ただ、今は

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 唐突な出来事にキョウスケはどうしたらいいのかわからず、その日はとりあえずその出来事をなかったように扱ってアイジマと接した。それが正しかったのかはわからない。気持ちにちゃんと答えを出すべきだったのかもしれないが、キョウスケに向ってアイジマは言った。  「別に今日返事が欲しいわけじゃないんです。あなたにその気がないっていうのはわかるんで」  じゃあ、なんでわざわざ自分の気持ちを言ったのだ。と文句が浮かんだが口に出すのはやめた。ゲイに会ったのも初めてでゲイから告白をされたのも初めてだったが、そういうことをいうのはとてもひどい人間がいうことだと思ったからだ。  告白をしてきた人に対して「なんで告白なんかしてきたの」というのは無粋だ。心がないやつが言うことだとキョウスケは思っていた。  アイジマもそれ以上のことをその日は言わなかった。変なきらめきのある視線、つまり好意の視線をキョウスケに向けてくることはなかった。仕事についてだけ言葉を交わし、そして仕事終わりにも「ありがとうございました。明日もよろしくお願いします」とだけ言って帰っていった。  案外あっさりとしているのだなと拍子抜けをしているとそこに意味ありげに視線をおくるエイコがトイレに行くふりをしてキョウスケのデスクに近づき、周囲に気が付かれないようにメモを渡してきた。  そこには『一体どういうこと?』とだけ走り書きがしてあり、その字の荒さからかなり気にしていることがうかがえる。  エイコにも説明をしなければとキョウスケはスマホを取り出してエイコにメッセージを送った。  仕事を終えてキョウスケはエイコのアパートに来ていた。エイコが住んでいるアパートは会社から30分ほどの距離にあり、国道や近くに商店街があるため賑やかなところにある。帰りが遅い日もあるので賑やかんところを選んだのだ。  エイコの部屋は1LDKでそこそこ値の張るソファ家主のように置かれているのが特徴だ。その前に置いてあるテーブルには小さなサボテンが飾ってありそれだけで部屋全体がかわいらしい印象になる。台所には一人暮らし用にしては大きめの冷蔵庫があり全体的に手が行き届いているが底が焦げたフライパンや先が茶色の菜箸が壁にかけてあるのを見ると普段料理をしているのだとわかる。  キョウスケも自分の家のように落ち着ける場所だ。  「それで、あの人って結局誰なわけ?」  エイコは台所からペットボトルに入った炭酸水を持ってきてキョウスケに渡した。明日も仕事なので酒は飲まない。寝起きが悪くなるのでキョウスケは次の日が休みでないと酒を飲まない。エイコもそれに付き合い自分にも炭酸水を用意してキョウスケと一緒にソファに座った。  キョウスケは言いにくかったが自分から切り出したのだから黙っておくわけにもいかずアイジマが話したことをそのまま伝えた。  キョウスケ自身は同性愛について一般的な知識程度しかない。身近にいるわけでもなくテレビの中だけの存在なので自分で話していて夢なのではないかと自信が持てなくなった。自分に起こったことなのに、だ。  エイコはどういう反応をするだろうと少し心配になっていたがそれは見事に裏切られた。  エイコはややうれしそうな表情をしながらキョウスケに詰め寄った。  「うわ!すごいね。それ!私同性愛の人とかテレビでしか知らないからめちゃくちゃびっくりしてる!でも、話してよかったの?私に」  まるで他人事のような言い方が意外だった。自分の恋人に降りかかったことなのにどうしてそうあっさりとしたことが言えるのだろう、と心が寒くなる。  「いいだろ。だって俺はお前と付き合ってるのに」  ドラマみたいなセリフが思わずでた。言った後でキョウスケは気恥ずかしくなるがエイコはそれさえもスルーして「うわ!本当にいるんだ」と興奮していた。だがそれもつかの間で「でもそれ、もう言わない方がいいよ。