動機

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 午後8時を少し回った頃。とある駅前の居酒屋で、黒い礼服を着た二人の中年男が静かに飲んでいる。 「小島先生もまだ若かったよなあ。まだ70行ってなかったんだからねえ」  思い出したように黒いネクタイを外しながら、しんみりとした口調で木下が言った。 「本当、今の基準から見たら若死にだよな。去年の同窓会では、全然元気そうに笑ってたんだけどなあ」  対面に座った楠本が、まだ納得いかないというふうに首を傾げる。 「突然の脳梗塞だってな。まさにサドンデスだよね」 「本当におっかないよな。とにかく普段から血圧とかコレステロール値に気を付けておくこと、そんなことぐらいしか予防手段は無いよなあ」 「今から加藤と仲良くしておいた方がいいかな」  楠本が軽く笑いながら、医師として活躍している同級生の名前を挙げた。 「そうそう。こういう時、医者の友人ってのは大事だと思うよね。まあ、医者は医者で大変そうだけど」 「考えてみれば、俺たちの同級生も割と多彩だよね」 「まあ、本当、色々だよな……」  木下が少し低い声で呟いた。 「……そう言えば、良子ちゃんも来てたね」  楠本が妙に明るい声で話題を変える。 「うん、来てた。久々にあのご尊顔を拝することが出来てラッキーだったよ。まあ、昔から美少女だったけど、今や大人の色気を身に付けて、これまた一段と綺麗になってたね」 「しかも喪服姿だしな。一層妖艶な感じだった。お焼香の時に伏し目がちに佇んでるあの姿は、もう映画のワンシーンみたいだったね」 「そうそう、俺たちだけじゃない、女子も含めてみんなの注目を集めてた。まるで喪服の宣伝モデルみたいな感じだったな」  二人は高校時代の同級生で、今日は、急逝した恩師の葬儀に参列したかえりに旧交を温めているのである。 「まあ、でもこれだけの人数が集まってくれたんだから、先生としても少しは浮かばれただろう。俺の時はこんなに集まってくれるかなあ」  名門と言われる女子大で、英文学の教授をしている楠本が言った。 「それは、無理だろうな。お前と小島先生じゃ人望が違いすぎる」  木下が笑った。 「やっぱり駄目か」 「馬鹿、冗談だよ。っていうか、今から自分の葬式の話なんかするなよ。それこそ縁起でもない。そもそもお前はもっと前向きに話さなきゃ駄目じゃないか。地位にも財産にも恵まれて、人生順調に運んでいるんだし」  もともと裕福な家に生まれ、良家の娘と結婚し、今では名門女子大の教授の地位についている楠本に対して、木下の方はつい最近7度目の職場を辞めたばかりで、現在失業中の身の上なのである。昔から何をやっても長続きせず、感覚の赴くまま根無し草のように転がり続けてきた木下と、何の挫折も苦労も無く、地位と財産に恵まれた人生を順調に送ってきた楠本とでは、キャリアも性格も全く異なっている。にもかかわらず、この二人は妙に付き合いが長く、ずっと以前から年に1,2回は差しで飲みに行ったりするような間柄なのである。 「そういうお前だって大丈夫だよ。必ず次は成功するよ」 「有難う」 「俺はお前の能力を買ってるんだ。たまたまチャンスにめぐり会えないだけなんだよ。本当に、原石の魅力っていうか、昔からお前のことは一目置いてるんだ……お前さえ良ければ、何時でも仕事を紹介するよ。遠慮なく言ってくれ」 「……有難う……まあ、もう少し自分で色々頑張ってみるよ」 「本当に、大丈夫か?遠慮するなよ」 「有難う。本当に大丈夫だから」  目を伏せるようにしながら木下はグラスを一気に空けた。  一週間後。  とある警察署の一室で、木下は刑事の取り調べを受けている。 「……もう一度聞きますが、あなたは16日の午後11時頃、T陸橋の上から楠本良一郎さんを突き落として殺害したというんですね?」 「はい、間違いありません」 「その日は高校の恩師の葬式があって、その帰りに二人で酒を酌み交わした。その後店を出てから二人で歩いていて、陸橋の中程に来たところで、突き落としたんですね?」 「はい」 「あの件は事件事故の両面から捜査していたのですが……何故、今になって出頭してきたんですか?」 「それは、どうしても彼の葬儀には出たかったからなんです。葬儀が終わるまでは捕まるわけにはいかなかったから……」 「……どうも今ひとつすっきりしないんですが、動機は何です?その飲み会の席で口論にでもなったとか?」 「いいえ。楽しく飲んでました、いつもどおりに。あいつとは長い付き合いで、偶に差しで飲むんです。一度も喧嘩になったことなんかありません」 「つまり、あなた方二人は仲が良かったということですよね?じゃ、なんで……」 「うーん、そこなんですけどねえ。仲が良かったとも言えないんですよねえ」 「……?どういうことです?」 「まあ、向こうがどう思ってたか知りませんけどね。私に言わせれば、いつもあいつは上から目線だったんです。自分は一流大学を出て、名家のお嬢さんと結婚して名門女子大の教授。社会的地位にも財産にも恵まれて順風満帆の人生を送っている。かたやこの私は、三流大学を出た後、仕事にも恵まれず転職を繰り返し、未だに定職にもつけずに独り身のまま。そんな私をあいつはどこかで見下していたんですよ。表面上は私のことを気にかけて励ましてくれるような言葉をかけてくれるが、言葉の端々に、保護者ぶった上から目線の優越感が透けて見えるんです。私にはよく分かるんですよ。あいつがいつも私のことを見下していたのが」 「……」 「だからこそ二人で飲みに行くのを、あいつも楽しみにしていたんです。私と会っている時間は、彼にとって優越感を満喫出来る楽しい時間だったんです。ま、私もそれを知りつつ、彼とのつきあいを絶てなかったわけですけどね。こんな私と親しく付き合ってくれるような、奇特な同級生は他にいませんでしたからねえ」 「おい、いい加減にしろよ!」  延々と続く木下の身勝手な自分語りに、とうとう堪忍袋の緒が切れた刑事が机を叩いて怒鳴った。 「楠本さんは、同級生のあんたの窮状を見かねていつも気にかけてくれて、出来るだけのことをすると言って手を差し伸べてくれたんだろう。それに感謝するどころか、逆恨みするなんて、筋違いもいいとこだ。ひがみ根性から折角の相手の善意を曲解して、ついには命まで奪ってしまうなんて、どこまで身勝手な人間なんだ、あんたは!」 「ああ、違うんですよ。刑事さん。確かにあいつのことは、いけ好かない奴だとは思ってましたが、それだけの理由で人間一人殺したりしませんよ。私だってそんな短絡的な馬鹿じゃありません」  思わず感情をむき出しにしてしまった刑事の言葉に対し、木下が妙に冷静に応えた。 「じゃあ、何故殺したんだ?お前のその手で突き落としたんだろうが!」 「それはね、あいつと飲んでたら、思いついてしまったんですよ」 「思いついたって何を?」 「だって、楠本は名門女子大の教授だったんですよ」 「それがどうした?だから、何故殺したんだって聞いてるんだ!」  苛立つ刑事に、木下は笑いながら答えた。 「彼の葬儀に出たら、喪服姿の綺麗な女の子が沢山見られるじゃないですか。ひひひひ」 [了]
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