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私のうっかり発言をしっかり聞き逃さなかった猫さんは、きょとんとした声で、こう尋ねてくる。
「アタシには不思議ですね、どうしてお嬢さんには、壁のむこうに誰かがいるかもなんてわかるんです? しかもそれが、知り合いなどと。
だって壁はこんなにも硬くて頑丈なんですよ?
ささやき声ひとつだって響くはずはないのに。
穴の底というものは、きっちりと分断されているものなんです。
ぜったいに分かりっこないですよ、となりに誰がいるかなんて、お嬢さんが今ここにいるってことさえ、誰も知りえるはずはない。
穴とは、そういうものなのだから」
「でも私には分かるんです」
きっぱりとそう私が言い切ると、猫さんはちょっと身じろぎしたようだった。
さっきまでヘコヘコと腰の低いようすだった私が、迷いのない口調でそう言い切ったことに驚いたのかもしれない。
「へえ…そうなんですか」
そして次に暗闇から聞こえてきた猫さんの声の響きは、さっきまでとちょっと変わっていて、どこか親密さというか…好奇心のような明るさが含まれているように感じられた。
ちょっと余計なことを言っちゃったかな…と、一瞬私は思ってけれど、黙っていた。
「じゃあ壁のむこうにいるのは、誰なんです?」
まるで芸能人そっくりさんクイズをやっている司会者みたいな声色で、無邪気に猫さんはたずねてくる。
だけどそんな猫さんのテンションとは真逆に、私は「ああ…」とか「ええっと…」とか言って、もぐもぐと口ごもってしまう。
「もしかして家族?」
「いや、ちがいます」
「じゃあ恋人?」
「彼氏いないです…」
「それなら友達?」
「…あーっと、まあ、」
歯切れ悪くそんなことを私がぼそぼそと話していると、猫さんはまたイライラとしたような口調に戻って、強い声で言った。
「ああもうまったく! はっきりおっしゃいなさいお嬢さん!
壁越しでも、誰だか分かるくらい親しい相手なんでしょう?
いったい、それは誰なんです?」
いま猫さんが挙げた三つの中から、あてはまるものを一つだけ選ぶとしたら、それは…友達なのだと思う。
だけど…本当に、彼女は、『友達』なのだろうか?
彼女は私のことを、友達だと思っていてくれてるのだろうか?
私は、彼女のことを『友達』だと思っているのか?
そして…もし、この壁のむこうの人が、確かに彼女だったのだとしたら、どうしてこんな…おそらくは私と同じ、井戸の底のような暗い穴の中にいるというのだろうか?
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