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金井真子は猫が大嫌いであった。
いや、そう言い切ってしまうのは語弊がある。正確には彼女の愛する彼氏、藤森親太朗の飼い猫クロがどうしても受け入れられないのだ。
ちなみに真子はもともと動物好きな方であり、猫も嫌いでは無かった。しかし同棲する彼氏の愛猫「クロ」だけは別だ。クロは、その名の通り黒猫である。混じり毛の無い完璧で天鵞絨のような黒い被毛を持ち、その仕草は男性を惹きつけてやまない妖艶さを持つ悪女を連想させた。
そして、親太朗はもちろんクロにゾッコン、メロメロ中のメロメロだったのだ。一応彼の恋人という立場である真子にとって、これほど面白くないこともない。
今日も親太朗はクロに猫ちゅるるんをやりながら、言葉通りの猫なで声を出している。
「クロ、美味いか?」
親太朗の問いかけにクロはにゃーんと答えると、いやらしく舌を動かしてあのCMがあざといちゅるるんをぺろぺろと貪るのだ。……本当は別にいやらしくもないのだが、嫉妬に狂う真子の目にはそう映る。
以前、親太朗がクロの真っ黒な毛並みを褒めていたことがあった。そのとき彼が「俺、綺麗な黒髪の女が好きなんだよね」と言っていたのを真子は忘れられない。彼女の髪は明るい茶髪に染め上げられていた。癖のある真子の髪質に、綺麗な黒髪ロングはハードルが高すぎたのである。
「ねえ、親太朗……」
「クロは本当に綺麗だなあ」
真子のこめかみがピクピクと動いた。親太朗と同棲を始める前、彼の家(つまり今の住居であるが)に遊びに行ったときのことを思い出していた。彼の部屋は、そこらじゅうが傷だらけで、その全てがクロの猫爪によるものであった。部屋にはトイレ用の猫砂、猫ちゅるるん、銀の食器、キャットタワー……猫、猫、猫。初めにも言ったが、真子は猫が嫌いなわけでは無い。初対面のクロを見たとき、なんて美しい子なのだろう。と思ったのを真子自身もよく覚えている。その毛並みを愛でようと思わず伸ばした真子の手を……クロはさも当然とばかりに自慢の爪で引き裂いた。慌てる親太朗と、自らの手から流れる赤い血を見たとき、まるで猫の爪痕が家全体に仕掛けられたキスマークのように感じたのであった。
「ねえ、親太朗!」
再度、語尾を強めて話しかける。親太朗は未だクロにちゅるるんを与えつつ、首だけ真子の方に傾けた。
「ん? ナニ? 真子」
「今度の週末、久しぶりにデートに行かない? ほら、最近あまり出かけてなかったじゃない」
二人で、と続けようとした真子の言葉に親太朗のそれが覆いかぶさる。
「あー、今度の週末かー。俺さあ、今度の週末はクロとゆっくり遊んでやりたかったんだよね。最近あんまり構ってやれなかったし」
真子は思わずガックリと肩を落としそうになったが、何とか持ちこたえた。
「あの子とは……毎日遊んであげているじゃない」
二人ともフルタイムで働いており帰宅するのはいつも夜だったが、帰宅するのはいつも親太朗の方が先だった。そして後から帰った真子の目に飛び込んでくるのは、猫じゃらしや先端にネズミの付いた釣り竿のようなおもちゃでクロと遊ぶ親太朗の姿なのだ。その際一応真子にも「おかえりー」と笑顔を見せるが、すぐにクロに向き直りデレデレと顔を崩壊させる。
「いやほら、いつもは仕事でじゅうぶんにコイツと構ってやれてないじゃん?休日くらいはちゃんと相手してやりたいんだよね」
「そんなこと言って、最近全然一緒に出掛けてないじゃん!」
「おいおい何怒ってんだよ」
ママ機嫌わるいでちゅねー、とクロの喉を撫でる親太朗に真子は、「いつから私が猫の母親になったんだ!」と密かに憤慨した。親太朗はクロの相手をするとき自分のことを「パパ」真子のことは「ママ」と呼ぶ。
こんな日々を繰り返しているうちに、真子の心にクロの毛並みとは似ても似つかぬどろどろとした醜い黒い感情が芽生えることは、仕方のないことだったのだろうか?
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