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動き始めたふたり
校門を出て駅の方へ向かって歩きだしてからも、遠藤は俺の背中についてきていた。
駅まではゆっくり歩いて20分の道のりだ。
いったいどんな話を振ってくるのだろう、とドキドキしながら彼女が話し出すのを待っていた。
――いつから私のこと好きだったの?
なんて質問をされたらどうしようか。
覚えてない、とはぐらかそうか。
「……あの」
それともいっそのことその問いをきっかけに「実はまだ好きじゃないんだ」と本当のことを話すか。
「あのぉ……」
いや、それはまずいだろ。
そういう大事なことはちゃっとした場を設けて……。
「あのっ! 雄太くん!」
大きな声で下の名前を呼ばれたことで思わず背筋が伸びる。
振り返ると、少しだけ離れたT字路で立ち止まっている遠藤の姿が目に飛び込んできた。大きな声を出したのが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしてうつむいている。
「遠藤?」
「私、こっちだから」
彼女はわずかに震えた手で駅とは違う方の道を指さした。
「駅、じゃないのか?」
「うん。私の家、こっちだから」
「そっか……」
結局はろくに会話もせずにお別れか。
でも変にボロが出なかっただけマシかもしれない。
俺は軽く手を振った。
「じゃあ、また明日」
「うん」
遠藤は丁寧にペコリを頭を下げた。
「お、おう」
俺もつられて頭を下げる。
そして駅の方へ向かって歩き出した。
……と、その時だった。
「あ、あのね!」
遠藤が背中から声をかけてきたのだ。
俺は再び振り返った。
スカートのすそをギュッと握りしめた遠藤は、今にも泣き出しそうな顔でうつむいている。
「ど、どうした?」
「遠山さん……」
「遠山……。って、春奈のことか?」
遠藤が「うん」とうなずく。
なぜこの場面で春奈の名前が出てくるんだ?
まさか俺が春奈と遠藤を間違えて告白してしまったことに気付いたのか?
さすがにそれはないだろう。
だったらなぜ……。
その疑問を投げかける前に遠藤がはっきりと言った。
「雄太くんは遠山さんのこと、『春奈』って呼んでるでしょ」
「え、ああ、まあ幼馴染だし」
「だったら……」
遠藤はぱっと顔を上げて、一歩だけ俺につめよる。
そして思い詰めた表情で告げてきたのだった。
「私のことも『加奈』って呼んで欲しいの」
「えっ……?」
「お願い!」
腰を90度に曲げて頭を下げてきた彼女に圧倒されてしまった俺は、黙り込んでしまった。
すると彼女は頭を上げて、俺に背を向けた。
「ごめんなさい。あつかましくて……」
消え入りそうな声だ。
とっさに返す言葉が浮かばない。
「え、いや……」
「今のは忘れて。じゃあ、また明日」
俺が何も返さなかったから否定されたと思ったのだろう。
妹の香織ならここで「お兄ちゃんのバカ! 童貞!」と罵倒してくるところだろうが、遠藤は違っていた。
彼女は無言で立ち去ろうとしている。
その背中はすごく寂しそうだ。
そもそも彼女が自分の意見をここまで強く言ったのを見たことがない。
どんなにクラスが盛り上がろうとも、いつも教室の隅でひっそりとしているのだ。
だからきっと特別な思いがあって、俺に頭を下げたに違いない。
それが「彼氏には下の名前で呼んで欲しい」という甘い欲求によるものなのか、それとも違った理由があるのか、俺には分からない。
でも……。
それでも……。
悲しそうにうつむく彼女の姿は、俺に小さな勇気を与えてくれた――。
「バイバイ! 加奈!!」
俺の声が辺りに響くと、遠藤……いや、加奈が俺の方をはっとした顔で振り向いた。
そして目を丸くしている彼女に向かって、俺は小さく手を振る。これが今俺のできる精いっぱいだった。
でも加奈にとってはじゅうぶんだったようだ。
彼女はもう一度90度にお辞儀をした後、笑顔になった。
「バイバイ。雄太くん」
声は相変わらず小さい。
でも彼女が作った笑顔はこれまでになく自然なものだ。
派手さはないけど、野原で咲く小さな白い花のように可憐で……可愛かった。
思わずドキッとしてしまった俺は、急に恥ずかしくなって彼女に背を向けると、駅の方へ駆けていったのだった。
そして俺は決意したんだ。
手違いで始まった二人の関係を、もう少し続けてみようって。
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