ぁんっ!

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「はい、承りました。」 鶴城さんの挨拶に綾子さんも綺麗な所作で返事をする。実り過ぎた果実の所為でよく見ていなかったが、今日の綾子さんはいつものようなキャリアウーマンスタイルではなく、控えめで上品なシャツワンピースを着こなしていた。 こうしてみると、本当に良家のお嬢様という雰囲気が醸し出されている。 挨拶が終わると、当主様と鶴城さん、上野さんは一緒に部屋から出て行ってしまう。ふと見上げた横顔はもう神職に携わるしっかりとした表情になっていていつものような甘い表情はどこにもなかった。 元々整った顔立ちの上に、そんなにキリっとした表情をされてしまうと、僕の心臓はいやおう無しに不規則に動き出す。いつもバカな事や変態全開で迫ってくる姿しか見ないから、こんな顔をされて、こんな格好いい表情を見てしまったらドキドキしてしまうのは仕方ない事だと思う。 「――ふふっ、ああやって見ると、私の息子もまんざらじゃないでしょ?」 突然耳元で囁かれるように話しかけられた僕は驚いてびくりと肩を揺らしてしまう。まるで耳にふぅーっと息を吹きかける様に話しかけるもんだからぞわっとして顔が熱くなってしまう。 「えっ、やっ、あのっ、その」 確かに綾子さんの言う通り見蕩れてしまっていたんだ、僕は。まんざらなんてもんじゃなくて、本当になんて格好いいんだろうって思っていたんだ。 こんな格好いい人に僕はお嫁さんになって欲しいと言われて、毎晩のように愛されている事に満たされていたんだ。 考えていたことが簡単に漏れ出てしまったことに急に恥ずかしくなった僕は、とにかくなんとかしてこの場誤魔化したいと思った。だって・・・こんなの、 乙女としか言いようがないじゃないかっ!恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだ! 「まあねー確かにそこら辺の若造なんか目じゃないわね、朱羽も。でもねー  翠一(あきひと)さんにはまだまだ、足元にも及ばないわね!」 突然の当主様の名前でびっくりしてしまった。綾子さんが当主様の名前を呼ぶ時の声色がなんとも優しくて・・・。とても大好きな人の名前を呼ぶときってこうやって優しい音になって伝わるんだろう。鶴城さんが僕の事を呼ぶ時もとても優しくて甘い。僕も同じように優しくて大好きだという思いがこもった呼び方が出来ているんだろうか。 「翠一さんはパーフェクトだもの!悪い所が見当たらないわ!なんでも完璧に  こなしてしまう人なのよ?私達離れて暮らしているから一緒に居る時間なん  て他の夫婦よりも少ないけど、時間なんかよりも気持ちの大きさで問題なく  過ごせているもの。マー君はきっと性別の事で色々考えたんだろうけど、  でもね、結局はお互いの気持ちが寄り添っているか、いないか。それがとて  も大事な事なんだと思うわ。ま、翠一さんよりもいい男なんてこの世にない  から、私は灰になるまであの人をずっと好きでいるわ。」 当主様の話をしている時の綾子さんは、僕たちのクラスメイトに居そうな女子そのもだった。キラキラとしていて、結婚してもなお彼に恋をしているのだという事がちゃんと伝わってくる。 「”灰になっても”ではないんですか?」 でもどうして気になってしまった言葉がこれだった。普通なら灰になってもといいそうなもんだ。 「私が燃えて形を成さなくなってしまったら、私がどれだけ好きでいても何も  してあげることは出来ないでしょ?気持ちだけをぶつけてもダメなときはあ  るもの。だから、形あるうちは何かをしてあげられるから好きでいるのよ。  もしも・・・私の方が先に灰になってしまったら―――――。」 少し考えた後綾子さんは大人のような少女のような笑顔で言った。 「私は全力で翠一さんの幸せを応援して願うわ!」 きっと僕の母も同じことを願っているに違いない。残された父の幸せを心から願っているんだろう。なんだかそんな気がする。僕ももし、先に灰になってしまったら同じように幸せを願う事ができるのだろうか・・・。 今は直ぐに答えられない、だって、こんなにも好きになってしまった人を誰かと幸せになってね、なんていえない。 「あの・・・僕は鶴城さんの子供を産むことはで来ません。どう頑張っても  この身体に彼の遺伝子を繋ぐための場所がないんです。それでも・・・  それでもいいんですか?鶴城さんの血が残せません・・・・。」 やっぱり、どんなに好きになっていってもこの事がずっとひっかかっていた 好きなだけではどうしようもない事がある、まさにその通りだと思う。 僕は残してあげられないんだから、鶴城さんの、鶴城朱羽の遺伝子を。
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