢だ。
そして、自慢話の締めくくりの言葉は毎回決まっている。
「おれは奥さんが好きだし、奥さんもおれが好き。いやぁ、世界一幸せな夫婦だと思うよ、ほんとに」
へにゃへにゃとだらしなく緩む高橋の顔。それを眺めながら、おれは、そういえばそろそろ結婚5年目だなぁ……と妻のことを思い出したのである。
「ねえ、おれのこと好き?」
朝ごはんを食べながらさり気なく聞いてみると、妻の奈津美の眉間に皺が寄った。
「え、なに、いきなり……」
「ちょっと気になった」
「ふうん? いや、まあ、好きよ。そうじゃなきゃ結婚しないでしょ。今更なに聞いてるの」
あっけらかんと言う奈津美に、おれはお腹の底のほうが熱くなるのを感じた。
「じゃ、じゃあおれのどこが一番好き?」
奈津美の眉間の皺が、さらに深くなった。
「なに。なんなの」
「いいから教えてよ」
「そりゃあ、あなた」
味噌汁を飲み干した奈津美は、空になったお椀を机に置くと、にこりと微笑んだ。
「お金かな」
「えっ」
「あなた、年齢の割に稼ぎがいいから」
鈍器で頭を殴られたようなショックが、頭を駆け抜けた。
呆然とするおれを尻目に、奈津美は手際よく空いた皿を重ねてキッチンへ姿を消してしまう。ジャー、と水を流す音が聞こえた。
そして運の悪いことに、おれはそのタイミングで、部屋の片隅に置いてある見慣れないバッグの存在に気がついてしまった。ああ、あれ、有名なブランドの……。
ますます動揺していると、ふいに足に柔らかいものが絡みついた。わざわざ確認しなくても感触でわかる、これはマロだ。
マロは2年前に我が家へやって来た猫である。額に、まるで眉毛のような模様があるのが特徴だった。
「マロ……。おれの魅力って、金なんだってさ……」
力なく呟いてみると、まるで励ますかのように、マロがにゃあ、と鳴いた。その声が、傷ついた心に染みる。
目頭を熱くしながら、人間ってクソだな、とおれは唐突に思った。金なんていうものに縛られるから、猫みたいに自由気ままな生き方ができない。みんながみんな、金に媚びて地位を請う。人間というのは、須く心が汚れた生き物なのだ。
「おれにはお前だけだよ、マロ」
にゃあ、ともう一度マロが鳴く。心なしか、いつもよりも穏やかな声だ。
「よし、今ご飯あげるからな」
マロはまだ朝ごはんを食べていないはずだ。そう思っておれが立ち上がろうとすると、奈津美がひょいとキッチンから顔を覗かせた。
その瞬間、さっきまでおれの足にじゃれついていたはずのマロが、ものすごい勢いでテーブルの下から飛び出してきた。呼び止める間もなく、マロは奈津美の足に縋りつく。
「えっ」
「あら、マロ。ご飯よー」
奈津美はその場にしゃがむと、そっと床にマロの食事がのった皿を置いた。
マロは嬉しそうに鳴くと、朝ごはんにがっつき始める。
「見て、見て。いい食べっぷり」
奈津美は口を開けて笑いながら、マロを指差した。おれはゆるゆると頷く。
「うん……」
「いつもより、ちょっと高級な猫缶買ってみたの。マロ、気に入ったみたいね、良かった」
「本当にね……」
確かにいつもに比べて、尋常じゃない食いつきの良さだ。
ぼんやりとマロを見つめるおれに、奈津美が話しかけてくる。
「マロがこうやって美味しいご飯を食べれるのも、あなたのおかげよ。いつもありがとう、あなた」
必死にごはんを食べるマロ。
食事が終わっても、もうマロはおれのところには帰ってこないだろう。そんな予感がした。高級猫缶を買えたのはおれのおかげかもしれない。でも、それを実際にマロに与えたのはおれではなく、奈津美なのだ。
洗い物の続きをするのだろう、さっさとその場から立ち去ろうとする奈津美。彼女の背中と、もうこちらを振り返る気配のないマロの背中を交互に眺め、おれはうめいた。
「みんな嫌いだ……」
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