雨送り

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雨送り

俄雨が額に当たる。 まるで、私に此れまでの人生を悔いろと語りかけるように、一粒一粒がゆっくりと流れ落ちていく。 戦場というのはこの世で最も平等な場所だと思ってきた。軍勢を率いる大将でも、名も知らぬ足軽でも、功を立てれば持て囃され、死してしまえば土に還るしかないからだ。 私のような影の存在でもそれは変わらないと思っていたはず……だが、いざ自分が死に際に直面すると、少々この世を理不尽に感じてしまうのは人間の性なのだろうか? 片口から背中にかけて矢傷が四つ、刀傷が三つ、血のぬるりとした感触が背中と衣類の間を駆け抜け「もう長くは持たないだろう」と空笑いが漏れる。 まぁ既に密書は届けた訳で、私が死んだとしても誰が悲しむでもなく困るでもない。忍とはそういう物なのだ。 雨は徐々に冷たくなる、懐から、爪先から、水が滴る毛先からも体温を奪っていく。きっとこれが……最後に拝む空なのだろう。私は鼠色の雲を見上げ、寒さと共に押し寄せる睡魔に身を任せようとしていた。 そして、それが私の最後の記憶になるはずだった。 「一体……どうなったんだ?」 そう呟いた私は、ボヤけた瞼を通して見知らぬ天井を眺めていた。 起き上がり、辺りを見渡す。何の変哲も無い木造の家屋、筵が敷かれた殺風景な寝屋、なぜ私はこんな所で寝ているのか? 疑問は尽きないが、生きているということと体に巻かれた包帯、そしてしっかりと傷の痛みを感じることに多少の安堵を覚えていた。 「あ、おじさん気がついた?」 そんな声に呼応するように私は肩に手を伸ばすが、そこにあるはずの刀が見当たらない しかし私の危機感とは裏腹に土間から顔を覗かせたのは、少し幼さの残る少女だった。 彼女は身構える私に溜息をつき、「刀はそこ」と壁に立てかけてある忍刀を指差す。 「ここは……?」 「村だよ。おじさん入り口に倒れてたの。でも良かった、薬はちゃんと効いたみたい」 村の入り口? そんな所に私はいただろうか? 覚えているのは雨でぬかるんだ地面と疎らに生えた雑草だけ、私が本能だけでここまでたどり着いたのか? だとしても、この状況をとても幸運とは呼ぶことは出来なかった。 「すまなかったな……すぐに出て行く」 「ちょっと!? 駄目だよ、まだ寝てなきゃ!」 「止めておけ……この戦、どちらが勝ったか私にも見当が付かん。もし私の雇い主が負けていたとしたら、君はこの領内で敵軍を庇った人間になる。こんな時代だ……女子供でも容赦はあるまい」 時代が悪いと言ってしまえばそれまでかもしれない。だが、日の光を浴びずに生きてきたとはいえ、私とて人の子である。 無関係な人間、しかもこんな子供を血生臭い野心の中に投げ落とすような真似は出来なかった。 だが、立ち上がろうとしても何故か足に全く力が入らず、私は筵の上に膝をつく。 「一体……何を飲ませたんだ……?」 「あはは、ごめんね。傷が酷かったみたいで熱も出てたから勝手に飲ませちゃったんだけど、この辺りに生えてる薬草なんだ。良く効くんだけど、体が物凄く怠くなっちゃうの。おあいにく様、気付け薬みたいな高級品は無いのよね」 そう枕元で言って無邪気に苦笑いする少女を見上げ、私は観念したように空咳のような息を漏らし倒れこむ。 彼女の表情から察するに、この薬が切れるまでまだ当分時間があるのだろう。それまでは逃げも隠れも出来ない訳だ。 ザラついた藁の感触に背中を預けると、彼女は「それで良い!」と言わんばかりに首を大きく縦に振る。 「しかし、よく私をここまで運べたな。重かったろう?」 「まさか、私一人じゃ無理だよ。友達に手伝ってもらったの」 「子供だけで村の外に出たのか!?」 