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Would you like to go on a date with me?
………
……
ただでさえ苦手な英会話、さらに『Would you like』を使った会話に限定されているのだ。
何をしゃべったらいいかさっぱり分からない。
俺が困っていると、加奈はサラサラとノートに英文を書き出した。
そして小声で耳打ちしてきたのだった。
「これを読んで」
「え? あ、うん。ありがとう」
細くて読みやすい字だ。
俺はたどたどしい口調で彼女の書いた例文を読んだ。
「ウッヂューライク……。サム ティー?」
「Yes,Thank you」
「ヒアユアー……」
加奈が「よくできました」と言うかわりにニコリと笑顔を見せる。
バツが悪くなって照れ笑いを浮かべる俺に、今度は加奈が言った。
「Would you like a candy?(キャンディーはいかがですか?)」
加奈はとても流暢に、それでいて俺でも分かる単語を使って話してくれる。
「イエス」
俺が答えると彼女はまた笑顔を見せた。
まるで褒められているかのような気分になって、背中がムズかゆくなる。
何度かそんなことを繰り返していくうちに、『Would you like』までなら滑らかに話せるようになったから不思議なものだ。
恭一と組んでいた時はいつもふざけ合っただけで終わっていたのに、こうして真面目にやればしっかり身に着くものなんだと、今さらながら感心する。
そして心の底から加奈と組んでよかったと思えた。
「加奈、ありがと」
「え?」
「……加奈が教えてくれたから、俺、英語が上手くなった気がする」
「ふふ。雄太くんが頑張ったからだよ。私はちょっとだけお手伝いしただけ」
気恥ずかしそうに加奈がうつむく。
そんな彼女に対し、不思議と素直な気持ちが口をついてでてきた。
「それにポンポンと単語が浮かんできて、ほんとすごいな。俺なんか英語ってだけで頭が真っ白になっちゃうもん」
「私の場合は頭で難しく考えるより、感じたままを口に出してるだけ。だから全然すごくないよ」
「感じたまま……か。ところで加奈は英会話が得意なんだな」
「うん。習ってるから」
「へえ、意外」
「……でも、好きじゃない」
「え? どうして?」
しかしその答えを聞く前に、高畑先生の大きな声が俺たちの会話を絶ちきった。
「はい! そこまでぇ!」
みんなが先生の方を向く。
彼女の傍らにいた恭一はまるで魂を抜かれたかのような白い顔だ。
かなりエグイことを言わされたんだろうな……。
最近の高畑先生は男なら見境なく野獣と化すると聞いたことあるから。
放課後にアイスでもおごって慰めてやるか。
そんなことを考えているうちに、教壇に立った高畑先生が快活な声をあげた。
「じゃあ、最後に何名かに練習の成果を発表してもらいましょう! そうね……。まずは遠山さん」
「はい!」
幼馴染の春奈だ。
背筋をピンと伸ばして立ち上がった彼女は、パートナーの女子にさらりと問いかけた。
「Would you like to eat something?(何か召し上がりますか?)」
「No.Thanks」
流暢な英語でのやり取りに教室が「おおっ」とわく。
「グレート! 素晴らしいわ! 遠山さん! 『Would you like to』の後に動詞をつけて、『〇〇したいですか?』という意味になるのを良く知ってたわね! みんな、遠山さんに拍手!」
――パチパチパチパチ!
みなの拍手を受けながら、春奈はドヤ顔をなぜか俺に向けている。
俺は「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
だが今日の発表は一人では終わらなかった。
高畑先生がビシッと人差し指で指したのは……。
「じゃあ、次は……。私にキョーイチを譲ってくれたジェントルマン! 田中!」
なんと俺だった!
今まで一度も指名なんてされたことがないから、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
「へっ? 俺!?」
「そう、あなたよ! さあ、練習の成果をここで披露しなさい。さあ、立って!」
恭一は「裏切り者は失敗しちまえ!」と恨み節を漏らしている。
渋々立ち上がった俺はちらりと加奈を見た。
すると彼女は小声で励ましてきた。
「がんばって!」
こんなところで加奈にかっこ悪いところを見せるわけにはいかない。
それにもし俺が失敗したらパートナーである彼女の評価も落ちちゃうじゃないか。
やるしかない!
……が、今のままでは勇気が出ない。
だから俺は奥の手を使うことにした。
そう……、メガネを外したのである。
「おお! 雄太がメガネを外した! 無敵だ! ヤツは無敵だぜ!」
恭一の言う通り……。
今の俺は無敵だ!
