第6話 運命の月夜 

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 少女の手元のチャクラムから血液が一滴滴り落ち、乾いた地を濡ら深夜広がっていく。 「……見事だわ」  少女の目線の先には、身体のあちこちを切り刻まれ倒れている陽人の姿があった。 「たった一人のくせに、こんなに手こずらせてくれるなんて」  自分の身体になんとか力を入れようとする陽人だったが、やはりびくともしない。痛覚はあるのに、まるで自分がマネキン人形にでもなってしまたかのようだ。  ヴァンパイア十八番(オハコ)の金縛りだった。不意を突かれ、聖書を手元から離されてしまったのが決定打となってしまった。 「しかし君は運が良かった。僕たちのターゲットはあくまでヴァンパイアであって、人間じゃない」 「あのヴァンパイアを連れ去ったお友達の命も、癪だけど取らないでおいてあげる。ヴァンパイアではないようだから」  二人は戦えなくなった陽人に背を向け、夜目を利かせて自分たちの行く手を阻む結界が、線をひくように部分的に土が濡れていることから聖水によって作られていることに気付くと、少女はチャクラムを握り直し、いとも簡単にそれを引き裂いた。  ダンピールの二人が辰弥の幻覚にかかっている間に作った、本当に気休め程度の結界だった。結界を破るなり、自分の得物を手をしようと、少年が少女の前に出る。  そのために少年の視界から、少女の姿が完全に消えたその刹那。  動かない身体で二人の動きを見つめることしかできなかった陽人の目に影のようなものが映り込み、少女の細い背中を隠した。  ……それは驚く間もないほど、一瞬の出来事であった。  何本か切り離され、夜空に舞うプラチナブロンドの髪の毛。  真っ赤な鮮血がスローモーションで飛び散ったかと思うと、少女の身体が崩れ落ちていく。  すぐに背後の異様な空気に気付いたのか、咄嗟に少年が振り返る。  しかし完全に彼が仲間の状態や、その影を目で確認するより早く、影は少年の喉元を捕えていた。 「――ガーシェル……?」  見たことのある後姿に、陽人は自分が動けるようになったのも自覚しないまま、身体を起こして目を凝らす。 「去れ」  唸るようにリーフェルトは少年に言うが、そこに怒りの感情は微塵も感じられない。  一方。捕えられた少年はひるむことなくリーフェルトを睨み、上着から白い拳銃を取り出したが、それを目の前のターゲットに突き付ける前に、瞳を見開いて息を呑んだ。  リーフェルトが少年を捕えていないほうの手で、気を失っている少女の身体を持ち上げ、盾にしたが故に。  少年が動きを止めた隙に、彼を彼の得物から更に遠ざけるように投げ捨てて、まるで少年に見せつけるように、鋭い爪先で少女の首の皮一枚を裂くリーフェルト。 「! 美央(みお)……」 「……僕たちを、放っておいてくれ」  真紅に揺らめくリーフェルトの双眸に、遠くで見ていた陽人さえも身震いした。  明らかに人ではない者を前にした、本能的な震え。最近忘れかけていた感覚。 「僕にこの子を、殺させるな―――」  それでも、何故だろう。  やはりその言葉の響きには、憤りや憎しみなどといった強い負の感情はまったくといっていいほどないように陽人は感じられた。  意識のない少女を抱え、この場から潔く飛び去って行った少年を確認した後。リーフェルトは羽を広げ、廃ビルの中へ飛び込むように身を投じた。 (……僕は――)  自分によって刻み込まれた牙の痕が、気を失った辰弥の顔が、頭から離れない。  何をしても、誰に頼んでも、取り返しのつかない罪を犯してしまった。  息が止めてしまいたいほどの焦燥感。  これが夢なら覚めてほしいと何度願っても、自分がつけた辰弥の傷跡はどれだけ時間が経っても消えることはない。リーフェルトは現実だけを緋色の瞳に焼き付けることしかできなかった。
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