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#C - 会合する悪意
地獄――それは大都市LAの裏側に存在する別世界である。
崩れ落ちたビル群と砂地、立ち上がる獄炎と黒煙、大量の血で作られた大河。
これらを目の当たりにすれば、名の通り地獄の景色であると万人が思い至ることだろう。
我が物顔で街を闊歩する悪魔や亡者たちの存在は、そこが現実ではない別の世界であることの証明にほかならない。
だが、この世界は神話で語り継がれた『地獄』そのものではない。
この地獄に死者の魂は眠らず、橋を渡す船頭はおらず、管理者たる神もいない。
人々を貶める超常存在達の住処であり、破滅に向かうLAの未来を映す血塗れの鏡だ。
現世にあらず、幽世でもなく、それらの狭間に存在する世界――それが地獄だ。
故に、この世界には良からぬ企みを抱くもの達が集う。
現世のセンチュリー・シティに相当する場所、数多のビル群が崩れ落ちた酷く退廃的な景色の中に、唯一聳え立っている高層ビルがあった。
名を『セカンドトレード・タワー』と呼ぶそのビルの中腹には、円形に机を並べた大きな会議室がある。
LAの裏側でそれを使うものなど本来は存在しないはずだが、今日だけは違った。
その日、会議室には複数の影が集まっていた。
影の数はおよそ二十余り。
それぞれが壊れかけた長椅子に腰掛け、影同士で話をしたり、亡者の足を貪ったり、静寂を楽しんでいたりと皆が思い思いに過ごし、場は耳障りな喧騒で満たされている。
同一ではない数多の超常存在、その会合の場であった。
「――静粛に」
部屋の最奥に腰掛ける者が徐に立ち上がり、円卓に向けて手を翳しながらそう告げると、途端に会議室が静まり返った。
その者は全身を包む黄金の祭服を纏い、頭には黒ずんだ宝玉を散りばめた球形の冠を被っている。
一見すれば『法王』の如き高貴な姿だが、その顔面は頬や瞼が腐った様に剥がれ落ちており、皮膚の間から歯や目玉が覗いている。
肌色は煤けた灰色に染まっており、外見は干物と化した死体そのものだ。
そして烏合の衆の如きそれらが一斉に沈黙へ至る程に、その者がこの場において多大なる影響力を有していることは間違いない。
静けさが空間を支配したことを確認すると、その者は言を続ける。
「此度の集いは決して戯れの場ではない……努々忘れるな。さて、早速だが計画の進行具合を汝らに伝えよう。現時点で破壊出来ている『石』の数は四つ、残りは二つだ。想定より時間は掛かっているものの、我らの宿願成就までまた一歩近付いたといえよう」
会議室が歓喜に湧く。
影達は喜びのあまり狂ったように笑い、飛び跳ねる。
酷く耳障りな笑声と醜悪な笑みが並ぶその光景は、人類がこの世の終末を想起することも容易い。
最中、尚も静かに佇んでいた影の一つが徐に立ち上がった。
その影は他と比べると少々大柄で、頭には二本の角の様な突起を生やしている。
「法王。計画の前進は喜ばしい事だが、たかが現世の石如きを四つ破壊するだけに六〇〇年余りの時を要している。これは如何な理由だ?」
大柄な影がしゃがれた男の声でそう疑問を呈すると、周囲の影も続いて声を上げた。
すると法王と呼ばれた者は両手を広げてそれらを制し、重々しく告げる。
「汝の疑念は理解しているとも、皇帝。しかし我等には大きな障害が存在する。その名を『マルコム・バレンタイン』と告げれば、汝らも理解してくれようか?」
法王の口からマルコムの名前が告げられた直後、皇帝を含む影達から驚愕を孕む声が次々と上がり、空間はざわめきで満たされる。
――マルコム・バレンタイン! 知識の蒐集家!
――彼奴め、またしても我らの邪魔をするのか!
――憎きもの! 忌まわしきもの! 我等の敵!
――滅ぼせ! 早く滅ぼせ!
――殺せ! 殺セ! コロセ!
