第7話 嵐の残した傷跡 

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 あの夜の出来事から二日後。リーフェルトはゴールデンウィークの連休中、ソファの上で横になりながらスマートフォンを弄っていた。 (……やめよう)  打ちかけのメールを削除し、傍らのテーブルにスマホを放る。  連休が始まる前は陽の下に出なくていいと喜んだのに、今では学校がないということで、こんなにも落ち着かない気持ちになるとは。  辰弥はどうしているだろう。自分のことを一言も責めなかっただけに、彼の気持ちを色々想像してしまう。  だからいっそのこと、憎んで罵倒してほしいとさえ思ってしまう。  何か文章でも送信したかったが、それで心が慰められるのは自分一人だけ。直に会って何度謝罪しようと、無論一生許されることではない。きっと辰弥は、何も言わない。……彼は誇り高い人だ。  ひょっとしたら、自分が心配するまでもないくらいに強い人かもしれない。事実、自分なんかよりもずっと強いのは確かなのだから――。  そう思った瞬間悔しくて、同時にリーフェルトは辰弥を羨ましいと思った。 (目の報告……どうしようかな)  一人前になったら、王である父に見せに行かなければならない。本当は十八の誕生日を迎えてからの通過儀礼なのだが、家族や兄弟たちは驚きながらも、きっと赤くなった自分の瞳を見て喜んでくれるのだろう。  しかし――それは、本当に喜ばしいことなのだろうか。何より自分が素直に喜べるとは思えない。 (このままじゃ、帰れない――)  嘆くように仰向けになったまま顔を両手で覆い隠し、リーフェルトは長い溜め息を零した。  ゴールデンウィークの連休が明け、青空の広がる空の下、いつものように家を訪ねてきた陽人と共に登校する。 「連休どうだった」 「特に何も。……笹永君は?」 「……俺も。特に何も」 「……」 「……」  ぽつんと咲いた会話の花がすぐに枯れて、無言になる二人。  こんなに鬱陶しいくらい明るい天気なのに。  別に喧嘩をしたわけでもないのに深刻な雰囲気が流れているのは、まだ辰弥のことがお互いの頭にあるからなのだろう。 「……駄目だね、僕たち。湿っぽくて」 「……そりゃあ、湿っぽくもなるだろ」 「そうだけど。せめて学校に入ったら普通にしてないと。二階堂君にだって悪いし。僕たちが責任を感じないように努めてくれているのだから、上辺だけでも応えないと」 「……ああ」  鋭そうな辰弥のこと、すぐに見抜かれそうではあるが明らかにそんな空気を出すよりはマシだろう。 「二階堂君の本音がどうであれ、僕たちに普段通りでいてほしいと彼が願うなら、それに沿ったほうがいいと思うし」 「……まあ」 「彼のことは、僕はまだよくわからないけど。同じ男としてっていうか……僕なんかがこんなことを言うのは間違ってるって、わかってるんだけどさ」  自分は彼のように強くはないけれど。  秘めておきたい本音や弱さを無理に覗き込まれるなんて、屈辱でしかない。  同性なら尚更、それを理解してやるべきではないだろうか。 「……“よくわからないけど”――か」  陽人は口の中で、リーフェルトの科白の一部を呟く。  そんな彼の瞳は青空を捉えながらも、青空ではない何か違うものを、遠い目に映している。  それから暫し思案するように瞳を宙に動かし、リーフェルトの顔を見ないまま、口を開いた。 「……なあガーシェル。頼んでいいか?」 「……?」 「無茶な話かもしれない。  でも長い間一緒に居すぎた俺より、お前のほうがいいだろうから」  校舎の外。すらりとした座った影が、人気のない日影で弁当を広げ、一人箸を右手に取る。 「二階堂君」  おかずに箸の先をつけようとした時名前を呼ばれ、振り返る辰弥。そこには購買で買ったパンを抱えて辰弥に駆け寄るリーフェルトの姿があった。 「一緒に食べよう」 「……」  にこりと柔らかく笑うクラスメートに辰弥は眉を一度ひくりと動かしたが、すぐにいつも通りの無表情に戻る。  リーフェルトは辰弥の座る場所から少し離れた場所で腰を下ろした。 「身体はもう大丈夫?」 「……ああ」  人間の血が吸血鬼のものにすり替わってしまったせいだろう。  昼休み前の体育の授業中、途中で陽射しにやられて蹲ってしまい、残りの授業を辰弥は保健室で過ごした。  人間として生きてきたおかげか、太陽への耐性はあるようで塵にはなることはないようだが、この先、陽人や小夜たちと今まで通り屋上で弁当を広げるのは難しくなるかもしれない。 「教室で食べないの?」 「あまり騒がしいのは好きじゃない」  言いながら辰弥はおかずを箸で器用に挟み、口の中に運ぶ。リーフェルトは「そっか」と相槌を打って、ビニールの包みを開けて柔らかなパンに噛り付いた。 「……まだ、僕のことを気にしているのか。君は」 「……正直、ね。折角命を助けてくれたのに、恩を仇で返してしまったから」    生にしがみつかず、  あの場で死を潔く選べるくらい、誇り高ければよかったのに。  王家の血をひきながら、なんと自分は情けないのだろう。 「恥じているのか?」 「……恥じないわけがない」 「そうか。