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タイムカードを切って、ビルの外に出ると、真っ暗だった。眠らない町、と言われてる界隈なのに、すでにビルの明かりも消え、ぽつぽつと明るいのは、風俗店と朝までやってる居酒屋くらい。
「あーもう、帰るのもめんどくさい」
とっくに終電は走っていない。タクシーで帰っても、4時間後にはまた起きて、支度しなきゃいけない。
ブラックすぎるわが社の環境を呪いながら、足を引きずるように、歩き慣れた坂を降りる。長くて勾配のきついこの坂は、ハイヒールだとつらい。入社して3年。今日は特につらい。
坂の終わりに建つ古いビルの2階に、喫茶店がある。よくここで、彼と待ち合わせしていた。私はカフェオレで、彼はブレンド。たまにケーキを頼んで、半分こする。
最後の日もそうだった。ガトーショコラを分け合って食べながら、いろんな話をして。
「気を付けて行ってきてね」
私の言葉を合図に、彼が立ち上がる。古い店だから、天井が低くて、彼が立つとぶら下がってる照明にぶつかりそうだった。
だからそれをよけるように、少し身をかがめて、彼は「行ってくるよ」と私に手を振って、大きなリュックを抱えて出ていく。
いつもより足早に、人混みにまぎれていく彼の後ろ姿を、窓からずっと見ていた。見慣れた頭が視界から消えた後も。
そしてそれが彼を見た最後だった。
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