「静粛に」
再度放たれた法王の諌止により、怒号と憤慨で満たされていた会議室は途端に静寂を取り戻す。
しかし、それでも尚どよめきが完全に止むことはなく、法王は深く息を吐いた。
「汝らも知っての通り、あれは非常に厄介な存在だ。それに目障りなものは奴だけではない。『堕天狩り』に『光の巫女』、そして『嵐の王』……マルコム・バレンタインに与するもの共は、いずれも我等の企みを潰している」
法王は両拳を握り、苦渋を噛み締めながら灰色の息を吐き続ける。
窪んだ双眸の奥には憤慨の赤光を宿し、放たれる威圧に影達は畏怖を覚える。
だが皇帝はそれを物ともせず、再び自身が抱いた疑問を言葉にした。
「法王よ、もしや魔術師等の策が失敗したのは、そ奴等の仕業か」
「いかにも。魔術師、節制、力の策は、全て能天使の代行者共に阻まれた。もはや各々の策のみでは目的を達することは出来ぬだろう」
「ならばどうする?」
「案ずるな、次の策は既に打っている。隠者の施策の甲斐あって地獄の門の出現は確実となった。残るはその増長だけだ。蠅の王の眷属は此度も敗北した様だが、良い囮にはなってくれている」
「であれば、それに乗じぬ手はなかろう」
「うむ。そこで来る『祭日』までに、熾天使の代行者共を屠るものを選びたい。収集した魔力の大半は大門の創造に注ぎ込む為、我等全員が現世に顕現するだけの魔力は用意出来ない。故に多くとも三門が限界だ。一つは皇帝、一つは女帝が決まっている。残る一門は――」
――最後の一門、オレに使わせてくれ。
その声は、会議室の扉の側に立つ痩身の影が放ったものだった。
どこか軽率そうな雰囲気をおびた声の影は、細長い腕で自らを指差している。
「決して勤勉ではない貴様が、いったいどういった風の吹き回しだ、刑死者よ」
不機嫌な感情を全く隠そうとしない皇帝の問いが投げかけられると、刑死者と呼ばれた細身の影は、お道化た様子で宣う。
「アンタが心配する様なことはしないさ。ただ、ちょっとやりたいことがあるだけのことよ。なぁ良いだろ、法王?」
「――よかろう」
「法王」
「案ずるな皇帝よ、我等は皆それぞれの力を理解している。刑死者の力は計画の一端を担うに足り得る」
法王は徐に立ち上がり、刑死者を指差す。
その指先には黒い光が灯り、陽炎の如く怪しく揺らめいている。
「それでは、最後の一門は刑死者が使用するものとする。異論あるものは申し出よ」
法王の言葉に対して法王と刑死者以外に立つ影はその場におらず、即ち全会一致が示された。
異論がないことを理解した法王は呪文らしき言葉を紡ぐと、直後、指先の黒い光が勢いよく刑死者に飛んでいき、その身体に触れた。
刑死者の全身が黒い光で包まれ、しばらくすると輝きは収束していく。
触れた黒い光から、自らに与えられた役割と力を認識したらしき刑死者は、その口を歪ませた。
「よろしい。他のもの達は祭日までに残り二つの石を破壊することに尽力せよ。直、我等の宿願は果たされる。今こそこの世界に救済を、我等が神の御心のままに――」
――我等が神の御心のままに。
法王の言葉に続いて影達の斉唱が会議室に轟き、それを皮切りに影達は一つずつその身を闇に溶かして消えていく。
法王を含めた影達の全てが会議室を去っていく中、皇帝と刑死者の二つの影だけがその場に残っていた。
皇帝は刑死者に歩み寄り、訝し気な視線を向ける。
「貴様の企みは知らんが、我の邪魔をすることは許さん」
「そりゃお互い様だ。まぁ心配すんなよ、オレの目的を邪魔しない限りアンタの邪魔はしない。それぞれやりたい事やってるときは関わらないってことで――オーケー?」
「……その言葉、努々忘れるな」
「へいへい」
刑死者の返事を聞くと、満足したのかやがて皇帝も闇に身を溶かしてその場を後にする。
その去り姿を眺めながら刑死者は「難儀なヤツ」と溜息を吐き、刑死者もその身を闇に沈めていく。
ふと、その最中に刑死者は自らの目的を頭の中で反芻する。
するとそれを果たす期待に胸を躍らせたのか、湯水の如く湧き上がる感情から込み上げてきた笑いを抑えきれず、何者も居ない会議室に狂った様な笑声が木霊する。
「待ってろよ……オマエは、オレが必ず殺してやるからなぁ……嵐の王」
呪詛の如き刑死者の呟きと嗤い声を残し、全ての影が闇に溶けて消えた。
地獄は今日も依然変わりなし。
Case.3.5-C/会合する悪意 完
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