合戦が行われている土地で子供が家の外を歩き回っているという事実に私は驚き顔を顰める。だが、そんな私に彼女は飄々と答えた。 「別に遊んでる訳じゃないよ? 大人は皆戦に駆り出されてるし、水汲みでも薪割りでも子供がやらなきゃ生活出来ないんだよ」 「じゃあ……この村には?」 「うん、いるのは年寄りと子供だけ、父ちゃんも母ちゃんもたまにしか帰ってこれないしね」 言葉を失いもう一度天井を見上げると、時折雨水が床や土間に落ちていることに気付く。 それは男手が足りず屋根を修繕することも出来ない環境に彼女が置かれているということだった。 「すまない……」 「ん? 何が?」 首を傾げた彼女から私は目を背ける。 「此度の戦、仕掛けたのは私が属している国なのだ。そして私は戦を有利に進めるため戦場を挟んだ同盟国へ遣わされた密使だ。今が好機と味方に知らせ戦を始めさせたのは私と言っても良いだろう」 「ふーん、でもそれ関係ないよ」 数秒考え、彼女はまたクスクスと笑いながら答える。 「この国のお偉いさんは戦うのが好きみたいで戦なんてしょっちゅうなの。だから私も指折で数えられるくらいの歳からこんな生活だから」 ここが戦が多い国だというのは私も知っていた。 この国の領主は、お世辞にも良い君主とは言えない類の人物で、隣国に戦争を仕掛けてはその奪った土地の資源を使い、また戦を繰り返すということをもう十年以上も続けている。 だが結局、黄砂で手に入れた水をすぐに飲み干してしまうような人間は一生かけてもその大切さに気付かない。そしてこの領主は水が無くなれば人から奪い、手に入れてはまた飲み干していく。 水に有り付けなくなった者たちは戦火に身を投じていくしかないのだ。初めてこの国に足を踏み入れた時、その悪循環が国中には漂っているように思えた。 今回の戦も、引き金は我が国の輸送、流通路にまでこの国の軍勢が侵入してきたことが始まりである。 結果として大義は我にありと我が主君は大軍を率いてこの国に押し寄せた訳だが、彼女には……いや、この国に住む武器を持たない者たちにはそれも関係の無いことなのだ。 「娘よ、何か書く物はあるか?」 「ある訳無いよ。私文字なんて読めないもの」 「そうか……では刀を取ってくれ」 首を傾げた彼女から忍刀を受け取るとその刃先に指を突き立てる。驚いた少女は「何してんのよ!?」と悲鳴に近い声を上げるが、私はその指先を持っていた紙に押し付ける。 「て、手紙……?」 「まぁ、多少血は使うが……これが一番手っ取り早いからな……もしここが危なくなったら、この書状を持って我が軍勢の陣に行け。我が主君は聡明なお方だ。国は民であることを知り、無用な殺生も好まない」 「多少じゃないよ……あれだけ血を流してたのに……でも、一つ聞いて良い? どうしてそこまでしてくれるの? 密使って要は大事な秘密を知ってる人なんでしょ? 私なんかに喋ったら叱られるんじゃない?」 答えがある訳ではない。贖罪などという都合の良い言葉で片付けるつもりも無い。 だが、私はこの純朴な風景に見覚えの無い懐かしさを覚えてしまっていた。 忍の家系に生まれた者は物心がつく前に親元から忍頭の元に預けられ、そこで様々な修練を受ける。故に私は生まれてこのかた両親の顔という者を知らない。 きっとその両親も知らないだろうし、そこにいる全ての人間が希薄な繋がりと使命感だけで生きていたように思う。 眠りにつく時も人を疑うように教えられ、私たちは日夜何かに怯え生活をしていた。それが当然であり、それが日常であった。 だが、この家屋には私が失っていた全ての物があるように思えたのだ。きっとそこにある物全てが、私にそうさせたのである。 「私が……きっとそうしたいと思ったんだ」 そう呟いた私を不思議そうに見下ろし、少女は瞼を何度か開け閉めすると両手のひらをパンっとぶつけて笑う。 