第7話 嵐の残した傷跡 

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第7話 嵐の残した傷跡 

 陽人の怪我は傷そのものの数は多いが、一つ一つどれも深いものではなかった。  おそらく相手が人間だということで大分あのダンピールの二人に手加減されていたのだろうと、リーフェルトから手当てを受けながら陽人は言う。 「ごめん。僕のせいで怪我をしたのに。その、下手で」 「いいよ。止血さえできれば大丈夫だって」  深夜――あれからリーフェルトが住むマンションでなんとか手当を施したが、陽人の身体を包む包帯は緩々とどこかだらしなく、お世辞にも上手いといえない出来栄えだった。  申し訳なさと恥ずかしさで俯いたリーフェルトを笑って励まし、家に帰るべく、陽人はソファから立ち上がる。リーフェルトはそんな陽人を気遣わしげに見て、 「でもやっぱり、もう遅いし。泊まって行ってからでも――」 「俺の家、家族いるしな。夜だといつも内緒で抜け出してきちまってるから。  明日からゴールデンウィークだとどっちか休みかもしれねえし、朝もし家にいないって知られたら、余計な心配かけちまうだろ?」 「……」 「ちょっと休んだらさ、またここ来るよ。それまで、辰弥を頼む」  未だ目覚めず、自分のベッドの中にいる辰弥を思い出してまた、顔を曇らせるリーフェルト。陽人はそんな自分の肩を叩き、「お前のせいじゃない」と、笑みを消し去った真剣な顔になる。 「考えなしだった俺のせいなんだ。俺が背負うべきリスクも何もかも全部、辰弥に押し付けた。だから親が起きたら友達の家行くって言って、できるだけ早く戻る」 「……そういえば、二階堂君の親は?」 「あいつの親は、俺たちの師匠だ。退魔師として日本各地を旅してるから、連絡したって家には誰もいない」 「……そう」  陽人が家を出ていくのを見送った後、リーフェルトは寝室へ向かい辰弥の様子を見に行く。しかし相変わらず辰弥は、目覚める気配を見せない。  唇や顔色の血色はそんなに悪くないので、おそらく大丈夫だと信じたいが。 (……こういうとき、どうすればいいんだろう)  何かしなければならないと必死に頭を巡らせ、結果、ふと辰弥が作ってくれた料理を思い出す。目を覚ました彼が、お腹を空かさないように何か作ったらどうだろうか。  買ったばかりのスマートフォンを不慣れな手つきで弄り、体調が悪いときに人間が食べる手料理などを検索してみる。 (……おかゆ? おかゆって、どうやって作るんだ――? ……あ)  そういえば、辰弥がくれたレシピ本があった。  リーフェルトは通学鞄を開けて、逸る気持ちでそれを捲る。 (! あった)  早速そのページを開いたまま、リーフェルトは台所へ急いだ。米を炊き、危なっかしい手つきでまな板の上の野菜を切っていく。自分によって切り分けられた野菜はどれも決して均一とは呼べず、不揃いで不格好だった。  とても辰弥のように綺麗にはいかなかったが、誤って指を何度か切ってしまいながらも、なんとか時間をかけ、あとは煮るだけというところまできた。  蓋をしてからようやく一息つき、リーフェルトは暫く、ぼんやりコンロの傍で立ち尽くす。  手が空いたことで考え込む余裕ができると、頭の中に自然と蘇る記憶――今までの自分の行い。遠い瞳で頭に浮かんだ大きな疑問に、リーフェルトは囚われる。 (……一人前って、なんなんだろう)  ――幼い頃からずっと、憧れていた。  一人前の証である赤い瞳に。そして長兄の、あの凛と涼しげな金色の瞳に。  知的で静かで、しかしどこか強気な光を湛えたあの双眸には、「この人を頼っていいのだ」と思わせる不思議な力があった。  事実、父も母も五人の兄弟の中では一番彼を頼りにしており、リーフェルトを含める他の四人の兄弟たちも、彼の前ではどんなに激しい兄弟喧嘩をしていてもぴたりと静かになり、誰かに言われずとも自ずから背筋を伸ばすほどに、誰もが彼を尊敬していた――。  自分が、長兄のように到底なれるとは思わない。  しかしできるだけ近づきたくて、いつか傍で役に立ちたくて、自分なりに勉強してきたつもりだった。  だから一人でも、人間界でなんとか生きていけると思っていたのに。 (なんだよ。一人前って……)  気遣ってくれて、自分を救うために怪我をした友人に、手当も碌にしてやれなくて。血を自分に与えてまで命を救ってくれた友人に、生に縋り付きたい欲望のままに一生消えない傷を与えて。  それだけじゃない。  