冷製カッペリーニそうめん

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冷製カッペリーニそうめん

「暑い……こんなに暑いと、食欲も湧かない……」  だらしなくも姿勢を崩して、雲母(きらら)(るな)は弱音を吐きだした。  梅雨が明けるとあっという間に気温が上がり、蝉しぐれに汗を噴き出すそんな時期がやってきた。 「だったらお昼はそうめんにしようか~?」  のんびりとした青年の声が、キッチンから聞こえた。  月は視線を向け、冷蔵庫を開いて昼食の内容を考えている青年……勘解由小路(かでのこうじ)乾太郎(かんたろう)に「うーん」と唸った。 「そうめん続きで……流石に飽きちゃうなぁ」  夏と言えばそうめん。暑い日にツルツルと味わえる冷えた喉越し。これに勝るものはない……とは言え、そうめんはこれで三日連続であった。  流石に飽きてきたと感じた月は、乾太郎に複雑そうな顔をしてみせた。 「でも、そうめんまだ余ってるから、使い切らないと」 「そだね……」  乾太郎は顎に手を当て、なにやら思案をしている様子で冷蔵庫の中身を見つめていた。 「なら……カッペリーニにしようか」 「えっ?」  乾太郎の提案に、そうめんを食べることに仕方ないという気持ちになっていた月は、思わず気だるげだった瞼をパッチリとさせた。  乾太郎は冷蔵庫から、トマトとツナ缶を取り出して、さわやかに白い歯を見せた。  そうめんを湯がくために、まずは大鍋に水をたっぷり入れてIHヒーターのスイッチを入れた。  この部屋はクーラーを動かしていない。節約のためだ。暑い部屋の中が更に気温を上げるようで、月は気怠い身体が汗で溶けないように、立ち上がってキッチンに向かった。  まな板の上に真っ赤なトマトがひとつ、瑞々しく光を反射させていた。  乾太郎は手慣れた手つきでトマトを輪切りにしていくと、トマトのすっぱい香りがふんわりと広がる。  月はキッチンから響く、トマトを切る、しゃくん、という音だけで噴き出していた汗が引いていくのを感じていた。  輪切りにしたあと、そのまま更に小さく切っていき、一口サイズにまでした。  続いて、大葉を用意してこちらも細かく切り刻んでいく。  手慣れた包丁さばきは、料理をしない月から見るとまるでマジックショウみたいに目を奪われる。  月は、この乾太郎が料理をしている姿がとても好きだった。  乾太郎は趣味が料理だ。いつも美味しい料理を作ってくれる。  残念ながら、乾太郎と一緒に生活をしていると、月は料理をすることがないので、まったく料理の腕は上がることがない。  なにせ、彼の料理は絶品と言って差し支えないものなのだ。  完全に、月の胃袋は乾太郎の虜にさせられていた。 「キララちゃん、ボウル取ってくれるかな」 「うん」  月がボウルを用意すると、乾太郎は調味料の棚からオリーブオイルとポン酢、それから檸檬果汁と黒コショウを取り出した。  どれもさっぱりした夏バテした身体が求める香りを生み出すものばかりだ。  乾太郎はオリーブオイルとポン酢、檸檬果汁を大さじで一杯から二杯ほど、適量ボウルに入れていく。  三種類の調味料が混ざったそれは、(かば)色に煌めいていて、綺麗だった。  その中に、黒コショウが少量、降り注いでいく。 「ツナ缶、空けたほうが良い?」  何もしないのも気が引けるので、月はツナ缶を開けるくらいはしようと乾太郎に聞きながら缶を開いていた。 「ありがとー、キララちゃん」  隣で乾太郎が、にっこりと笑う。  なんだか、お母さんみたいな笑顔をしたので、乾太郎が内心「お手伝いできて偉いね~」と言っているのがありありと見えて、月は(こんにゃろー)なんて思っていた。  乾太郎はボウルの中身を軽く混ぜ合わせると、そこに先ほど切ったトマトを入れる。  月がツナ缶を開けたのを確認して、受け取ると油を切ってそれもボウルに投入する。  トマトとツナが、蒲色のソースと混ざるように和えながら、てきぱきと、大鍋のほうの様子を確認した。  IHのクッキングヒーターはボタンを「ピッ」と押すだけで熱を発して鍋を温めてくれる。  料理が趣味だとしたら、きちんと火がつくコンロのほうがいいのかなと、月は思っていたが、乾太郎は特にそこは気にしていないようだ。  クッキングヒーターでもしっかりした料理を作ることができるのもまた、彼が料理好きだからなのかもしれない。  鍋の中は熱湯になっていて、蒸気が上がっている。