「そっか! おじさんはきっと良い人なんだね」 「そんな者ではないさ。さしずめ私は雨を知らせるうろこ雲だ。それ以外どうすることも出来ない無力な人間だよ」 「そうやってすぐ悲観する~私がそうは思わないんだから良いの!」 少女はそう言うと、台所の方へ行くと少し大きな椀を片手に戻ってくる。 「でも! おじさんを放って逃げたりは出来ないからね? はい、薬飲んで」 椀の中には毒々しい緑色の液体が入っている。 口元を引きつらせもう一度少女の顔を見るが、その笑顔とは裏腹に無言のまま私に椀を差し出す。 それを受け取ると、草むらで寝転がったような匂いが鼻をかすめる。 最早これまでと意を決してそれを口に流し込むが苦味と何とも言えないドロッとした舌触りが口の中を覆った。 「おじさん頑張って! 苦いってことは良く効くってことだよ! はい、水!」 少女から水を受け取ると、それを一気に口に流し込み口の中からは苦味が消えた。私は再び溜息をつき、寧ろに背中を落とす。 「参ったな。これでも修羅場の度に色々な物を口に入れてきたつもりだったが、これが一番きつかった……」 「ふふふ、私が調合した特製の薬草汁だからね。その分良〜く効くよ!」 その言葉通り、体が何やら火照ったように熱を帯びているように思えた。それと共に瞼が少し重くなるのを感じる。 「あ、言い忘れた。凄く眠くなるのそれ……おじさんごめん」 そう言って少女は照れくさそうに笑う。 「またか……」 「少し眠ってて良いよ。時間が経ったら起こすから」 「そうだな……すまないが少しだけ眠らせてもらうよ」 「うん……お休み」 瞼を閉じると、目の前にまた暗闇が広がる。 だが、雨音を聴きながら暗い泥濘に身を任せた時と違い、そこには温もりがあった。 少しずつ外から微かに聞こえる雨音も遠のいていく。耳元には蝉時雨が響いている。 蝉……時雨……? 「おい、お主! しっかりせぬか! おい!?」 「…………ここ……は……?」 「おお、生きておったか! お主、我が軍の密使であろう? この道に倒れておったのだぞ」 その侍大将は水筒を私に手渡すと安堵の息を漏らす。 「戦は……どうなったのですか……?」 「我が軍の大勝じゃ! これで暫く戦も無い泰平が訪れるであろう」 空には雲ひとつ流れていない快晴が開けたばかりの私に目に重くのし掛かっていた。  あれだけ冷たい雨水を私に浴びせ続けた雲は忽然と姿を消し、憎々しい程の青がそこに広がっている。 「雨は止んだのですか……?」 「……お主何を言っておるのだ? ここら一帯ここ数日、日照り続きだぞ?」 その言葉を聞いても虚脱感がまだ私の思考を邪魔している。 だが自らの体に手を這いずらせた時、私はその違和感を全身で感じ取った。 「傷が無い…………村は!? 村はどうなったのですか? あの子達は!?」 「村じゃと?」 「はい! ここにあったのです! ここ……に……」 立ち上がると、そこには何も無い草地が辺り一面に広がっていた。 日照りで少し枯れた雑草が初夏の微風に揺れるのを見て、私は言葉を失い呆然と立ち尽くした。 「お主、何か悪い物にでも化かされたか?」 「そんなはずは……! 矢傷や刀傷が癒えているのが証拠です!」 その時、私が叫ぶ後ろで「どうかされました?」という声が聞こえた。 そこに立っていたのは袈裟に身を包んだ僧侶で、この近くの山に寺を構えていると言う。 「村……でございますか?」 「はい、ここにあったのです」 私は何もない草地を指差し、自らの身に起こった出来事を僧侶に話していった。彼はそれを聞き少し俯くと、ゆっくりとその口を開く。 「今から……十年も前の話になりますが、この辺一帯はお侍様たちが攻め滅ぼした国とはまた別の国の領地でございました。