もし自分がすぐに正気に戻らなかったら、辰弥の血をすべて飲み干し殺していたかもしれない。  自分の無力さに拳を握りしめれば包丁で切った個所が痛み、彼は切り傷だらけの自分の手に目を落とす。 (何もできないじゃないか――)  嗚咽を噛み殺しながら、リーフェルトは次から次へと溢れる悔し涙を一人呑んだ。  午前、九時十分前。瞼を震わせ、ようやく辰弥は目を覚ます。  ぼんやりとした頭が完全に覚醒するまで天井をたっぷりと見つめ、それが自分の知っているいつもの天井とは違うことに気付くなり、瞳を動かし、自分が今いる場所を確認する。  広い部屋に、広いベッド。  勉強机に、壁にかかった男子の制服一式。自分がいつも着ているものと同じものだ。しかし、陽人の部屋ではない。  ベッドの傍らに置いてあるデジタル時計に目を配り、カーテンを開けてみると、太陽の眩しさが目に刺さった。 (……昨日、どうした――? 僕は……)  ベッドに座り込みながら頭に手を当て、混濁している記憶を探っていると、ドアが開く音が聞こえてそちらを向く。ドアの向こうから現れ、目が合った人物は陽人だった。 「……起きたか。ちょっと待ってろ。粥温め直してくる」  そう言い残した彼によって、また一人残される。  閉じられたドアを無心に見つめていると、ふと昨夜の記憶に辿り着き、  辰弥は自分が着ていたシャツを捲り上げて腰の辺りから自分の羽を伸ばしてみた。 「……!」  見慣れた自分の羽が、変化していた。が――完全にヴァンパイアのものではない。自分の元の羽に、ヴァンパイアの羽の特徴が加わったかのような形状だ。  改めて自分の身体を見てみたり、カーテンから差し込む太陽の光に指先を長く手を当ててみたりと、自分の身体の変化を調べてみる。  羽以外に変化は見られないようだ。灰になる様子もない。元が人間だったせいだろうか。 「お待たせ」  色々試しているうちに陽人が戻り、お盆に粥を乗せて入ってきた。 「陽人。ここはどこだ?」 「ガーシェルのマンション」 「……そうか。今どうしてる」 「ソファで寝かしてる。お前を心配して、ずっと眠ってないみたいだったから。……調子はどうだ」 「何ともない」 「そうか。一人で食えるか?」 「ああ」  辰弥が陽人から差し出された粥を盆ごと受け取ろうとした時、ずきりと包帯が巻かれた左の掌が痛み、取り落としそうになる。  それを慌てて陽人が支え、なんとか辰弥の膝の上に落ち着かせた。  陽人はそのまま、ガーシェルが休むベッドの上に腰を沈める。 「悪い」 「……俺の科白だよ」 「?」 「お前に何もかも押し付けて、俺だけ被害なしだ。しかも考えなしのせいで、ガーシェルまで傷ついちまった」 「……断ろうと思えばできたし、油断しなければ防げていた事故だ。明らかに僕の修業不足だろう」 「でもお前」 「周囲を恨むのではなく自分の至らなさを恨めと、師匠なら間違いなくそう言うさ。そしてそれは事実だろう?  僕には元々魔の血が流れていたし、人間の血が別のものにすり替わったとしても、僕は何も変わらない。ただ寿命が少し延びた程度で騒ぎすぎだ」 「……っ」  諌められた陽人はそれでもまだ何か言いたげな顔をしていたが、口を閉ざし押し黙る。  辰弥はまだ熱い粥をスプーンで掬い、ふう、と息を吹きかけてそれを口に運んだ。  口の中に入れて少し咀嚼してから、辰弥は「ん」と眉を寄せ、 「これ、君が作ったのか?」 「……いや。ガーシェルが作った」 「……なるほど。君が作った割には下手だと思ったが。彼が作ったと考えれば、料理し慣れていない奴の粥にしては悪くない」 「指とかすげえボロボロだったけどな……」 「彼なりに努力してるじゃないか。大したものだ」  そう辰弥が素直に称賛してから一拍の沈黙を置き、やがてどこからか鼻水をすするような音が聞こえて、陽人と辰弥は互いに顔を見合わせる。  陽人がベッドから腰を上げ、部屋のドアを開けてみると、そこにはグラスを片手にしたまま泣いているリーフェルトが立っていた。 「……どうしたお前」 「……飲み物、持ってきた……」 「なんで泣いてんだよ。ていうか入ろうぜ、お前の部屋なんだから」  空いた手の方の袖を顔にこすりつけて、リーフェルトは涙を拭ってから部屋に入る。  それから先もリーフェルトが沈痛な面持ちで何を言おうと、陽人が何度俯こうと、辰弥は声を荒げることも謝罪を求めることもなく、粥を完食し帰宅するまで、いつもの淡々とした調子を崩すことはなかった。
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