そうめんを茹でてもいい頃合いだろう。  乾太郎は乾麺を取り出し、沸騰した鍋にそれをさらりと広がるように入れる。  そうめんはたちまち、ピンと背筋を伸ばしていた姿を、くたりと崩し、お風呂に浸かるみたいにその身を和らげた。  乾太郎が箸を使って、そうめんを適度に茹でる。 「そうめんで、カッペリーニするなんて、初めてかも」 「食べ方は色々工夫できるからね。料理って面白いだろ?」  月はそうめんの食べ方なんて、おつゆにひたして、ツルツル啜ることしか知らなかった。  料理というのは、自分の好みの食べ方にアレンジをすることなんだな、と乾太郎の端整な顔立ちをそっと見ながら考えていた。  料理をしている時の乾太郎は、楽しそうだった。  そんな彼の表情が、月の心を弾ませる。  そうめんが茹で上がり、それを冷たい水で流しながら冷ましていく。  十分にそうめんの熱が下がると、乾太郎はそうめんを先ほどのトマトとツナのボウルに入れた。  そして、麺とよく絡むように混ぜ合わせていく。  白いそうめんが、うっすらとクリーム色に染まっていき、まるでパスタに変身していくみたいだった。 「すごい、見た目がイタリアン」  思わず感嘆の声が出た月に、乾太郎は目尻を下げた。 「お皿を用意して貰えるかい?」 「うん」  月は、清涼感のあるガラスのお皿を取り出した。  乾太郎は、ソースが馴染んだそうめんを、ナイロントングで挟み、つまみ上げると、それを皿に円を描くように落としていく。  それから、トマトとツナをそうめんの周りに敷き詰めるように盛り付ける。  まるでお皿が、ひとつの庭園になっていくようだった。 「さて、仕上げだ」  先に切っておいた大葉を、盛り付けられたそうめんの上に、そっと乗せる。 「おいしそう……」  月は生唾が出てくるのを止められず、ゴクリと喉を鳴らしてしまった。  いつも食べているそうめんとは、まるで違った、冷静カッペリーニのそうめんが出来上がっていたのだ。  とくに難しい手順を踏んだわけでもない。  あっという間にできた料理だった。  これなら、料理をしない月でも作れるかもしれない。 「さあ、昼食にしようか~」  のんびりした口調の乾太郎は、二人前のカッペリーニをテーブルに持って行く。  さっきまで茹るような暑さの中にいたと思ったのに、信じられないほどさっぱりした気配が部屋に満ちていた。 「フォークかな? お箸かな?」  そうめんだけど、見た目は完全にパスタだ。  月はフォークかお箸か、どっちで食べるか悩んだ。 「お好きな方で」  苦笑する乾太郎を見て、ちょっと気恥ずかしくなって、月はフォークを用意した。 「いただきます」 「いただきます」  二人で向かい合い、手を合わせると早速フォークを掴み、そうめんを巻き付けていく。  こうしてみると、完全にパスタだった。  適量巻き取り、口に運ぶ。 「……んふっ。おいしいっ……」  夏バテして食欲がなかったはずの月は、口に入れた時に広がった、さっぱりした風味に感激した。  これなら、いくらでも食べられるのではないか?  そうめんは、細く軽く歯で噛むと千切れ、よく染み渡ったオリーブオイルと檸檬果汁に、みりんの風味が舌にのると、ぴりりとした辛味が味わえる。  これはきっと黒コショウのお陰だろう。  味気ないわけでもなく、かといってくどくない。  そんな心を惹く味わいだった。つるりとした喉越しも、堪らない。  月は、フォークでトマトを指してツナと絡めながら、口に運ぶ。  すっぱさのなかに、塩味が効いている。食欲をそそる僅かな舌への刺激と共に、トマトを奥歯で、ぷちゅっと噛む弾力が心地いい。 「ツナ缶を使ったけど、アンチョビでもいいかもなぁ」  乾太郎は自分の料理を味わいながら、そんな感想を言ったが、「なにをおっしゃる」と月は内心突っ込んでいた。  これでも、十分美味しいのだ。  これがさらにアレンジ可能なんだという、乾太郎の言葉に、甘美な食生活の未来を思い描いて、艶めかしい吐息がこぼれそうになるじゃないか。  ほっぺたが落ちる、というのは何度味わっても堪らない感覚だ。  暑い夏は、これから始まる。  しかし、こんな美味しいものを楽しめるのだとしたら、陽ざしの熱線を耐え忍ぶことくらいはやってもいいかもしれない。  雲母月と、勘解由小路乾太郎の食生活は、まだまだ続くのだから――。
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