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人魚を飼う
実は私、人魚を飼っているんですよ。
カウンターと、背もたれがない椅子が数脚だけの小さなバーでアブサンをあおっていたところ、隣に腰掛けた女が不意に話しかけてきた。
「へえ、人魚か。それは物好きなことで」
「お兄さん、もし面白かったら、一杯ごちそうしてくださる?」
涼やかな声で問いかける女は、見たところ20代ぐらいだろうか。瓜実顔で色が白く、小ぶりの唇に濃い紫の紅と、切れ長の目に青い色をさしている。芥子色に赤いボタンが咲く派手な銘仙を着ているが、気取っている田舎娘のようで、私にはどうもちぐはぐに見えた。
とはいえ、こちらも大きな仕事に区切りがつき、アブサンも手伝って、気が大きくなっていた。
「良いでしょう。ただし、本当に面白かったらという話ですよ」
「まあ、嬉しい。じゃあこちらを見てくださいな」
するり、と女はカウンターテーブルの上で銘仙の袖をまくった。
右腕の、柔くきめ細かい肌に上半身は乳房をあらわにし、下半身は青緑色の鱗で覆われた魚の姿をした、女の絵が浮いていた。
なんだ、彫り物じゃないか。どこでこさえたんだい。
そう言うと女は「まさか、違いますよ」と微笑む。
「こちらは正真正銘、私が飼っている人魚でございます」
「馬鹿をお言いよ、酔うにもほどがある」
「そんなことをおっしゃらず、よぉく見ていてくださいな」
女は左人差し指で、人魚の彫り物をこしょこしょとくすぐる。
ふふふ、うふふふ。
小さな含み笑いをさせて、人魚がくるりと輪を描きながら泳ぎ出す。
「約束よ、ごちそうしてくださいますね?」
女はじっと、私の目を見て確かめる。
うなずくと、人魚がばしゃり、と二の腕から飛び跳ねた。
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