バナナ&ドーナツ(高校三年生、秋)

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バナナ&ドーナツ(高校三年生、秋)

 点加は先月から、小さな個別指導の塾に通い始めた。それは点加の成績に業を煮やした母が、独断で申し込んだ塾だった。    その塾は、雑居ビルの一室にあった。狭い空間に所狭しと机を並べて、一つ一つの席を白いプラスチックの衝立で区切ってあった。    点加を教える吉沢という大学生は、必ず授業のはじめに簡単な計算問題をやらせた。問題はどれも、小学生のやるような、簡単な掛け算や割り算ばかりであった。基礎的な計算能力を鍛えるためというのは名目ばかりで、実際はろくすっぽ問題を解けないで自信をなくしている点加に、「自分にも解ける問題があるという喜びと自信」を与えるためだった。点加はすっかり見くびられているのだと思った。しかし自分の成績では仕方のないことだった。点加は文句ひとつ言わずに、黙々と問題を解き続けた。    吉沢は都内の理工学部に通う大学生であった。点加は彼に対して、どのように接するべきか全くわからなかった。ここへ通い始めてからもう一ヶ月にもなるのに、彼がどんな顔をしているか、いまだによくわからなかった。いつの間に別人と入れ替わったとしても、気づかないに違いなかった。    吉沢は勉強以外のことについて、余計なことは一つも尋ねて来なかった。たまにふざけているのか、本気なのかわからないような、曖昧なジョークを言うこともあったが、点加が精一杯の、おざなりの笑いを返すと、「つまらないことを言ってごめんなさい」と言って、やけにへりくだって謝るのだった。その度点加は自分が冷たい、悪者にされたような気分になった。    点加の後ろの席にはいつも決まって中学二年生の男子生徒が座っていた。彼もまた吉沢の生徒だった。男子生徒はいつも吉沢に対して、冗談交じりのちょっかいを出した。吉沢はそれに対して、兄のような態度で振る舞った。二人は随分長い付き合いのようだった。    後ろから聞こえてくる楽しげなやりとりを尻目に、点加は石のようにじっと黙って、5分ごとに時計を見ては、授業の終わるのをじっと待ち続けるのだった。
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