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始まりのベル
古見成ふさなは自宅に帰るとパーソナルコンピュータの電源をつけた。
15インチのシルバーのノートパソコンは明かりがつくと幼い3つの顔が背景画像としてに映る。
お店に来店した若い二人の気迫に負けて、とうとう添乗員として同行する事になってしまったが気が進まない。
上司も古見成さんなら安心なんじゃないの。と、許可を得ての報告書を提出したわけだから添乗員として決まったことは変えられない。
「旅行かあ」
ふさなは両手を上げ伸びをした。
気が進まないのは旅行が一人旅ではないということだ。旅行ぐらい今までにもした事がある。
家族旅行や友達との旅行。あまり覚えていないが何となく「一緒に行こう」と誘われたからその時は行ったまでのこと。ただそれだけだ。
旅行会社に勤めているのだから旅行先の案内はできても、旅行するんだったらひとり旅が楽でいい。
「はああ」
思わずため息が出る。
気が重い。日付確認のためにカレンダーに目を向ける。
3月27日。赤マジックが鮮やかに記された丸の中に27の数字が憎らしく囲まれている。
更に気が重くなる。
「27って何か呪われてるの?」
カレンダーを睨んでても添乗員という状況が変わるわけでない。諦めて、プランを立て直すよう検索サイトに文字入力をした。
" 旅おすすめ 人気スポット 絶景 穴場 ''
まあこんなものよね。でも、ふとenterキーを押す手が止まった。
来店時の彼女たちの雰囲気、容姿、話し方。
あの子達に似合いそうな場所。
"廃校 古城 廃工場"
と、いたずら感覚で入力項目を足しenterのキーを押す。
画面にそれらしい画像がヒットする。
訪れた事がない場所の写真が並んでいる。
コンクリート剥き出しの荒廃、手入れされていない庭に崩れた城、足の踏み場もないくらい散乱した瓦礫の建物。どこか怖くてどこか気になる随分前からただそこにある壊れた存在。
旅行先として選ぶにはあまりにも相応しくない場所。
でもこうゆう雰囲気は何かしら惹かれるものがある。古美術的な情趣あふれた非日常の世界を一編に刻むことで忘れられない思い出に変わる。
お店で会ったあの子達もどこか一目を置いていた妖しくて危なかっしくてでも惹きつけられるオーラがあったのかも。
いや、いやいや。
頭をぶるんと振るう。
そんな事はない。だって私に重い負荷を科せたのだから。
何件か画像をピックアップしていると携帯電話の電話が鳴った。
はい。と返事が終わらない内に向こうの声がざーざー言いながら聞こてえくる。
「ふーな?よかったー、電話出たあ!ああ、俺生きていけるわ。あのさ、ちょっとさあ、今夜泊めてくんない?終電逃しちゃってさあ。てか、もうそこまで来てんだよね。これから行くから、ふーなんち俺の会社近くだから助かるんだよね」
名乗らなくても知ってる声。
「じゃじん、あんたねえ」
「これから行くよ。じゃあ、よろしくー」
いいよ。って言う前に電話を切ってしまう。
―――― 江田良治。2つ下の弟と同級生。 通称、じゃじん。幼馴染ではある。
子供の頃はふさなが強くて背も高く姉の言うことに反発していた弟とは反対のおとなしくニコニコしていつも後ろを着いてきていたかわいい子分的弟だった。
ノートパソコンの背景にある3つの顔は幼かった彼女たちの顔。ふさなは別にあの頃に浸るつもりでこの顔を並べているわけではなかったのだが、以前、懐かしさあまり嬉しげにこの顔並びにしてからずっと変えずにいたのである。
じゃじんという呼び名は、昔好きだった変身する戦隊ジャランマジンに似ていたことから命名された。じゃじん。って呼んでるのは、ふさなだけであるものの、良治も嫌がらず
大人になってもちょこちょこ頼ってくる。
「ほんっとに、あなたは私の意志は総ムシですか」
通話の途切れた携帯電話にベーと舌を出す。
「もうあの勝手ヤローめ。だめだあ、集中できない」
考えるのもやめ、ごろんと仰向けに寝転がった。
目に入る天井の白い壁紙に茶色のシミ。それを見るたび、胸の奥がつっかえてキリキリ痛む。痛みは曇天の真下に引っ張られ重い鉛の珠を抱え込む。
「はあ、もう」
ため息をつくと、玄関のチャイムが鳴った。
「どうぞ。鍵開いてるから」
ガチャンと扉の音がする。
人の気配に動じることはない。誰なのかは分かっているから。体勢は崩さない。仰向けのまま目に写るのはじゃじんの顔。
「ほら、買って来たよ」