しかし、その国はある日、大軍により一夜にして燃やし尽くされたのです」 「燃やし……尽くされた……?」 「人というのは時に愚かな欲望を求めます。その軍勢の大半は金で雇われた野武士でございました。彼らはここいら辺りの村という村を焼き尽くし、金品や食料を奪い、女子供ですら容赦無く切り捨てたのです。元はその者たちも飢えや貧困のため戦火に身を窶した被害者だったのでしょうが、戦は人を人で無くさせる物なのです。あなた様が倒れていたこの何も無い原っぱにもかつて小さな村がありました。貧しい村で大人たちが城下や遠方に出稼ぎに行っている間は子供たちが助け合って暮らしておりました」 僧侶はそこで口を噤むと、過呼吸のように体を震わせ大きく息を吸い込む。 「私も時折、この辺りを通っては元気に走り回る子供たちを眺めたものです。太陽を浴び、貧しくもすくすくと真っ直ぐ生きる子供たちはこの国の希望のように思えました。しかしあの日、私は戦火が上がるのを見て、寺の門を閉め弟子たちや自らを守ることで精一杯だったのです。明くる日、野党の雄叫びが収まると急いで山を降り、この場所に向かいました」 「村は……村はどうなったのですか……!?」 「何も……何もなかったのです。いや、正確に言えば……あったはずの物がイナゴにでも食い尽くされたかのように跡形も無く消えていたのです。幾つかの火種の跡と無数の血の跡、それ以外そこには残っておりませんでした。私は……生死も見届けられず……その魂を弔ってやることも……出来なかったのです」 僧侶は涙を流し、咽び泣いた。「私が見た物は幻だったのだろうか……?」そう呟く私に僧侶は小さく首を横に振った。 「いえ、その言葉を聞いて少しだけ安堵したのも事実です。この地には雨送りという伝説がございます」 「雨送り……?」 「雨の中、異界の門を開くと言う古の儀式です。その昔、陰陽師が流刑者をその異界に送ったのが始まりと言われております。そして、その血筋が多く残っているのがこの地なのです。その異界には雨が降る日にしか行き来が出来ず、またそこに行ける人間、扉を開けられる人間も限られております。可能性は 僅かですが、あの惨劇が起きた日も雨でございました故、もしやと……一縷の望みを心の隅に宿し生きて参りました」 侍大将はそれを聞き「バカバカしい! そのような物はお伽話ではないか!」と叫ぶ、僧侶はそれを聞くと小さく頷いた。 「勿論、私とて俄かには信じておりませぬ。実際は……村が全て灰となり、 亡骸は獣に食い散らかされただけかもしれません。これは……私の理想、そうであればどんなに良いかという我儘でございます。故に……もしあなた様が出会ったのが異界に旅立った者だったのであれば、あるいは……と」 僧侶は我々に深く頭をさげると夕暮れの道を一人歩いて行った。 私は少しだけ涼しくなった初夏の空を見上げると、枕元で彼女が口にした言葉を思い出す。 (まさか、私一人じゃ無理だよ。友達に手伝ってもらったの) 私を村に運ぶ際、友達に手伝って貰った少女は言った。それは一体誰のことだったのだろうか? もし、日照りが数日続いていたのであれば、私が陰陽師であったとしても雨送りで異界に行くことは不可能である。 だが、あの冷たい雨水の感触はまやかしや夢ではなかった。だとしたら、雨は向こうから私の元にやってきたということになる。 (この国のお偉いさんは戦うのが好きみたいで戦なんてしょっちゅうなの。だから私も指折で数えられるくらいの歳からこんな生活だから) 彼女はずっと見ていたのかもしれない。自らが愛したこの地を、それが戦火で消えていくのを。 (おじさんはきっと良い人なんだね) そして、待っていたのかもしれない。 それを誰かが救ってくれるのを。
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