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エイコとはそれから気まずいままだった。お互い大人なので会社では何でもないように仕事をして、軽い会話もするがそれ以外のやり取りは一切なかった。メールも電話ももちろんない。どちらかが悪いではないのだ。きっかけはキョウスケが作ってしまったにせよ、もそれをわかっているせいか二人が陥ってしまった溝を埋める方法をつかめないでいる。
その関係が一週間続いた。こんなにエイコと個人的に口を聞かないのは初めてだった。この空気に慣れつつさえある。
やばいな、とキョウスケ自身も思っているがやはり打開策を見つけ出せずにいた。
そして皮肉と言うべきか二人の空気の変化に気が付いたのは長く働いている同僚でも上司でもなく、アイジマだった。
「何かありましたよね?ミタニさんと」
そろそろ昼前という時にアイジマがこっそりと訊いてきた。キョウスケはぎょっとしたが、どこかでやっぱりなという気持ちがあり「まぁ、な」と正直に答えた。誤魔化しはきかないと思った。
「僕でよければ話を聞きますよ」
「ええ?だってお前は、その」
「女と付き合ったことがないからわかんないだろって思ってますか?ははは。確かにそうですけど話を聞くだけでも違いますよ」
女性と付き合ったことがない、という部分にキョウスケは緊張を感じたが言っているアイジマは後ろめたさなど一つも感じさせなかった。清々しいほどだ。
迷ったが誰かに言えば何か解決策が見つかるかもしれないと思い、その日の帰りにアイジマがいきつけているというバーへ一緒に行きエイコとの間に起きたことを話すこととなった。
初めて行ったバーはドラマなどで観るのと同じようにカウンター席が十席ほどあり、店員の後ろにはグラスやら酒が所せましと並んでいた。ゆったりとしたソファーが囲むテーブル席もいくつかありそこにはなじみの客なのだろう、サラリーマンやOLが座って酒を楽しんでいた。
キョウスケとアイジマはカウンター席の入り口よりも奥側に座った。店全体が薄暗い雰囲気だが奥の席は更に薄暗い。カップルが座ればきっといちゃいちゃするだろう。もしかしてそれを思ってアイジマはこの席を選んだのだろうか、と疑ったがキョウスケ自身に恋愛感情がないのでいちゃいちゃというのはできない。それはアイジマもわかっているだろう。
だからたまたまだ、と思いながらジントニックを傾けた。
「そんなことがあったんですか。うーん、まぁ今はだいぶ女性の働き方を考えてくれる会社も増えましたけど難しいですよね」
「そうなんだよなぁ。うちは産休育休とるのは大丈夫とは思うんだけどさ。エイコもバリバリ仕事やりたいタイプじゃないはずだけど、どうしちまったのかな」
「それは多分、現実だからじゃないですか。別に仕事をめちゃくちゃやりたいってわけではなくて、ただ単に家計のためにだと思いますよ。ほら、子供ができたら大学行かせるまでを考えると数千万かかるじゃないですか。私立とか行かせようと思うと特に。だからミタニさんはそこを考えたんだと思いますよ」
「うーん、まぁ。確かに。わからんでもないかもな」
「女の人ってどうしても妊娠したり出産したりすると時間的なものがすべて強制的にそっちにまわるじゃないですか。どんなに頑張ってもそれは仕方がないし、仕事にも穴をあけるってのも避けられないですからね。それを考えるとどうしても慎重になるんですよ。男の僕たちには一生わからないものです。それをミタニさんは背負うんですから」
「でもそこは俺もサポートするし」
反論するようにキョウスケは言った。正直なところアイジマが言っていることは正論だった。それがゆえにこのまま聞き入れればエイコのことを何もわかっていないのは自分だということになる。それは悔しかった。もっと正直にいえば同性愛者のアイジマが女性のことをよくわかっているということが、意地汚くも許せないと思ったのだ。
しかしアイジマは全く揺るがなかった。キョウスケが言っていることを真っ向から跳ね返してきた。
「男ができることなんて限られていますよ。サポートなんてせいぜい家事を手伝う程度。それに妊娠した時のつわりの辛さも変わってあげられないし、出産のときの痛みも捨てられない。それを考えたらなんにもできないのと同じですよ」
「それを言われるとなぁ。それは仕方がないことだし。性別的に」
「結局そこになりますよね」
落とし穴に落とすようにアイジマは言った。まるで罠だ、とキョウスケは思った。これではまるで同じ性別で付き合ったほうが何の問題もないと自分で言って、言われているようなものだ。それを考えるとなんてひどい人間なんだろう、と思わせる。
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