昼想夜夢(仟之助)

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局社に出社して、席に座りながら荷物を片付け、報告書と算盤を机に出す。黙々と作業をこなし…。昨日、貞成に手伝って貰ったお陰で仕事が(はかど)り、残す所は百を切った。そろそろお昼になるから…貴理が良い所で休憩に入る。局社を出て鴨が泳ぐ小さな畔の周りをゆっくりと歩き、貞成の局社の近くまで向かうと丁度良く貞成が玄関から出てきた。 『貞成、こっちだ』 俺を見つけた貞成が微笑しながら歩み寄ってくる。今日は昨日のお礼にお昼をご馳走する事になっていた。二人で問屋街を歩き、流行りの"牛鍋"を食べに向かう。…しかし急に貞成が立ち止まり後ろを振り返った。俺も振り返るとそこには… 『清…っ』 『蜜…っ』 同時に言葉が出る。 清と蜜が、派手な仕事着ではなく普段着の衣に身を(まと)い…俺達を見つめた。 『貞成様…』 『澤名様』 蜜と思わぬ場所で会えるなんて。嬉しくて胸が高鳴り始める。 『貞成様に、澤名様…そういえばお二人は同じ職場でしたね。ご休憩中ですか?』 清が微笑し貞成と俺を順々に見てきた。 『ああ、今丁度休憩で…』 貞成が愛おしそうに清の手を握り 『こんな所で会えるなんて運命だな』 なんて…この道中で本気で呟く。 『貞成…昼間から盛るな』 苦笑しながら蜜に微笑んだ…。 蜜の頬がほんのりと赤らむのを見て、俺を意識してるんだと解り胸が熱くなった。 ああ、可愛い…。 『何だよ、仟之助だって〃蜜に会いたい、文だけじゃ足りない〃ってよく』 『云ってない』 全く。蜜の前で余計な事を云うなよ。 俺は思わず貞成の口を片手で塞ぐ。清がクスクスっと笑い、蜜が誰が見ても解るぐらいに頬が赤く染まった。ここで蜜と別れるのも嫌で…。 『折角(せっかく)だから一緒にお昼を食べないか』 俺達は四名でお昼を食べる事になった。 貞成が普通に清の手を引くのを見て、俺も()り気無く蜜の手を繋いだ。蜜が驚いて俺の顔を覗くが、俺は手を離さずに歩き続けた。しばらく歩くと〃火鍋〃と迫力がある文字が書かれた看板がその存在感を表す。貞成と仟之助は迷わずこの店に足を踏み入れた。実は、社会人になってから行き付けの店なのだ。様々な鍋料理がある中、牛鍋が一番旨くて。 『これはこれは。佐汐様と澤名様、いらっしゃいませ。どうぞ此方(こちら)へ』 俺達は奥の部屋へと通される。店の者が部屋の戸を開けると…壁一面に窓が連なっていて。その窓の向こうには職人が丁寧に手入れをしている美しい庭園となっていた。大きさが整っている松の木が幾つも重なり…地面に敷き詰められた白い小さな石底は幾つもの線が交わっている。 俺と貞成はいつもこの個室を利用していた。お互いに家柄が有名な為に…身なりを知られると色々と面倒になるから。大概個室を利用する。 部屋に入るなり窓辺に立ち、庭園に魅入る蜜。その横顔がまた何とも美しくて。 『気に入ったか』 俺は隣で微笑みながら蜜を見つめた。 『はい…とても美しいですね』 『また来よう』 蜜の手を繋ぎ直して 『今度は二人で』 と耳元で囁やいた。蜜と二人でゆっくりとご飯でも食べてみたい。何が好きなのか知りたいし、蜜の美味しいって顔も見たい。俺はそのまま蜜の手を引き、食卓の丸台に腰掛けた。
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