50人が本棚に入れています
本棚に追加
友の頼みを聞くことは、愚かなことだろうか。彼女がしたことは、馬鹿なことという言葉で片づけられてしまうのだろうか。
自分で考えることをやめた結果? ――本当に?
なんだか、寂しすぎる気がする。
(こんな考え自体、青臭いのかな――)
大人からしたら、そうなのかもしれない。ベッドの上に身体を投げ出して、ため息を吐いた。
昼の辰弥の家でのことをあれこれ考えていたら、とうに深夜一時を回っていた。
しかし明日は日曜日だ。少々眠れなくても支障はないだろうと、気にしないことにした。
<眠れないのか>
「……まあね」
頭の中から響いてきた声に、ぼんやりしながら相槌を打つ。
リーフェルトはそのまま寝返りを打ち暫し部屋の壁を見つめていたが、
「……?」
自分以外誰もいないはずの部屋に、聞こえるはずのない他人の声が聞こえたことに一拍遅れてから疑問を持ち、ゆっくり体を起こした。
「……何……?」
<ベランダ>
気のせいかと思ったが、再び響いてきた声に完全に我に返る。
しかもこの声は、どこかで聞いたことがある。
記憶を探り、それがゴールデンウィーク前のあの日聞いたものと酷似していると気付くなり、リーフェルトはすぐにベッドから降りてベランダのカーテンを開けた。
「――!」
<……すまない。少し、外に出られるか?>
ベランダに通じるガラスの向こうには、眼鏡の少年が立っている。
Tシャツに膝上のズボンというラフな格好をした辰弥は、口を動かさず、リーフェルトの頭の中から囁きかけた。
「こんな夜更けだから、メールや電話は迷惑かと思って。
だから君の夢の中に入るつもりだったんだが」
リーフェルトと辰弥は羽を広げて高くまで飛び、
リーフェルトの住むマンション屋上の、手すりの上に距離を空けて並んで座る。
「寝付けなかったのか?」
「……まあ」
「母が君に何か言ったか?」
「別に、怒られたりとかしてないよ。大丈夫」
安心させるように、リーフェルトは彼女に笑いかける。ひょっとして、心配してくれていたのだろうか。
「……すまない。でも、直接君に謝りたくて」
「え?」
「まさか家に来るほど、君が思い詰めていたとは思わなかった。
僕が気を付けていれば、そこまで君の心に傷跡を残すこともなかったろう。君の誇りも、傷つけてしまった。……すまなかった」
まっすぐ自分の目を見て謝る辰弥。
相変わらず男子の姿ではあるが、
悲しげな表情になんとなく本当の彼女が垣間見えたような気がして、わずかにリーフェルトは目を見開く。
「……君が助けてくれなかったら、僕は死んでいたよ?」
「助けたのは陽人の意志で、僕の意志じゃない。僕は君を疑っていたし、僕一人なら君を見殺しにしていた」
「助けたいという友達を信頼したのは君の意志だろ?
間に合わなかったということにして僕を殺すことだってできたじゃないか。君は自分で考えて、友達のために僕を助けた。違う?」
「たとえそうでも、もっと上手くできたはずさ。そしたら陽人も君も、誰も傷つかなかった」
「傷ついたのは僕たちだけじゃないよ」
「そうでもない。寿命のことだって、元々僕は普通の人間じゃなかったから、今は同じ時を陽人たちと過ごせていても、この先もずっと一緒なんて保証はなかった。
……君に血を吸われて、改めてこの身に流れるサキュバスの血の濃さに驚かされたよ。ヴァンパイアの支配なんて、まったくものともしなかったんだから」
そう言って、広げられた辰弥の羽。
サキュバスのものでも、ヴァンパイアのものでもない異形の羽。
「寿命が何百年延びようと、ただ、それだけだ。
だから君たちが思うほど僕は何も変わっていないし、失ってもいない。傷ついてもいない」
「……」
心の底では、彼女が何を思っているのか。果たして言葉通りなのか、それとも強がりなのか、
それは、夜の闇に強いリーフェルトの双眸でもわからない。
だが――
「寧ろ君に対して、正直に思うことは――こんなことを言うのは、とても不謹慎かもしれないが……なんというかな。……君があまりに優しかったものだから、嬉しかった」
「……えっ」
「お粥を作ってくれたり、気にかけてくれたり、それでわざわざ謝りに来てくれたり。素直に嬉しかったよ。ありがとう」
「! そ、そんなこと――」
「だからこそ。ずっと言いたかったことだけれど、君は僕と今後あまり関わるべきじゃない」
「……――」
予期せぬ言葉に、やっと晴れかけたリーフェルトの胸の内にまた、暗雲が立ち込める。
面食らった顔をしている彼に、辰弥は構わず自分の考えに口を割った。
「ましてや君は王子なのだから、世間体もある。サキュバスがどんな種族なのか、君にもわかっているはずだろう」
「っ、でも、君は他のサキュバスとは違うし……」
「それはそうさ。たとえ混血じゃなくたって、純血の夢魔にだっていろんな人はいる。
大抵の人が抱える夢魔のイメージ通り、快楽だけを貪り人を堕落させることを生きがいとする者たちもいれば、ただ種族の繁栄のため、仕方なくルールに従い生きている者たちもいる。
彼らの多くは生殖機能を持たないからね。
僕のようにサキュバスのイメージから少しかけ離れている者たちも、君が今まで出会わなかっただけで、きっとどこにでもいる。
……一つの種族に、色んな人たちがいる。それは人間だって、ヴァンパイアだってそうだ」
「だけど」と、辰弥は一度言葉を切り、リーフェルトの顔を見据える。
いつものポーカーフェイスに似ているが、微妙に違う。
どこか人間くさい、悲痛そうな色を整った顔に宿している。
「問題は、そこじゃない。
――君の家族や親戚が、サキュバスと友達だなんて言う君を、一体どういう目で見ると思う」
至極当然でありながら、深く考えたことなどなかったその見解に、リーフェルトは突如頭から冷水を浴びせられたような気分になった。
「ガーシェル。君のように、誠実で素晴らしい人に友達になりたいと言ってもらえたことは、とても光栄なことだと思ってる。
最初は疑っていたけれど、今は君を良い人だと思ってる。だからこそ、考えてほしいんだ。僕はこれ以上、君の誇りに傷をつけるわけにはいかない」
リーフェルトは思わず、口を噤んでしまった。
辰弥のこんなにも懸命な眼差しは初めて見た。
辰弥は再び前に顔を向け直し、中指でいつものように眼鏡を直す。「話は以上だ」とクールに言って、普段の“彼”に戻ってしまった。
呆然とリーフェルトが何も言えず見守る中辰弥は立ち上がり、大きく腰の辺りから自らの羽を広げた。
「今日はすまなかった。ゆっくり休んでくれ。
本当に、ありがとう。ごめんなさい――」
そう言い残して彼女は地を蹴り、
リーフェルトを一人残して、空を舞った。
最初のコメントを投稿しよう!