ただ、今は

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 黙りこくるキョウスケの肩にアイジマの手が乗った。その手から伝わるのは耽美なものに近い熱さだった。でも全く嫌ではない。  「ミタニさんのこと。考え直しても間違いではないんじゃないですか」  「それは、どういう」  そこまで言いかけてアイジマはぱっくりと口を開けて笑った。  「ははは」  表情はとても穏やかなのに乾いて響くその声はバーの中を滑るように走った。その声だけが浮き、そしてまっすぐキョウスケのもとに降り立つ。  その声に驚いているとアイジマはすっと口を閉じてキョウスケを見つめた。冷たくも熱のある視線は簡単にこちらの思考を焼き切り断ち切らせた。またその瞳しかキョウスケには映らない。  「それを僕にききますか?わかっているくせに。キョウスケ君は」  「いや」  とっさのことで否定をした。否定などしても無駄だということはわかっているのに。アイジマはすでに自分の懐をに入りかけている。キョウスケの身体はしびれていた。  「いや?わかっていますよキョウスケ君は。だってこうして僕と目を合わせてもそらさないじゃないですか」  そう言われて何も言い返せなかった。何も、どこにも目をそらせない。  肩に置かれている手は更に熱を帯びていく。振り払えばいいのにそれができない。どうしてだろう。  思考が停止するとはまさにこのことで、次に気が付いたときにはキョウスケはアイジマの家にいた。  アイジマの家はバーからタクシーで十分ほどのところにあり、見かけは古いアパートだが中はわりときれいなものだった。入居する前に改装したらしい。壁紙がやたら白くて汚れ一つないのだ。  部屋はリビングがやけに広く、寝室はその隣で引き戸一つで仕切られているだけだ。アイジマらしく台所もきれいでそれは使っていないからきれいなのではなく、使っている形跡をのこしながらもきれいだった。  住み始めたばかりのせいか家電もきれいなままだ。  「前一人暮らしで使ってた家電は全部買い替えたんですよ。だからきれいなんです」  「あ、そうなのか」  リビングのソファに座るキョウスケの視線を読み取ってアイジマは言った。めざとさが増していた。ますますアイジマが自分の中に入り込んできているがそれを止める術を持たない。  「お茶でいいですか?キョウスケ君わりと飲みましたよね」  あたたかいほうじ茶をアイジマは出してくれた。やわらかい香りが鼻腔をくすぐる。久しぶりにかぐので懐かしさすらある。  「あ?そうか?」  「はい、気が付かなかったんですか?そうとうエイコさんのことがショックだったんでしょうね。疲れもあると思うんですけど」  あたたかいほうじ茶が目の前で湯気を立てている。香りは小さなものなのに部屋全体を包んでいく。それだけで頭の中がぼんやりした。  「いろいろ思い詰めていたんでしょう?きっと」  いつの間にか隣にアイジマが座っていた。ギシっと軋むソファ。少しだけキョウスケに体重を預けているので触れ合う肩から熱が伝わる。色気を持ったその熱を、キョウスケはどうしてか煩わしいと思わなかった。  それどころかその温かさがいつまでも寄り添っていてほしいとさえ思う。すがりつきたい自分がいることに戸惑いを感じた。  「僕にしたらいいじゃないですか」  「え?」  湿っているあたたかい手がキョウスケの顔を包んだ。優しい力で顔の向きを変えられるとアイジマの目が迎えてくれる。この間目が離せなかった瞳がそこに当然のようにあった。吸い込まれそうな黒。自分だけを見ている専用の瞳がある。  油断すれば額があたるところまで近づけられた距離で女性のように薄い唇でアイジマは言った。  「僕にしてください。キョウスケ君のためにどっちもできるようにしてるんです」  「どっちも?」  言葉の意味が分からず聞き返す。頭の中がぼんやりしたままだ。麻酔がかかっているようにマヒしている。  「男役も女役もできるってことですよ」  一瞬ぎょっとしたがすぐにそこまで自分のことを思ってくれているのか、と一種の感動を覚えた。しかしその感動を簡単に受け入れていいものなのかわからない。今受け入れてしまうと自分は元の自分に戻れないのではないかと危機を感じた。  危機を感じている、それなのにこのままアイジマを受け入れてしまうとどうなるのだろうという気持ちは確実に息をしている。  キョウスケは何も答えることができずただただアイジマを見つめた。  「キョウスケ君、かわいい」  アイジマの手が頬を撫でる。官能的な撫で方はエイコにすらされたことがないものだ。男からされているというのに気味の悪いものではない。  柔らかいその手で指で、  頬を撫でた勢いなのかアイジマは自分の顔の角度を変えてキョウスケに顔を近づける。  一体何が起きるのかキョウスケにははじめわからなかった。だがだんだんとアイジマの唇が近づくにつれて「キスされる」と気が付く。  このまま受け入れればいいのに。そういう自分が目を覚ました。しかし同時にキョウスケははっきりと「ダメだ」と認識し、アイジマの肩を両手で持って押し返した。
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