「ウッヂューライク トゥー!!」
春奈が使った『Would you like to』。
あいつに負けてられるか!
俺だってやれるに違いない!
しかし、いくら無敵だとしても、英会話が急に上達するわけではなかった……。
情けないことに、後が続かなかったのである……。
「……………」
しばらく続く沈黙に教室がにわかに騒ぎ始める。
「ねえ、田中くんどうしたんだろう?」
「急に言葉がでなくなっちゃったのかな?」
まずい! まずい! まずい!
焦りはますます混乱を生み、もはや立っていることさえ怪しくなっていった。
……と、その時だった。
――トントンッ。
目の前の机をたたく音が耳に飛び込んできたのだ。
はっとなって目を向けると、加奈の姿がぼんやりと浮かんだ。
彼女は何か書かれたノートをグイっと押し出して、俺を助けてくれようとしている。
加奈の優しさがじんと心に響く。
でも感傷にひたっている場合ではないと覚った俺は、目を線のように細くしてノートの文字を読もうとした。
「ゴー トゥー……」
だがそれを遮る悪魔、高畑先生の声が突き刺さった。
「こらぁ! 田中! 遠藤に助けてもらうんじゃない! こっち見て、お前の言葉で話しなさい!」
弾かれるように俺は加奈に背を向けて高畑先生の方を向く。
すると先生はニンマリと笑顔になった。
「いいぞ、田中! Would you like to go to……。『あなたは〇〇へ行きたいですか?』という意味だ。最後に『with me』をつければ、『一緒に〇〇へ行きませんか?』となる。それで例文を作ってみなさい」
急にそんなことを言われても、緊張のあまり頭が真っ白で何も浮かばない。
俺が戸惑っているとみるや、高畑先生は俺を励ますように続けた。
「なぁに、難しく考えすぎるな。今日のパートナーの遠藤を誘うことを考えればいい」
加奈を誘う……。
どこへ?
何をしに?
全身がかっと熱くなり、余計にこんがらがってくる。
その時……。
――私の場合は頭で難しく考えるより、感じたままを口に出してるだけよ。
加奈の言葉が脳裏をよぎった。
……と、次の瞬間。
ポンと浮かんできた単語を口にしてしまったのだった。
「デート!」
「ん? Would you like to go to a date with me? と言いたいのか?」
流暢すぎて何言ってるか分からない。
だからおっちょこちょいの俺は何も考えずに、
「イエース!!」
と大きな声で返事をしてしまったのだ。
「おおおっ!」
途端に教室の中がわいた。
「は? なに? なに? どうした?」
俺は眼鏡をかけ直して周囲を見回す。
クラスメイトたちがニヤニヤしながら俺を見ているのが目に飛び込んできた。
「田中。残念ながら一つだけ間違いがある。『go to a date』ではなく『go on a date』だ」
「デート……。デート!? ち、違います。間違いです!!」
高畑先生がニヤニヤしながら俺に近づいてくる。
「私は田中はてっきり草食系だと思っていたんだがな。そうじゃなくて、ちょっと安心したよ」
俺は必死に手を振って否定する。
「いや、だからさっきのは間違いで……。勢いで言ってしまったというか……」
だが高畑先生の足は止まらない。
ヒタヒタとまるでゾンビのように向かってくる。
「間違いなんかじゃないぞ! 『Would you like to go on a date with me?』は『私とデートへ行きませんか?』という意味だ! さあ、田中! Once again! もう一度言ってごらんなさい!」
ついに俺まであと一歩のところまでやってきた高畑先生が「私に言いなさい」と言わんばかりに両手を広げた。
しかし高畑先生に向かって言えば、恭一のような末路は目に見えている。
恭一の「さあ、おまえもこっちへ来い」と誘っている顔が目に入る。
絶対に嫌だ!
俺はぎゅっと目をつむって、くるりと振り返った。
「ウッヂューライク トゥ ゴーオン ア デート ウィズミー?」
――キーンコーン、カーンコーン……。
俺が言い終えたのを待っていたかのようにチャイムが鳴り響く。
ゆっくりと目を開くと、目の前には加奈の姿が……。
まずい……。
これではまるで加奈に向かって言ったのと同じじゃないか――。
彼女は顔を真っ赤にして、口を半開きにしたまま固まってしまったのだった。
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