ふさみをうかがい見るような不安な表情で缶ビールを差し出す。
ほんと、この頼り無さそうな顔は昔とちっとも変わってない。
「何、ふさ姉。・・しみったれた顔をしてる」
「見れない顔してたってどうせ入って来るでしょ。それよりじゃじんもいい加減私んち来るのやめたら」
「何でそんな事言い出すんだよ」
「だって、あんた婚約中じゃあない。私んち来るの誤解とかあったら・・・」
「何、誤解って?」
「だって、婚約者様がいるから、私んとこ泊まるなんて言ったら誤解が・・・」
「へ、ふさ姉の所に来るのにそんなもんないない。あいつも知ってるし、ふさ姉は俺の姉さん的存在だって。」
姉さん的存在の言葉が胸の奥のつかえを刺激する。
「あんたねえ」
ふん。と息を吐きガバッと体を起こす。
「一層のこと本当の姉弟だったらよかったのに」
小さな声で呟く。
プシューと良治の持ってた缶ビールが開いた音で幸い声は届いていない。
「んん、何か言った? あっそうそう、この間優ん家行ったらおばさんがふさみも早くいい人と結ばれてくれないかねえ。って言ってたよ」
「うわっ、一番聞きたくないワードベスト3のトップ1だ」
「またあそんな事言って、ふさ姉は選り好みし過ぎるんじゃあない?」
うるさい。
「なんなら俺が紹介してやろうか」
いいえ、結構です。
「ふさ姉の良いところいっぱい知ってるよー。俺」
はいはい、何も知らないくせに。
声にはださない言葉は胸の奥でビール飲みながら呟く。
「明日早いんでしょ、もう寝たら?」
「ふさ姉は?」
「私はちょっとプランの立て直しがあるから後少しだけ起きてる」
「何々、今度はどこへ行くの」
パソコンを開いた画面を覗きにじゃじんの顔が近づく。
「わっわっ」
慌てた私は声が裏返った。
じゃじんの目がきょとんとする。
「だ、だーめ。これはお客様とのプランなんだから。部外者には見せられないの」
動揺して電源オフにした。
パソコンの画面には何も映っていないのにじゃじんはずっと見つめていた。
「何?」
「今、荒廃場所とかあったよね。ふさ姉お客にそんなとこ勧めるの」
数秒だけの画像だったのによく見てるよね。
「いや、これは今回のお客様のご要望からピックアップしただけで、本当に行くかどうかはまだ決まっていない。ってか、今回は私も同行なんだよね」
「何それ。まさかふさ姉をそんな暗いとこに誘い出して襲うつもりか。そんなことするのなら俺黙ってないぞ。どこのどいつだ。そんな危険な旅行俺が行かせるものか」
「やめやめ早まるんじゃない、じゃじん。相手は高校生。女の子二人です」
「えっ、そうなの」
「はい、そうです。何か訳ありっぽいんですけど」
「んー。でも、もしもって事あるかも。じゃあ。俺ついてく」
「・・・・はあ?」
「やっぱり心配じゃん。俺も同行する」
あーらら、何故だかおかしな展開になってきた。
「それで、いつ?」
「んー、2週間後」
ちょいちょいと指でカレンダーを指す。
「あっ」
「そう。無理でしょ」
じゃじんの言葉詰まる困惑した表情を見てなくてもわかっちゃう。胸につっかえた痛みが現れる。
ああダメダメ。情けない顔してるのじゃじんに気づかれるじゃない。しっかりして私っ、 何か違うこと考えろ。
「いいよ」
じゃじんがボソッと言った。
「えっ?」
「だから、一緒に行くって」
「えっえっ、何で?だってその日は」
「大丈夫。俺が行かなくても全然平気」
「そんなわけないじゃない。婚約者として初めてのお食事会でしょ。あんたの親も来るんだから」
「まあ親の顔合わせだから親同士会話すればいいじゃん。俺はいなくていいの」
「何言ってるの。大事な日でしよ」
「ふさ姉のほうが心配じゃん。その訳ありそうな高校生に同行して行く所って廃墟か何かでしょ。もっと危機感感じた方がいいんじゃない?」
「だから、そこは行かないって」
「もう! いいの。行くって言ったら行くから。俺、明日早いからもう寝るよ」
じゃじんは私の横でごろんと寝転がった。
ぎゅっと目を閉じ、口を頑なに閉じた。じゃじんはもう喋らない。
しばらくその顔を眺めていた。
昔と変わらない拗ねた表情がふさみの頬を熱くした。
「もう、ちっとも変わんないんだから。こういうところは昔のままなのに」
聞こえない声で呟く。
残りのビールを飲みほしじゃじんの耳元に唇を近づける。
「・・・・・風邪ひくよ」
じゃじんが目をつむっていることを確かめてじゃじんの頬に指をあてる。
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