招待

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招待

西暦2100年8月10日。 午前8時55分。 今日も太陽が鬱陶しいほどに輝き散らす中、 暑いやら寒いやらそんな事よりも、自ら落とした影が仕事という名の地獄へと歩みを進める姿に憂鬱になる。 なるべく下を見ないようにしていたが、顔を上げても気持ちが晴れるわけではなかった。 朝起きて、いつものように母親の首吊り死体を横目に歯を磨き、 父親の破損した頭蓋骨を片付けて仕事に向かう毎日が、憂鬱じゃない訳がない。どうせ帰ったらまた元どおり生き返ってるんだろうけど。 外に出ても死んだ魚の目をした人間ばかり。 あれはマグロ。あれはカンパチ。あれはキス。 形は違えど結局は死んでいて、皆、生きる意味を失っている。 ただ、僕もその一人。 死ねるのならとっくに死んでいる。 というか、もう何度も死んでいるのだが、バックアップメモリーに残されマイナンバーに関連付けされた記憶やその他人格的情報全てが新しい身体にマッピングされ何度も蘇生されるのだからどうしようもない。 昨日メディアマシンが言っていたけど、この国の約9割が純人間ではないらしい。 死のうとした人間や、新しい身体を求めた人間が大半。 逆に残り1割の純人間は、この国で死のうともせず、システムを備えた身体を求めようともしないためガラパゴスだとも言われている。 新しい身体にしてしまえば、手の甲に埋め込まれたコンピュータはスマホと同等の機能を有しているし、ほとんどの細胞が電子機器でできているため病気にもならないのでこっちの身体の方が明らかに便利であるというのは理解できるが、果たして純人間のことをガラパゴスと言うことが本当に正しいかどうかまではわからない。 毎朝すれ違う美しい彼女はどうだろう。 赤みがかった短い髪の彼女。 ローズ系のアロマの香りの。 こんなにも生きづらい世界なのにいつも表情が生きていて、ストレスがないように見える彼女は、純人間なのか、もしくは一度死んでいるのか。 僕には知る由もない事であるが、もしかしたら美しい彼女は残りの1割なのではないかと思っている。 夏になると半袖を着ているし冬になると長袖になる、季節と調和した服装をしているし、雨の日は憂鬱な顔をしていて、晴れた日は高いヒールを履き軽い音を響かせながら歩き、明らかに他と雰囲気が違う。 僕はそんな彼女に毎朝すれ違ううちに自然と惹かれてしまっていることを自覚している。 仕事に行くためにここを歩いているというより、彼女に会うためにここを歩いていると言っても過言ではない。 これもきっちりとメモリーに自動バックアップされているだろう。
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