私以外には」と声のトーンを落とす。  「どういうことだ?」  キョウスケは眉を寄せて険しい顔をするエイコを見る。エイコは真剣な顔になるときは眉が必要以上に寄る。  「そういう、性的思考って他人に言われるのすごく嫌なもんだよ。私は異性愛者だからいわゆる多数派の人間だから、同性愛の人の気持ちはわからないけど。でも、なんか嫌じゃない?自分が知らないところで自分のこう、プライベートなことが流れていくの」  そう言われてキョウスケは軽はずみなことをしてしまったかもしれない、と初めて気が付いた。もし、エイコがなんの教養もなくなんでも話を言いふらしてしまう子だったら、アイジマは今の会社で働けなくなるかもしれない。同性愛者と言うだけで仕事がやりづらくなり結果退職する人は多いとネットか何かの記事で読んだことがあった。  仕事と性的思考は関係ないのにな、とキョウスケ自身思っているが実際に自分に好意が寄せられると何とも言えない気持ちだった。  正直に話せば違和感、はある。気持ちが悪いのとは違う。ただ異性に好かれるのとは違い素直に喜べないのだ。  そんな自分を浅ましく思う。同性愛者を差別したいなどと思ったことがないのに、こうして実際に見ると好気の目が働く自分がいる。そのうえ行為を自分に向けられているとなると戸惑っている自分がいて、それがとてもひどいことを思っているように思うのだ。  自分が許容する価値観の狭さを突きつけられている気分になる。人を差別してはいけないと学び、注意してきたのに結局は受け入れられない自分が恥ずかしい。  でももっと深く考えれば自分はそんな小さな人間ではないことを証明するためにアイジマの好意を平常心で受け取ろうと演じている自分も浅ましい。  キョウスケは混乱していた。どの考えが先なのかわからないのだ。  「別にそこまで思い詰める必要はないでしょ。アイジマさんはキョウスケがゲイじゃないって知っているんでしょ。だったら別にいいじゃない、気軽に接すれば。思春期の学生じゃないんだから」  エイコはキョウスケを小突いた。元気づけさせようとしているのかもしれないがキョウスケにとってそれは予想していた言葉であり、それを素直に受け取ることにも罪悪感のようなものを感じてしまうのだ。  自分が他人でもその言葉を言うだろう。  「答えようなんて思ってないけどさ。でもこれからどうするか何だか気まずいんだよな」  「付き合うつもりなんてたぶんないでしょ。普通の同僚として接すればいいじゃない、ね?」  「そうは言うけどなぁ・・・」  相手にとっていい答えを出せない自分。これは学生の時にすでに体験している感覚だ。同じクラスの振った相手と次の日はどういう顔をして接するのか、問題にとても似ている。  いい大人なのに久々すぎて明日まともな顔ができそうにない。  キョウスケははっきりとした重さをもった憂鬱を抱え明日のことを考えていた。  覚悟をもって出社したキョウスケだったがアイジマは告白したことなどなかったかのように仕事を進め、時々質問をしながら順調に仕事を覚えていった。まだ二日目だというのにすでに使えるバイト並みの仕事をこなしている。これなら独り立ちする日も近そうだ。  周りの社員との交流も生まれているようで女性社員には早くも連絡先を聞かれたようだ。断るのかと思ったがアイジマは「いいですよ」の一言で連絡先を交換していた。  きっと多くの女性社員がアイジマと深い仲になりたいと思っているのだろう。連絡を聞く行為はあからさまだが雰囲気は平静を装っている。男にがっつく、という印象を持たれることはそれほど怖いことなのかと不憫に思った。  もし彼女たちがアイジマがゲイだと知ったならどう思うのだろう。気持ち悪く思うだろうか、それともゴシップネタが増えたと喜ぶだろうか。どちらにしろ印象は良くない。しかしこんなことを考えている自分も相当底意地が悪いと思った。  
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