ハッピーエンド

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ハッピーエンド

あの子になりたい、私もあの子たちのような人生を送りたかった。 国道沿いに建つ十五階建てのビルは、古びた赤茶色のタイルで覆われていて、周囲を囲む古いビルの一つとして長い間佇んでいたのだろう。周りに溶け込み、誰にも見向きもされず、関係者以外は入ろうと言う気さえ起こさないような外見をしていた。 そんな古びたビルの傍らで私は、通りを行き交う人々を見据えながら立ち尽くし色々な事に思い巡らしていた。 私は不幸だった。 幸せを感じた事が無い、安心を感じた事が無い、愛を感じた事が無い。毎日が苦痛で、何処にも私の居場所なんて無かった。だから私は…私の選択は間違っていなかった筈だ。実際に後悔はしていない、なるべくしてなった事だと思うし、こうなる事は私が産まれた時から決まっていた事なのだろう。 辛くなんか無い、寂しくなんか無い、怖くなんか無い。でも、もしも私の事を全て理解し、全てを受け入れてくれる人が居たら、幸せな未来もあったのかもしれない。 夏の暑さを攫っていった秋風は、私までも攫おうとするかのように通りを吹き抜ける。 正午前で人通りが激しくなる時間帯だった。 私は何時ものように通りを行く人々を眺めていると、一人の少年が目に入った。その少年は、制服を着ていて、歳の頃は私と同じぐらいで十代後半だと思う。彼の目は私がよく知る目をしていた。 彼は私の横を通り過ぎて、古びたビルの中に躊躇なく入って行く。 数分後ビルの屋上を見上げると、柵を手で掴み立っている彼が見えた。 私の予想してた通りの事を彼は今からするのだろうと思い、私もビルの屋上に向かって歩き出す。 ビルの中の階段はコンクリートで出来ており、壁に関しては、モルタルが経年劣化の所為で、至る所でひび割れを確認する事ができた。 私は階段を一段一段踏みしめて階を上がる。以前にもこの階段を上がった事を思い出し懐かしく感じた。 屋上に着いた頃には、彼は柵を乗り越えており、いつでも屋上から飛び降りる事が出来るだろう後は体重を前に乗せるだけで体は、地面に向かい降下を始め、数秒で死と仲良く手を繋ぐ事が出来るだろう。 普通ならここで彼を止めるべきなのかも知れない、でも私は普通じゃない。私が彼にしてやれる事は説得では無く、最後をしっかりと見届ける事なのだろう。それが彼の意思なのだから。 秋風が吹き抜ける。彼の命を攫って。 この不条理な世界に水風船を落とした様な音が響く。 私は彼の元に行き、彼の傍らにしゃがみ込み彼の頬に手を乗せて囁くように優しく言った。 「おやすみなさい」 ✴︎ 突然だが僕は死んでいる。 今は幽霊としてこの世界で一人の少女と共に過ごしている。彼女も僕と同じで幽霊だ、誰にも気付かれず、ただ自分の心残りが無くなるその日を待っているんだと。彼女自身も何が心残りなのか分からないみたいで、何年も古びたビルの傍らで立ち尽くしていたらしい。 僕がビルから飛び降りる時も、彼女は見守ってくれていたんだって。彼女も僕と同じようにして、幽霊になったって言ってた。 彼女は僕と歳は、近いらしいがそれ以上聞いたら怒られる。彼女自身も自分の年齢が正確には、分からないって言ってたっけ。 彼女と始めて会ったのは、2ヶ月前の秋風が吹き出した頃だった。その日は、快晴で青空が綺麗だったな。 僕は飛び降りて死んでいる僕自身の体を傍らで見ていたら、一人の制服を着た少女が、僕の死体を覗き込んで、僕の死体の頬に手を乗せ、「おやすみなさい」って言ってくれたんだ。 僕は人に優しくされた事がないから〝優しさ〟って物を知らなかったんだけど、彼女が初めて僕に〝優しさ〟を教えてくれた。凄く嬉しくて、心地が良くて、それでいて悲しかった。 彼女と過去の話を沢山したけど、もし僕と彼女が辛い時に出会ってさえすれば、、、なんて事を考えたりしたさ。でもこれが〝運命〟ってやつなら仕方ないのかも。逆に言えば死んで幽霊になれたから、彼女と出会う事が出来たって考えると、これはこれで良かったのかもしれない。 こんな余談は君たちには、どうでもいいと思うから僕たちの今の話をしよう。 眼前に山火事と見間違えるほどの、赤色の紅葉が海のように広がっていた。 彼女は、目を輝かせながら僕に優しくて、可愛くて、それでいて少し幼くて、、、言葉に出来ないくらいの笑顔を向けてくれた。 僕の左手は、彼女の右手を握り紅葉の中を二人で走った。死んでいるのに生前よりも僕は、生きていた。 僕たちは、生前出来なかった事を二人で一つ一つ幸せを噛み締めながら楽しんだ。二人で行った遊園地で遊んだり、大きな水槽がある水族館で見たことも無い魚を沢山見たり、誰もいなくて貸切状態の大きな公園で寄り添いながら昼寝したり、図書館で二人並んで好きな本を語り合ったり、夜空を仰いで星を見たり、思いつく限りの事はした。楽しかった。幸せだった。 だからこそ僕たちに時間はあまり残されていなかった。 人間一人一人幸せな時間は、与えられている。それが短い人も居れば、一生幸せに暮らせる人もいるだろう。 こんな運命論じみたものは、僕は、嫌いだ。でも生きているならいざ知らず、僕たちは死んだ身だ。 僕たちは気づいていた、残された時間は、後少しだけだという事を。 彼女が僕の左手を引き何処かに案内してくれている。着くとそこは、僕と彼女が初めて会ったビルの前だった。 ビルは以前よりもボロく見えた、実際は何も変わっていないのかもしれないけれど、僕には、ボロく見えた。 彼女は不安そうな顔をしながら言った。 「もうそろそろだね。」 僕は首肯して答えた。 「そうだね。」 気のせいか、世界が少しずつ色褪せてきている気がした。 僕は、彼女の名前を呼び最期の質問に聞きたかった事を彼女に聞いた。 「美有は今幸せ?僕は美有を幸せに出来た?」 彼女は、僕の好きな笑顔で答えた。 「奏多のおかげで凄く幸せな幽霊になれたよ!この世界、この世で1番幸せな幽霊になれた!本当にありがとう。奏多」 白く色褪せて今にも消えてしまいそうな、美しい世界の中で、美有に僕が持てるすべての思いを込めて「どういたしまして」と言い美有に笑いかけた。 僕たちは、この日この時最初で最後のキスをして、人生の幕を下ろした。
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