なら、君に血をやって正解だった」 「……」  食べかけのパンから顔を上げ、辰弥の横顔を見るリーフェルト。 「君は……僕が君を助けたと思っているようだが、それは違う」 「……え?」 「君を助けたのは、代々受け継がれてきた誇り高い王家の血だ。  君の身体に流れるそいつは、いつかは王家の血に恥じないヴァンパイアになれるはずだと、まだ若く未熟な君に期待しているんだろうよ」 「……――」 「僕の血なんてのはただの後押しみたいなものだ。それでも本能に振り回され生き延びてしまったと恥じるなら、期待に応えられるよう努力すればいい」  相変わらずの愛想のない調子の科白でも、  それは無意識に聞き入ってしまうほどに、思いがけない。  言葉にしたくてもできないほどの、なんとも言えない感情がリーフェルトの胸に溢れ、口だけが僅かに小さく開く。   「……いい加減とっとと食べろ。昼休みが過ぎるぞ。  あと、この話はもうなしだ」  箸を進め始めた辰弥を見て、自分もパンに噛り付く。  感動の余韻に最初は浸っていたが、段々リーフェルトは自分に対し、先程より落ち着かない気持ちになっていく。  ……励ますつもりが励まされてどうする。  「この先力になる」とさりげなく、本当にさりげなくアピールできたらと考えたのに。 (笹永君……僕じゃだめかもしれない)  気付けば支えになるどころか支えられる側になってしまっている。陽人に頼むと言われたが、果たして自分が助けになれるのだろうか。 (いやでも、なれるかどうかじゃなくて、ならないと……やっぱり、命の恩人なわけだから)  少しずつ。少しずつ距離を縮めれば、いつかは。 (……距離――)  伏せた目を泳がせ、暫し考え込むリーフェルト。 (強引かな。いや、でもちょっとくらい、強引な方が……) 「……あのさ」 「なんだ」  リーフェルトが辰弥に目をやることはあっても、相変わらず彼はこちらを見ない。    ――ああ。もう、なるようになれ。なんとかなる。多分。きっと。 「……嫌なら嫌でいいんだけど。な、名前で呼んでいいかな!?」 「……別に構わないが」 「! い、いいの?」 「それくらい、勝手にしろ」 「えっと。えっとじゃあ、僕のことはリーフェルトって呼んで」 「ああ」 「んと……二階堂君は、どうしようか」 「なにがだ」 「どう呼んだ方がいい?」 「下の名前で呼べばいいだろう、普通に」 「……でも。辰弥君の方は、偽名だって聞いたから」 「……――」  箸で切り分けたおにぎりを口に運ぶ寸前で弁当箱の中に落とし、その時初めて辰弥は自分の目の前で明らかな動揺を見せた。 「……サキュバスと人間の女の子だって――」  インキュバス、サキュバス。性別を自由に変えられる能力を持った夢魔の種。つまりインキュバスやサキュバスは同一で、固定した性別はないと一般では言われているが、稀に性別を持った個体もいると聞く――。  陽人曰く、辰弥がそれの子供だというのだから初めて聞いた時は驚いたものだ。 「……それは。陽人が、君に言ったのか……?」 (あ、やばい)  顔はいつものポーカーフェイスだが、ワントーン低くなった辰弥の声から、怒りや不快感といった負の感情を読み取り、戦慄する。  ここでつい怯みそうになったが、なんとか勇気を出してリーフェルトは言葉を続けた。 「僕が今朝、しつこく聞き出したんだ。だから笹永君は、仕方なくっていうか。  彼が自分からペラペラ喋ったとかそういうのじゃない。……ほら。今まで何度聞いても、教えてもらえなかったからさ。  気になるんだよ。さっき、僕を助けてくれたのは王家の血だと君は言ったけど、やっぱり助けてくれたのは君だと思ってるから」 「……」 「それは、僕の中で揺らがない事実だよ。……だから、その。是非、友達になりたいんだ。君と」  自分が知らなかった、陽人のゴールデンウィーク中の出来事。  どうやら今朝の話を聞く限り、陽人は家族サービスのためにサプライズで帰ってきた辰弥の両親のもとへ謝罪に行ったらしいのだが。  彼女の父親でもある彼の師は、しかし彼に一切手を出すことなく、代わりに冷たい口調でこう言い放ったらしい。  “嫁にもらう覚悟もないくせに、よく平気な顔で傷物にできたものだ”――と。  勿論、辰弥が女であることを陽人は知っていた。にも関わらず、無責任に自分の都合で振り回してしまった。  陽人が好きなのは小夜なのだから、辰弥を嫁にもらう覚悟など端からなかったというのも、本当のことであったが故に。そんな連休の出来事を話したきり、陽人は学校に辿り着くまで喋らなかった。  聞かされたリーフェルトもまた、ショックで何も言えなかった。  なんでもいい。  どんなことでも、リーフェルトは彼の――彼女のためになにかしたかった。  そのためにはまず、もっと彼女に近づかなければならない。 「……駄目かな?」 「……駄目じゃないが」 「じゃあ――」 「ただし。僕のことは辰弥と呼べ」 「……うん」  本当はもっと、今すぐにでも頼りにしてもらえるくらいに親密になりたかったが、  今はこれで仕方がないのだと自分に言い聞かせ、リーフェルトは相槌を打つしかなかった。
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