ぁんっ!

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今回はあの長くて恐ろしくツライ階段を使うことなく、車で家の方まで向かった僕たち。正直、またあの階段を上らなければならないと覚悟していた僕にとっては上野さんが救世主に見えたのは言うまでもない。 相変わらずの立派なお家・・・というかお屋敷を目の前にすると、どうしても躊躇してしまう。既に玄関にはお付きの方が立っていて、僕たちを待っている これから大祭の間、鶴城さんたちは仕事に追われて過ごすことになるのだが、僕は夜しか出番がない。いや、出番というにはどうだろうか・・・といった内容なのだけども。 「おかえりなさいませ、朱羽様、愛斗様。奥でご当主様がお待ちです。」 手に持っていた小さなカバンですらもサクッと持っていかれてしまい、ここは高級旅館か何かなのかと勘違いしてしまう。ここでは僕はちょっとした傷すらも作ることは出来ないくらいに徹底的に守られている。 何度かここにお邪魔してはいるが、トイレにすらもついてこられそうになった時は流石に丁重にお断りした。トイレというシークレットタイムはそっとしておいて欲しい。人間エアー漏れっていうのはあるのだからそれは聞かれたくはない。ここの人ときたら、トイレのドアのすぐそばで待機するものだから秘密の花園も緊張を解くことは出来ない。それでお腹を壊してしまってからはキッチリお断りするようにした。 「お、お邪魔します。」 「はいはい、ただいまですよー。すぐにでもサヨナラしたいですよー。」 鶴城さんはいつもこんな感じだ。お付きの人も慣れてしまって何も言わないが・・・。まぁ、当主様も性格的にはこんな感じで似たような雰囲気だからここに居る人たちはもうそれが当たり前になっているんだろう。 「ちゃんと仕事していただければ直ぐに帰れますよ、し ご と。」 すぐ後ろにいた上野さんの鋭い言葉は、鶴城さんの口を堅く閉ざすことが出来る唯一の瞬間接着剤のような役目をもっている。彼は上野さんの言葉を聞くと途端に大人しくなるのだから、この2人の関係性は未だにわからない。 「愛斗様は後で私と一緒に別の部屋に移動します、そしたらゆっくり梅昆布茶  でも飲みましょうね。美味しいお茶を手に入れたんです!」 小春さんは横からにょっこり顔を出して、最近2人してハマっている梅昆布茶の話をしてきた。あのすっぱじょっぱい味がたまらなく後を引くのだ。 こんな真夏にそんな熱いものを・・・と思われてしまうが、このクッソ暑い中で飲む梅昆布茶の美味しい事と言ったら・・・。 僕は小春さんの言葉を聞いて、もう既に舌が梅昆布茶を求めている事に気が付く。特に塩も何もつけていないおむすびとのコンビは最高なのだ。 「うわぁ・・・っ!凄く楽しみです!小春さんどこでそういったものを見つけ  るんですか?僕も結構チェックしてるんですけどなかなか出会えなくて。」 「私はネットを駆使してますからね。サークルの皆にも聞きますし。口コミ  ほど信頼できるものはないですよ!特に知っている人というのは安心感が  違いますもん。」 なるほど・・・小春さんのサークルは女性が主だから、そういう食に関してもアンテナの張り方が違うんだろう。僕もこっそりそのサークルに参加させてもらおうかな、なんて思ってしまう。 ―――いや、イヤイヤ。あのサークルは特殊サークルだから僕なんて人間が簡単に入ってはいけない場所だ。危うくおもちゃにされてしまうところだった。 梅昆布茶の罠をなんとかクリアしているといつの間にか奥の部屋まで進んでいた。 「――失礼いたします、朱羽様ご到着されました。」 襖戸の奥に向かって僕たちの到着を伝えると、中から低くて渋さのある声が返って来た。 「―――入りなさい。」 中から聞こえた声は重厚で渋みのあるどっしりとした質の声だ。いつ聞いても当主様の声は格好いい。ある程度の年齢を重ねた上に、人間性も大きくしっかりとした地位にいる人独特の声だ。鶴城さんの甘くて優しい声も大好きなのだが、僕は当主様のこの渋みのある重い声も大好きだったりする。 目を閉じてじっと聞いているとふんわりと大きな手で包まれているような気がして落ち着くのだ。
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