ホール、ホールド、オーバーホール

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 五年生になって、かなえと同じクラスになれたのだと知ったとき、私はうれしくってマジで叫んだりしたものだった、もちろん誰にもそんなバカみたいなシーンを目撃されないように、自分ひとりのときにこっそりとだけれど。  同じクラスになったのなら、授業中も休み時間もずっと、かなえを見ていられる、かなえの声が聞ける、それがとっても…大げさだけどあの頃の私には、とても幸せなことだったから。  ちなみに他人からしたら不思議に思われるかもしれないけれど、私は進んでかなえと友達になろうだとか、親しい関係になるための努力のようなものを、これまでにしたことがなかった。  なんでかってきかれたら難しいけど、かなえのことは好きでも、特別友達になりたいって思っていたわけではなかったのだと思う。  そりゃ友達になれたらうれしいけど、地味子の私が、クラスの人気者のかなえと釣り合うとは思えなかったし、私たちはタイプが違いすぎていた、あの人気者たちの輪の中に入っていって、自分がかなえと親しげにしている…というシーンも、いまいちピンとこなくて想像もできなかったし。子供ながらに、きっと無理だろうなって自然と諦めていたんだろう、こうやって遠くからかなえを見ているだけで自分は充分なのだと。  あと、これは高校生になった今だから思うんだけど、きっとあの頃から私は、無意識のうちにも、かなえと友達になることを本当は恐れていたんだと思う。  友達になるっていうことは、お互い対等な存在になるってことだ。だから…私はずっと、かなえと対等ではいたくなかったのだ、はじめから、心の奥底では。  でもこの頃の私は、子供すぎてそのことに気付くことができなかった。  とはいっても、そんな心配をする必要なんて、この頃はまだなかったんだけどね。  心配せずとも同じクラスになったばかりの頃のかなえとは、これまでと同じような距離が、当たり前にあったからだ。  授業中はどんな先生からも意見をきかれるし、休み時間になれば集合するのが当然みたいに、かなえの席にはクラスメイトがあつまってくる。  かなえのまわりはいつだって賑やかで、地味子の私が入り込む余地なんて初めからなかったのだ。  でも、それで私は満足だった。  クラスのはじっこで、ずっと前から仲のいい数人の女の子たちと、静かにおしゃべりをしながら、時折ちらちらとそんなかなえの様子を眺めているだけで楽しかった。  輪の中心にいるかなえと、輪のはじっこにいる私、…そういう、土星本体と土星の輪っか、ぐらいの距離があったあの頃が、結果的には一番幸せだったのかもしれない。  
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